三章九節 証言(後)

文字数 3,211文字

    16

 再び靄井山の麓に舞い戻ってきた僕は、今朝方停車したデミオを見つけると、一目散に駆けた。
 運転席に乗り込んだ僕は、スマホの画面を確認する。先程、四人に少し戻りが遅くなると連絡すると、彼らはゆっくり帰って来てくださいという返信と共に、わさび菜の入ったそばの画像が送られてきた。
「あいつら、あそこで飯食ってんのか」
 旅館近くの信州一と謳われた十割そばの店を思い出し、思わず苦笑する。
 本当に仲の良い四人だ。行きの車内、天体観測、肝試し。僕はこの二日間の彼らの合宿の様子を思い返し、よしと車を出発させる。
 あぁ、このまま彼らの活動を温かく見守り、巣立ちを無事見送れたらどんなに幸せなことか。
 そして可能性に満ちた新たな生徒を迎え入れ、その羽を伸ばし、再び送り出していく。そう、僕はそれを望んでいた。
 長年苦楽を共にする友人に出会うかもしれない。互いを尊重し支えあう伴侶に出会うかもしれない。
 ともかく僕はあの喧騒と現実と未来しかない地に生涯、骨を埋める覚悟を決めていたのだ。
 しかし、今となってはそれすらも出来ない。運命のいたずらを僕は呪う。
 別れ際に彼が述べた一言、〝先生、あの村の現状を知って、あなたは一切どうされるんです〟その語が僕の心に鉛のように重くのしかかった。
 山道を下り、村の主要道へと出る。先程彼が僕を送り届けてくれた場所。去り際、彼の表情は悔恨に歪みながら、ある種つかえが取れたような安堵も小さく浮かべていた。
 彼は今後も過去の呪縛を抱えながらも、この村で第二の人生を謳歌していくのだろう。
 僕はすっかり遠くなった観測会会場方面を眺める。既に彼の家は山の木々に覆われ、ここからでは全く見えない。
 僕は一つ息を吐くと、再び前を向いた。残り十分足らずの旅館までの道中を見据え、彼の自宅での話の続きを一人回想した。

「村の女の穢れを禊ぐための人柱の選出。口寄女はその手段として、村長の血を継ぐ倉義通による籤引きを挙げた。
 翌日の夜、村の集会所にて、全村人を集めての公開籤引きが行われた。口寄女の祈祷後、平然と籤を引く義通。そしてそこに記されていたのが、俺の妻、石井小百合だったというわけだよ」
 彼ははぁとため息を吐くと、悲しみに満ちた表情を天に向け、
「そこで漸く気づいた。口寄女は天の代弁者なんかじゃないんだって。これまでの口寄女がどうだったかは知らない。でも少なくとも彼女は明らかに、義通と初音に操られていた。
 俺は村の拠り所である口寄女に裏切られ、虚無感に駆られたよ。でも愛する妻を人柱に捧げることは断じてさせない。こうして俺たちは村人の寝静まった深夜、こっそり村を抜け出した。そこから縁あってこの村にたどり着いた。それまでの壮絶な逃避行は、さすがにもういいよな」
 そう述べ、彼は残りの番茶を飲み干す。僕は彼の一連の証言に、開いた口が塞がらなかった。
「これが俺の知っている去年までの村の全てだ。今の村がどうなっているかは知らないし、知ろうとも思わない。まぁ十中八九、倉と初音にコントロールされた口寄女によって、変わらず村人は統制されているんだろう」
 突然外のスピーカーから、怪しげな童歌のようなメロディが流れる。もう一一時か、彼はそう呟くとゆったりと腰を上げ、
「いや、類稀な縁で墓場まで持っていくはずの過去を話しましたけど。先生、あの村の現状を知って、あなたは一切どうされるんです」
 彼が射るような目つきで見つめる。僕は即座に口を開くも、応ずべき語が喉元から何一つ出てこなかった。
 彼はなおも僕の返事を待つ。しかし僕が答えを出せないことを理解すると、はぁと一つため息を吐き、
「この村に来て改めて思ったよ。あの村は明らかに気狂いじみていた。あんたが本当に神体強奪を目論んだのか、別の因縁があってあの村に訪れたのか俺は知らん。でもな、一つだけ忠告しておく」
「あの村には二度と近づくな」
 彼の冷酷さと一抹の恩情のような視線が僕を捉える。なおも僕が反応に窮しているのを彼はもはや顧みようともせず、
「さっ、先生。帰ることにしましょう。元居た靄井山の麓までお送りしますよ。はぁ、半日時間を食ってしまった。こりゃ午後から一層畑作業に精進せねば」
 淡々とした口調で客間を退き、二足の靴しか無い玄関口へと僕を素早く促した。

