第41話

文字数 1,738文字

 春花は事あるごとに思い出す。小学生のころ羽鳥家に泊っていた仁が夜中によくうなされ、眠りながら涙を流していたことを。
 それはきっと両親を事故で亡くしたときのことを夢で見ていたのだろうと推測しており、今でも続いているのではないかと気になっている。養子縁組をした杉山家にも見放され、かなり傷付き寂しい思いをしているはずだと思っており、羽鳥家を拠り所にしてくれた仁に出来る限り居心地のいい居場所を提供したいし、仁のことが家族のように大好きだから幸せになってほしいとも思っていた。


「このお店、夏苗ちゃんに教えてもらったんだ」
 試写会が終わり少し遅い夕食に仁を連れて来たのは2階建てのお洒落なカフェだった。やや混雑してはいるが、2日前に予約してあったので、並ぶこともなく、奥の個室に案内された。北欧風の店内を見回しながらその内装に春花のほうが感動していた。羽鳥家にとって外食をするのはファミリーレストランであっても年に数える程度のイベントで、カフェとなると本当に特別な日で、葵が離婚してからは4回しか来たことが無かった。

 席に着くなり「誕生日おめでとう」と誕生日プレゼントである高級ボールペンを渡した春花は満足そうに微笑んだ。

 出会ったときから仁への誕生日プレゼントは毎年ひたすらボールペンだった。ボールペンは何本あっても困らないというのが春花の見解で、ボールペンさえ渡しておけば間違いないと思っていた。

 小学6年生はシャーペンと一体型のボールペン、中学1年生はシャーペンと赤と黒の一体型ボールペン、中学2年はシャーペンと赤と黒の一体型ボールペンに消しゴム付きといった具合に年々グレードアップしてゆき、高校3年のときは7色の持ち手がかなり太いボールペンだった。概ね黒と赤しか使わないのに持ち手が太くて書きにくいという難点を持ち合わせているにも関わらず、春花にもらったものは全て嬉しい仁は何食わぬ顔で愛用していた。

 普通なら毎年ボールペンばかり一体何の記念品だとうんざりしそうなものだが、そうならないのが仁である。それどころか、それらのボールペンは書けなくなっても全て大事に保管してある。

 そして今年は高級文具メーカーの5000円のボールペンだった。高級ボールペンといえば一般的には数万円するものではあるが、春花にとっては5000円のボールペンはかなりの奮発であり充分高級だった。大人の雰囲気漂うウッドのボディに英語で仁の名前が彫られたボールペンを見た仁はうれしそうに微笑むと「ありがとう」とボールペンの入っていた箱に戻し、畳んだ包装紙と一緒に試写会で配布されたパンフレットの入った袋にしまった。

 今年のボールペンの納品式も無事終わり、食事を始めた春花と仁は試写会の話を始めた。上映されたのは恋愛映画である。

「春花はどう思った?」
「お互いに一生大事にしあっていたところはいいなって思ったよ」
「恋愛したいって思った?」
「うーん……」春花は考えた。どう考えても恋愛と幸せはイコールせず、興味を抱くことができない。
「あれは作り話だから。私自身のことに置き換えることは難しいかな」
「そっか」

 仁は寂しくなりながらも納得したように微笑んだ。仁のことを好きになってくれないのは寂しいが、このままいけば春花は自身のものになると確信はしている。仁は長い年月をかけて春花の中に自身の存在を侵食させてきた。それは家族と遜色ないほどに。
【家族愛に貪欲な春花が家族と同じくらい一緒の時間を過ごしている俺と離れて平気な訳がない。加えて同情から俺を傷付けることが出来ずにいる。自己犠牲の精神がある春花は己の身を投げ出してでもそれを貫こうとする可能性が高い。このまま好きな男が出来ない限り春花は俺の手に落ちる】

 本当なら好きになってもらいたいし、ただ好きだから一緒に過ごしてきた。しかし春花が決して仁には恋をしない高嶺の花だと悟ったときから、これしか方法はないと考えるようになっていた。春花が手に入るのなら構わないと妥協したのだ。だから他の男に恋をすることだけは回避させなくてはならない。

【俺が感情を取り戻したように、春花が恋心に目覚めないという確証はない。今日のあの男もこれ以上春花に近づくようならただではおかない】

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