第55話

文字数 1,629文字

 銀次に相馬からの電話があったのはそれから5日後のことだった。

「え!?仁朱が生きている!?
「ああ。遠縁の親戚に養子として引き取られている。戸籍の名前も仁朱ではなく仁に変更してな」
「仁……?」
「仁朱なんて外国人と間違えられやすい名前だからな。裁判所でもすんなり通ったらしい。親戚の姓は杉山。東宮仁朱は杉山仁として生活をしている。現在は桃乃荘というアパートで独り暮らしをしているようだ」
「杉山仁……桃乃荘……」
 両方とも聞き覚えのある名だった。義翔が常々兄を殺したと敵視している相手であり向かいのアパートの名前である。
「マジかよ……」

 しかしながらそう言われてみれば杉山仁には仁朱の面影がある。だが雰囲気は別人のように違っていた。銀次の知っている仁朱は物静かで全てのことに執着はなく周囲への気配りを欠くことの無い、清廉潔白で子どもとは思えないような洗練された雰囲気だった。5日前の出来事をよくよく思い返した。
【……いや。あの人を高みから見下ろす感じは変わってねぇか……】

 すぐにでも仁朱が生きていたことを義翔に教えてやりたかったが、ふと東宮家に雇われている身として安易な言動はとらない方がいいのではないかと考えた。小細工までして仁朱を死んだことにしたのには何か訳があるはずだからだ。

 その頃羽鳥家の玄関先には仁と義翔の祖父である東宮泰成(やすなり)が来ていた。仁は春花に「仁くんのお客さん」と呼ばれて全開になったドアを見ると身長が高くガタイもいい白髪白髭の老人が立っていた。相変わらずの袴姿である。8年ぶりに見るその姿は以前よりも老けてはいたが、尋常では無い存在感は健在で、すぐに泰成だと分かった。仁は身構えながら小さな玄関に立った。

「……何のご用ですか……?」
「祖父が孫に会いに来るのに理由が必要か?」
「僕に祖父などいません。帰ってください」
 そう言ってドアを閉めようとしたとき「貴子さんが背後にいるお嬢さんのことを調べている。義翔の相手に相応しければ婚約を持ちかけるつもりらしい」と、居間から泰成と仁のやり取りを気にして見ている春花に聞こえない大きさの声で言った。仁の背筋は凍り付き、全身に鳥肌がたった。固まる仁に泰成は続けた。
「私はおまえの力になってやりたいと思っている」
 仁は居間にいる春花に振り向いた。春花はポカンとした顔で仁と泰成を見ている。いきなり好きでもない義翔との婚約を持ちかけられたところで断るはずだと思いながらも、母貴子の1度狙いを定めたらどんな手を使ってでも思い通りにしなければ気が済まない性格に不安を感じていた。

「春花。悪いが今日のバイトは1人で行ってくれ。帰りは必ず迎えにいくから」
 春花は仁と泰成の会話から泰成が仁の祖父だということを知り、両親を亡くして天涯孤独だと思っていた仁に近縁である祖父が居たことに驚いていた。
「うん。店長にはわたしから言っておくね。ゆっくりしてきて」
 微笑む春花に仁は不安になった。離れた隙に春花がまた誰かに襲われてしまうかも知れないと、喪太郎に崖から落とされたときのことが脳裏を過ぎり、それと同時に義翔に取られてしまうのではないかとも考えていた。
「いや、やはり」そう言いかけたとき泰成がささやくように言った。
「不安ならあのお嬢さんのことはボディガードに見張らせておく。貴子さんを放っておいてもいいのか?」
 仁は拳を握りしめた。母の恐ろしさは知っている。迷っている仁に泰成は続けてささやいた。
「春花さんの身の安全は100% 補償しよう。それよりも恐ろしいのは貴子さんだ。彼女こそ春花さんに何をするか分からない。違うか?」
 貴子という名を聞く度に仁の五臓六腑に嫌悪と恐怖から来る寒気が走る。泰成の言う通りだと思った。
「……分かりました……春花のことは必ず守ってください……」
 泰成は微笑を浮かべて頷いた。
「約束をしよう」

 アパートを出ると、運転手の男が黒いロールスロイスの後部座席のドアを開けて待っていた。
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