最終章九節 六月一五日、公開婚礼(後) 

文字数 2,318文字

 多数の出店が軒を連ねる石畳を抜け、飯田家の面々と共に、広場へ辿り着く。拝殿前の砂利道には、即席のシート上に既に多くの村民で賑わっていた。
 その時、奥の祈祷社から何やら微かなざわめきが聞こえた。一瞬そちらの方に気を取られかけると、それを塞ぐように、
「あら、水木清敦さんに飯田家の皆様。本日はよろしくお願いします。さっ、準備の方は既に出来ております。どうぞこちらに」
 手前の詰め所から、紫の衣装に御幣を携えた石井初音が姿を現した。何食わぬ顔でこちらへ挨拶を交わす彼女の姿を見て、白髪交じりの男性は急に驚いたように、
「おぉおぉ、初音様!? お懐かしい……遥か昔、私たち夫婦が貴方様に祝された当時を思い出しますよ」
 在りし日を想起するかのように彼は、感嘆の声を漏らした。
「あら和久さん……もう着ることは無いと思っていたのですけど、今日は村を挙げての一大儀式ですしね。あくまで今は現口寄女様のサポートにすぎませんが」
 彼女のまんざらでもない態度にも、彼らはその儀式に我が家が携われて光栄ですと、皆心底感謝しきっていた。
「いえいえ、さぁ婚礼開始前に、最後のお打ち合わせをさせてくださいな! 小林さん、彼らを待合所へとご案内してくださる?」
 彼女はお手伝いの女性に一言告げると、いそいそと奥の祈祷社へと去っていった。やはり何かあったのか。多少怪訝に思いながらも、僕は女性に促されるまま、飯田家と共に待合所へと向かった。

「倉さん、例の懺悔文、下手人が見つかったんですって!?」
 初音が祈祷社脇の、小さな物置に入ると、倉が数名の若い衆と共に木戸を吊るし上げにかけていた。
「おう。まさか直属の部下が反旗を翻していたなんて思わなかったぜ。なぁ、おい? 飼い犬に嚙まれた主人の気持ち、たっぷり染み込ませてやろうか?」
「うぅ……だから何度言ったらわかるんですか……僕は無実です」
 既に何発も拷問を浴びているのか、顔中痣だらけの彼は、早くも意識が朦朧としていた。
「うるせえ! あの雨の日、懺悔文の張られた民家の近くをウロチョロしてたそうじゃねぇか。おまけに勝浦のお上さんに押し入れの荷物を処分すると嘘をついて、お前一体何を企んでいる!」
 若い衆の一人に冷や水を被せられる。と同時にもう一人の男が、胸倉を掴み顔面を殴打する。忽ち鼻から血を噴き出した彼は、それでも瞳にはまだ生気が宿っており、
「本当に僕は何も知りません……ガラクタを捨てに行っただけで、倉さんの下へなんて一言も……」
「と言っていますが、倉さん。どうします? 騒ぎが大きくならない内に、さっさと片しちゃいますか」
 冷や水を浴びせた男が、早くも木刀を構え倉に伺いを立てる。だが彼はいやと微かにこれを制し、
「待て。神聖な儀式を前に、無駄な殺生を帯びたくはない。どうせ式は一時間足らずで終わるんだ。始末するのは、それからでも遅くない」
「婚礼を終えたら、勝浦夫人を連れてくる。そこでこいつが口を割っても割らなくても、跡形もなくこの村から消し去る」
 彼はそう断言すると、彼らに見張りを続けるよう告げ、初音と二人物置を後にする。
「しかしまさか木戸さんが、下手人だったなんて……でも、これで一段落ですね」
 驚嘆しながらもため息を漏らす彼女に、彼はまぁなと応え、広場の喧騒を耳にする。
「しかし、この祭日を終えるまで、まだ油断は出来ない。何か胸騒ぎがする。下手人は捕まえたはずなのに、既に取り返しのつかない事態に陥っているような、そんな気が――」
「心配しすぎよ、倉さん。さぁ、一人の穢れた女の道添えを喰らった、哀れな男の末路を、この目で思う存分楽しみましょ」
 初音の歪みきった笑みにも、倉の心は晴れなかった。祈祷社に近づくごとに、群衆の熱気が一つの見えないエネルギーとなって、彼らをじっとりと包み込んでいった。

 一通り式の流れを聞いた僕たちは、初音不在のまま、祈祷社へと移動した。表の敷居をまたぐと、千寿によく似た顔の少年が、小紋姿の巫女と共に、漆箱に入れられた酒杯を運んでいた。
「あら、智明君じゃない! 少し見ないうちに、随分大きくなって。こんなところに来るなんて珍しいわね。今日はお母さんのお手伝い?」
 親族の一人が、暗に咎めるような口調で、彼に優しく微笑む。そんな彼女に臆することなく、少年は不思議そうに純朴な瞳で首をかしげる。
「智明君。今日は僕も働きたいって、随分張り切っていたらしいの。おかげで準備が早く片付いて。凄く助かっているのよ!」
「へぇ、若い内から労働を買うなんて感心関心。こりゃ未来の村も安泰じゃな、ははっ! ところで口寄女様はいずこへ?」
 香奈の父が巫女に問いかけた時、丁度奥の勝手口から初音が、神妙な顔つきで現れた。
「あら、初音様。予定より、いらっしゃるのが随分遅かったですね。何かございましたか?」
 小林の問いかけに、彼女は、えぇちょっと野暮用でとお茶を濁す。直後に少年の姿を見ると、彼女は忽ち不愉快そうな顔を浮かべ、
「なんでこの子がここにいるのよ。この祈祷社は、関係者以外は男不可侵の神聖な場所。旦那と共に、外の広場にいるんじゃなかったの!?」
 少年の守役でもある巫女に、険しい視線を向ける。彼女が、口寄女様の嫡男でもありますし、本人たっての希望で、としどろもどろに答えると、
「……まぁ、いいわ、時間もないし。口寄女様はこの時間、隔世の間で、村神様との最後の対話を行っているはずよね。それじゃ皆様、お待たせしました。どうぞ、こちらへ」
 初音の案内で、僕と香奈を先頭に列席者が続々と、社内を突き進んでいく。拝殿手前の回廊に差し掛かったところで、ふと遠くから人工的なサイレン音が小さく耳に入った。
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