最終章四節 六月一三日夕、祭り前夜の儀式(後)

文字数 2,144文字

 大部屋に戻ると、寝具は既に整い清められていた。視線の外れ、先程僕たちがいた場所には千寿夫妻が、凛とした姿勢で、まるで何事も無かったかのように、平然と座していた。
「清敦さん、随分遅かったですね……女性を待たせるのは、紳士として恥ずべきことですよ」
 入口脇で出迎えた飯田が、少しでも緊張を和らげまいと、ぎこちない笑みで、冗談を口にする。
「悪かった。着付けを手伝ってくれた彼と、少し話をしていて」
 彼女のまだ少女の名残の残る顔立ちに、途端に罪悪感に駆られる。
 この娘に罪など無い。たとえ今回の件を僕が断っても、この村にいる限り、本当の意味での自由な恋は、彼女には出来ないだろう。
 だが村の若い衆で、一人ぐらい気になる相手はいたはずだ。たとえそうでなくても、一生に一度の初夜を、突然夫に指名された全く見ず知らずの自分と、迎えても良いのか。
 彼女の身体が小刻みに震えている。僕は衝動的に彼女を優しく抱き寄せていた。成熟途上の丸みを帯びた体躯。応じるかのように、彼女は濡れた手で、ぎゅっと僕の固くなった背中を、強く抱き返してくれた。
 
 僕は覚悟を決め、光揺らめく空間へと彼女を誘う。無数の視線が、まとわりつくように感じる。だがまるで、役者が壇上に上がっているかのように、こちらから周囲の姿は全く見えなかった。
「君、歳いくつ?」
 上の行為を済ませ、服を脱ぎかけた彼女に僕は一言尋ねる。
「……今年で一九」
「……五つ違いか」
 彼女の絹肌のような身体が、余すことなく視界に晒される。僕はゆっくりと行為に取り掛かる。
 一九。青春真っ盛り。多くの恋しいに出会い感じる時期だ。思い悩み、それでも人を愛することに気づかされ、そして大人になっていく大切な時間。それが政略結婚……。
 本番を迎える直前、彼女の瞳から一筋の涙が零れた。それまで努めて、感情を抑えていた彼女は、自分でも驚いたかのように慌てて目じりを拭う。
「ごめんよ、こんな俺と結ばれるなんて。君の将来は、俺が必ず幸せにしてみせる」
 やがて一つになった時、僕は彼女を見据え決意を口にする。それに彼女は、小さく頷き返す。果たしてそこにどれくらいの彼女の意思が籠っていたのだろうか。
 行為を終えた僕たちに、周囲から拍手が浴びせられる。おめでとう、新たな村の夫婦の誕生だ! 歓声を上げる倉に、暗闇からの祝福はなおも止まなかった。
 一体彼女は、どのような思いで僕たちを見続けていたのだろうか。

 木戸と着替えを済ませ、別室を出ると、倉が一人、壁にうなだれ僕を待ちかねていた。
「木戸君、今回はありがとう。君のおかげで、目的は無事に遂行された」
 共に出てきた木戸に労いを示すと、彼は村長にお褒めの言葉を頂き光栄ですと、しきりに恐縮していた。
「いやいや……お疲れさん。今日はもう帰っていいよ。俺はこいつと少し話があるから。戸締りの方も俺がきっちりとやっておく」
 倉が木戸に目配せをすると、彼はわかりましたと一礼し、階下へと消えていった。
「倉さん、他の皆さんは……飯田さんももう、帰られたんですか」
 千寿もと言いかけて慌てて止める。僕が結婚相手の名を出すと、彼はにやりと目前の窓を眺め、
「あぁ、帰ったよ……どうだった、今日は? お前はあの女と生涯、村に貢献してくれるか」
 ぽっかり浮かぶ満月から、すっかり穢れ切った僕へとその視線を移す。
「……はい。僕は彼女を幸せにすると誓った。二人支えあって、この村に尽くしたい――」
 僕は月夜に照らされた彼に、挑みかかるようにはっきり告げる。彼は暫く険しい目つきで僕を見定めた後、
「そうか。ふん、その言葉、嘘偽りないことを信じようじゃないか……それじゃ、その話だ。今、村が祭りの準備に精を出しているのは、お前散々見てきたよな。祭りは明後日、田植祭として村総出で盛大に行われる」
「そこで今回、お前たちの神前結婚を、村民衆目の下、口寄女に誓う形で行ってもらう。それで結婚は成立。以降、お前は完全にこの村の一員だ」
「……ちょっと待ってくれ。二日後は、少し唐突だ。後、初音には言ってあるが、明後日夜に僕は、一時帰京する。せめて結婚式は改めて村を訪れた折に……」
 僕は話が違うとばかりに、彼の提案に口を挟む。
「は? お前、何を言っているんだ?」
 途端に倉が間合いを詰める。彼は僕の胸倉を掴むと、狂気に満ちた瞳で、
「誰がお前に帰京させると言った? 退職届なら既に、俺の方で学校に送らせてもらった。お前は二度と東京には帰れない」
 そう吐き捨てると、彼はパッと手を放し、僕はもろくも地面にくずおれる。
「この村で常識が通用すると思うなよ」
 去り際、彼の述べた一言で、僕の視界は忽ち暗闇に覆われた。なんで、どうしてだ。帰京出来ない? タイムリミットはあと二日? それまでに、僕は彼女を連れて、この村を抜け出さねばならないというのか。
「まずい、時間がない。一刻も早く、千寿と会って話をつけなければ」
 心臓が警報音のように高鳴りながら、今夜はどうすることも出来ず、僕は途方に暮れたまま一人帰路に着いた。
 件の民家に帰り着いた僕は、あれこれと策を巡らし、眠れぬ夜を過ごした。明け方靄に包まれた村内に、若人の祭り準備の掛け声が聞こえると、僕の焦燥は一層掻き立てられた。
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