二章八節 町議会議員質問(後)

文字数 3,485文字

 バスが停車した頃には、雨は幾分止んでいた。何とか気持ちを切り替えた僕は、二三名の老婆に従う形で、町役場への道のりを歩く。
 ややあり古びた医院の先に、お目当ての和洋折衷様式の町役場が姿を見せる。
 町中にぽっかり浮かぶハイカラ建築は、近年有名建築家により改装が施されたためである。ただ住民の中には、昔ながらの街並みに似合わないと、不満の声も多いと聞く。
 玄関前に立つと、丁度その脇に町議会開催中の看板が掛けられていた。僕はそれに沿って役場内を進んだ。

 エレベーターを降りると、先ほど質問を終えた議員の関係者で、ホールは大いに賑わっていた。
 傍聴席の出入口前には、それを塞ぐような形で議員数名が、品のない大笑いを上げている。
 お前らそれでも町民の代表者かよ。内心毒づきながら、割って入ろうとすっと腰を下げかける。
「あれ? あぁ、敦生君。本当に来てくれたんですね、ありがとうございます」
 馴染みの声に振り向くと、秘書の山根が書類の束を抱え、こちらに微笑を浮かべていた。
「こんにちは。あっ、この後の父の傍聴ですが、こちらでよろしい……」
 僕の言葉を遮り、彼は大石さん、田所さんすみませんと手刀を切り、室内へと誘導してくれた。
「そうですよ、こちらになります。しかしまぁ、ここに来るのは敦生君、初めてなんですよね。いくら私どもがお誘いしても、一向に拒み続け」
 彼の言葉に、僕はすみませんと苦笑いを浮かべる。即座に彼は、いいですよ、今日で全て帳消しですからと、何やら含みのある口調で小さく呟いた。
「おい、山根。いよいよ清水さんの質問、始まるじゃないか」
 後ろから、先ほど話に花を咲かせていた一人の議員が、悪徳代官さながら、にやにや汚い笑みを向ける。
「お前も大胆なことしたもんだな。まっ、今のままじゃ、どの道お先真っ暗ではあったか」
 彼の言葉に、山根は応じるでもなく、ぺこんと頭を下げ僕を席へ促す。
「山根さん、今日の父の準備、万端なんですよね」
 彼の言葉ではないが、どことなく不安を予感した僕は、父の懐刀に安堵の言葉を求めた。
「もちろん、万事抜かりはありませんよ。私どもの望む結果に、議会は終わりますとも」
 そう優しい笑みを浮かべると、私は最後の詰めがありますからこれでと告げ、パタパタ元来た道を去って行った。
 議場では開始まで後五分。続々と休憩を終えた議員や関係者が、所定の席へと戻り始めていた。
 やがて答弁席に、議員バッジを付けた父の姿が現れる。彼は最終確認か、分厚い書類を熱心に読み込んでいた。
 ふとそこに山根の姿が無いことに不自然を抱く。最後の詰めとは、父との確認ではないのか。
 その時漸く、彼が父の隣に姿を現す。途端に父の表情が和らぎ、彼に二三言葉を交わす。
 その時議会再開の宣言が、場内に告げられた。僕はまばらな傍聴席をぐるりと見ると、欲望渦巻く議場をじっと見据えた。