「千寿は祖父の腹違いの孫なんですよ。初音さんが引き取りに来るまで、僕の地元で暮らしていて。それで僕は彼女を連れ戻しに、七年前の冬、あの村へ」
 軽トラに乗車して暫く沈黙が続いていたが、それを断ち切り僕は意を決して、彼に事の子細を小さく呟いた。
 視界の先には、数名の子供たちが石遊びに興じている。彼はそれをぼんやりと見つめながら、特に驚くでもなく、ふぅんと相槌を打ち、
「なるほどね……愛する〝妹〟を助けに単身で乗り込んだってのが真相だった訳か。しかしどうやってあの村へ行けたんだ? 何の事前知識も無く、あそこへ辿り着くのは並大抵のことではない」
 彼の疑念に、僕はあの時の一部始終を噛みしめるように話した。その間彼は、加熱式煙草をくゆらせながら、ただただ黙って聞き耳を立てた。
「へぇ、佐野屋のおやっさんから情報を引き出すなんて、大したもんじゃないか。それであのバスにも乗ったって訳か……おっ、もうそろそろ着くな。まぁ先生には他にも聞きたいことがごまんとあるけど、残念ながら時間も無い。一つだけ、あの村で当時流れていた、とある噂の真偽だけ教えてくれないか」
「真偽?……えぇ、僕で答えられることなら何でも」
 心の奥に押さえ込んでいた過去の記憶の一部を話し、心なしか少し気持ちの軽くなった僕は、身構えながらも彼の質問を促した。
 トラックは村の主要道から、麓へと繋がる坂道を上っていく。もう五分程で、午前中に僕たちが遭遇した彼の田畑の最寄りへと辿り着くだろう。
 それまでの穏やかな陽射し下から、辺りは新緑の木立に覆われる。すっと車内に木々の影が差したタイミングで、彼はにっこりと笑みを浮かべ、
「千寿様の出自。彼女は村外れに住んでいた美山多江さんの娘だって当時噂されていたんだけど、先生それって本当かい?」
 柔和な表情を湛えながら、食い入るような視線で僕の瞳を覗き込んだ。
「……」 
 再び車内に沈黙が訪れる。僕はこの時、いいえと応えるつもりであった。そう、この人はもうあの村とは一生関わりを持たない。この場で上手く誤魔化しさえすれば、誰も悲しまないで済むはずだ。
 しかし僕の口から出たのは、肯定の語であった。はい、美山千寿は多江さんの娘です。初音さんの妹とは全くの嘘です。苦しい事実が、僕の口からとめどなくあふれ出た。
「ふぅん、そうか……じゃあ、あの噂は本当だったってわけか」
 トラックが彼の田畑の最寄りに着き、停車する。後ろにはこれから作業をするための、草刈り機が変わらず搭載されている。
 彼は長年のわだかまりがとけたような、それでいて愛していた土地に再び裏切られたとばかりに悲しい表情を浮かべ、
「……さぁ、降りな。いや今日は本当に、残りの人生であるか無いか程の特別な半日だった。先生、もう二度と会わないと思うけど、最後に貴重な情報をありがとう」
 そう言い、目元に涙を湛え、僕に優しく微笑んだ。心がチクリと痛む。しかし僕は彼に対し何もしてあげられることなどない。
 僕はぺこりと頭を下げ、あなたに出会えたことの奇跡と過去の村のことを話してくれた謝辞を伝えトラックを降りた。
 煙とよどんだ空気の車内からふわりと春の雑草の上に舞い降りる。その時、後ろで小さく、
「あの村を逃げ出して本当に良かった」
 彼の呻きに似た一言が漏れた。慌てて窓ガラスを見つめる。しかし彼は右手で顔を覆い、もう片方の手で拒絶の意思を示していた。
 僕は黙ってその場を後にした。遠くからは丁度お昼休憩を告げる、農作業者の陽気な掛け声が響き渡っていた。
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