第34話

文字数 1,577文字

 春花は夢を見ていた。

 中学生の頃、木喪井喪太郎のように気持ち悪い視線で見てくる男子が数人いた。そのほとんどが何もしては来なかったが、1人だけ気付いたらいつも背後に立っている陰木(いんき)という男子がいた。不愉快だったが直接何かをしてくる訳でもないし、そのうちやめるかもと思い様子をみていた。しかしやめるどころか背後からぶつかりながら尻を触るようになったので耐えかねて「やめて。迷惑」と怒った。すると更にエスカレートし、ぶつかる回数が増えてゆき、その上それまでは男子と一緒にいるときは絶対にぶつかって来なかったのに、廊下で仁と一緒にいるときにもぶつかってきたのだ。誰が見ても不自然なぶつかり方で尻をひともみしたのを見た仁は激高し春花の尻を触ったほうの腕を掴むと「なにやってんだおまえ」と静かでありながらも凄みのある声を出し、陰木の腕を思いっきり握った。陰木は「いたたたたた」と明らかに大げさな大声を出し、周りにいた生徒たちが注目した。それに気付いた仁は陰木の腕を放したが「今度同じことしたらただじゃおかないからな」と言い、春花の背中に手を添えて陰木を睨みながら「行こう」と歩き出した。

 その日以来陰木は春花にぶつかることも気持ち悪い視線を送ることも一切止め、春花を避けるようになった。それを見た春花は思った。
【わたしがやめてと言ったときはエスカレートしたくせに男子に言われた途端あの怯えよう……】春花は拳を握りしめた。

 その後間もなくして陰木は学校に来なくなった。理由は分からなかったが、因果応報なのだろうと思った。悪いことをすればそれは巡り巡って自身に返ってくるのだ。それでもこんなことがある度に思うことがある。
【わたしが女じゃなかったら――……】


 目を覚ました春花は白い天井を見つめていた。
【家じゃない……どこ……?】
 そこに心配そうに覗き込む仁の顔が現れた。
「春花!大丈夫か!?今先生呼ぶから!」
 その声に反応した人たちが次々と集まって来た。
「目ぇ覚ました!!
「よかった!!!」
「あーしのことわかる!?
 
 春花はなぜ皆がいるのかと混乱しながらも周りを見回して病室であることを知った。窓の外はまだ明るい。起き上がろうとしたが全身に、特に胸のところに強い痛みが走り、断念した。
 夏苗が深刻な表情で春花に問いかけた。
「崖に落ちたの覚えてる……?」
「崖……?」
 ふと喪太郎にされたことが思い出された。胸を触られたことも抱きつかれたことも気持ち悪くて仕方が無く、忘れてしまいたいことである。

 そのとき廊下を走る足音がし、勢いよくドアが開いた。息を切らせて入ってきたのは葵だった。
「春花が……崖から落ちたって……」
 その背後には息を切らせた凛花がいた。
「おねぇちゃんは……!?」
 更にその背後には医者が立っていた。
「命に別状はありません。廊下を走ってはいけません」

 看護婦を引き連れた医者は驚き謝る葵と凛花を横切って病室に入り、仁たちは一旦病室から出た。医者は春花のベッドの横に置かれた丸椅子に腰掛けると調子はどうだとか記憶はあるかとか聞きながら体温を測った。全身木の枝にぶつけたことによる打撲と捻挫と傷にまみれ、肋骨は骨折しているが、3週間程で良くなり、むち打ちの症状さえ出なければ通常の生活が出来るようになるという。

「ただ、左頬の傷がかなり深いので跡になって残る可能性が高いですが、レーザー等の治療法もありますので悲観することは無いかと思います。崖から落ちた割には奇跡的な軽症で、下まで落ちずに木の枝に引っかかっていたのが良かったのでしょう。念のため1日だけ検査入院をして異常がなければ退院できます。あと、刑事さんが話を聞きたいそうなのですが、後日に改めてもらいますか?」
 春花は深く考えず、来てもらっているのに帰すのは悪いと思い「今からで大丈夫です」と答えた。
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