 僕の不安に反し、議員質問は順調に進んでいった。担当業務の詳細、公金の使用用途、不当貯蓄・行動の有無等。オーソドックスな質問を担当議員が淡々と尋ね、それに父は真摯に一つ一つ答えていった。
 気づけば予定時間の残り一〇分を切っていた。今後の活動予定を、半ば事務的に感情も入れず読み上げる議員。対する父は、地元への貢献を前提に、今手掛ける事業の拡大を熱く答弁した。
「……ありがとうございました。納得いたしましたので、私の方はこれにて質問を終えさせていただきます」
 相手議員がぺこりと頭を下げ、質疑席から降りる。それを見届け、父はふうと安堵の息を漏らす。残り時間は三分、どうやらこれにて、無事閉会か。
 とその時、それまで粛々と進行を務めていた議長が、急に大きな咳払いを発し、
「それでは、清水議員への質疑なんですが、本来ならこれで終わりのところ、本日富川議員から追加の質問を依頼されまして、急遽ではございますが、これを承諾いたします」
 不測の事態と前置きした上で、はっきりと質疑の延長を告げた。
 即座に父は聞いていないとばかりに、驚いた顔で後ろを振り向く。だが味方議員も寝耳に水といった表情で、皆一様に首を振る。
 そうこうしているうちに、スクエア眼鏡をかけた神経質そうな議員が質疑席に立つ。あれが富川議員か。
 そこでふと思い出す。確かあの人は、昔父と政争を繰り広げ、無残に敗れた相手ではなかったっけ。
 以来何度も挑みかかっているが、一度も勝てた試しが無いと聞く。
「あいつは不安がすぐ顔に出るから。だから周りも心配して自信を無くしてしまう」
 いつか家での酒の席にて、父がこう豪語していたのを記憶している。それに賛同を示す後援者たち。確かその時はその場の雰囲気に耐え切れず、即座に祖父の部屋へと駆けて行ったっけ。
 だが目の前の相手に、焦慮の面影は一切無かった。むしろ今から世界を変えてやるぞとばかりに、真っ赤に顔を紅潮させ、
「町議会議員の富川と申します。まずは本日、急遽質疑に参加することになり、大変ご迷惑をおかけいたしました。ですがどうしても、本日お尋ねしたい、とある〝噂話〟を耳にしまして」
 素早く用意した原稿に視線を落とした。
「はい……噂話ですか。それは一体どのようなものでしょう」
 それまでの原稿を暗唱するだけの態度とは異なり、純粋に何を聞かれるのだと緊迫した声音で父は尋ねた。
 それに相手議員は満足したのか、勢いを更に加速させ、
「実は……その前に清水さん。貴殿は以前、親戚の娘さんを預かっていましたよね。名前は確か美山千寿さん。地元の中学にも暫く通っていたとか」
 彼の言葉に、僕の鼓動が弾けんばかりに脈動する。何を言っているんだこの男は。もしかして彼女の出自を問い質そうとしているのか。
 焦りは応答席の父も同様で、彼はやや怒りの篭った表情で、
「それがどうかしましたか。失礼ですが、家庭のプライベートな質問は、明らかに質疑規定に反しますよ」
 と先手を打たれる前に突っぱねた。
 だが相手は怯むことなく、その問いかけには応じず、原稿をぺらりとめくり、
「しかし彼女は昨夏、郷里の富山に帰ったんですよね。それで先日お宅の息子さんが彼女に会いに行ったんだとか。素晴らしい、なんという親戚愛ですか」
 気づけば場内はざわついていた。数少ない傍聴員はおろか、相手、父の味方議員も皆、この男は何を言っているんだ周囲に尋ね出した。
 その中に一人真っ青な顔の僕。一体何が起こっているんだ。どうしてこの男は、〝あの時のこと〟を知っている。
 議場での父も沈黙を続けている。事態を呑み込めないとでもいおうか。顔には玉のような汗が浮かび上がっている。
 静寂が訪れる。それは彼が作った一つのためであった。瞬間彼はひと際大きな声で、
「ですが残念なことに、息子さんは一つの過ちを犯した。それは娘さんを守るためとはいえ、一人の善良なる村民に危害を加えてしまったのです。そしてそれに清水さん、あなたは口封じとして、その地の長に現金を渡した!」
 言い終わらぬうちに、議場は異様な熱気が包む。清水議員の息子が。事件を隠蔽しようと。口止め料を。
「これが本当なら恐喝罪ですよ! 先ほど申し上げましたようにあくまで〝噂話〟ですが、この件で清水議員の口から真相をお聞かせ願いたい!」
 言い放つと彼は一歩質疑席から後ろに退いた。
「清水議員」
 震える議長の声に呼びかけられ、父は慌てて立ち上がる。
「はっきり申し上げます。そのようなことは一切、事実無根でございます。そもそもこの場で問い詰めるからには、何か証拠等でも掴んでいるのでしょうか」
 弱みを見せず堂々と否定すると、ドスの効いた顔でキッと相手を睨み返した。
 すると相手は気圧されたように声を少し下げ、
「私の方では残念ながらございません……では清水さん。再確認しますが、あなたは事実ではない、そうおっしゃるのですね」
 証拠が無いという言葉に彼は自信を得たのか、すぐさまその通りだと響き渡る声で断言する。
 その時、まるで勝利したとばかりに、相手の顔が大きく歪んだ。
 証人を出頭させてください、そう議長に告げると彼はおもむろに質疑席から立ち去った。
 入れ替わりに一人の男が議場に姿を見せる。
 あぁなんで、そんなまさか。
 先ほどの衝撃とは比ぶべくもない。目の前の信じられない光景に、僕の視線は釘付けだった。
 周囲も忘れ、放心の体で、なぜお前がと呟く父。
 それに彼は、これは私のけじめですと呟く。
 質疑席には父の秘書、山根が立ち尽くしていた。彼は、間違いありません、私はこの目で見ましたと呟くと、証拠の動画を議長に提出した。
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