第25話

文字数 2,585文字

 春花の幼い頃の記憶の中での父・猛は、葵のことが大好きでいつもイチャついている猛と、葵と喧嘩ばかりをし、葵が夜、コンビニのバイトに出かけるたびに知らない女性を家に招き入れて裸で抱き合う猛の2つの姿があった。春花にとって、父と母が喧嘩している姿も父が知らない女性と裸で抱き合っている姿もすごく嫌で強いストレスだった。

 猛が葵と喧嘩をするようになったのは春花が7歳のときで、凛花はまだ3歳だった。喧嘩の理由は、猛が勤めている建設会社に新卒で入社してきた大卒の男が、猛と同じ年齢な上に新人であるにも関わらず、給料が猛よりも良く、それは16歳で妊娠した葵のせいで自身が大学に行けなかったからだと猛が言い出したことにある。

 同じ高校だった葵と猛は、猛が葵に一目惚れをし、何度も猛アタックをしたことで葵の心が動き、付き合い始めた。金髪で派手な格好の葵だったが、貞操観念はそれなりにあったので、すぐに体を許すことはなかった。しかし猛と一緒に過ごす時間が増えると、猛の盲目的な恋心に葵の心も侵食され、いつしか猛を好きでたまらなくなっていた。やがて葵は猛に体を許し、生でしたいと言う猛の要求も、本当は抵抗があったにも関わらず断ることが出来ずに受け入れてしまい、その挙げ句、妊娠してしまった。

 妊娠を知った猛は怯んだが、葵がお腹にある命を殺すことなど出来ないと言って泣くと、葵のことは好きなのでこのまま結婚してもいいかと思うようになり、とりあえずはそれぞれの親に話し、それぞれに激怒さられた。

 両家が揃って話し合いをした結果、猛の大学費用にと貯めていた貯金を葵の出産費と子どもの養育費に充てることになり、妊婦である葵は高校を中退した。猛は高校を卒業するとすぐに就職し、葵と籍を入れた。

 葵も猛も幸せだった。可愛い子どもと大好きな人と共に暮らす毎日は温かかった。それは、互いの習慣や考え方の違いによる小さな不満等あらゆる負の部分を流せてしまえるほどだった。

 だが2人目の凛花が生まれて1年が経った頃に異変が起きた。
 猛は建設会社の事務員として入って来た派遣社員の女性に新たな恋心を抱き始めていたのだ。だからといって葵のことも美人だし子どもを産んでくれたし、当初のときめきは無くなってはいたが好きであることには変わりはないので家に帰れば葵とイチャイチャとし、しかし職場に行けば派遣社員にときめくのでちょっかいを出した。やがて派遣社員をデートに誘い出すことに成功した猛は、心躍らせながら久々の恋人気分を楽しみ、5回目のデートで告白をし、7回目のデートでホテルに連れ込み、不倫関係を結んだ。罪悪感は無かった。ただ、葵にバレて離婚になるのは嫌だった。

 けれども不倫を繰り返すうちに好きのバロメーターが派遣社員に傾きはじめると、今まで幸せだと思っていた生活が味気ないものに見え始め、それまで流せていた互いの習慣や考え方の違いによる小さな不満がみるみると膨らんでいった。そこに大卒の高給取りが現れたので不満が爆発したのだ。自身を省みることも、葵の立場になって考えることもしない猛は、全てを葵のせいにして被害妄想を炸裂させながら、葵が仕事に出かけた隙に不倫相手を自宅マンションに招き、子どもの春花や凛花はたとえ見ても分からないだろうと、リビングで堂々と肌を合わせた。

 しかし春花はテレビドラマや漫画などからその行為の意味を何となく知っていた。なので凛花にはそれを見せないように早く寝かせつけたり、凛花の好きな絵本を読んで「お客さん来てるから」とリビングのほうへは行かないようにさせていた。そしていつしか考えるようになっていた。何故父はあんなに好きだと言っていた母を嫌うようになり他の女性を好きだと言うようになったのかと。その答えはテレビやネットや本が教えてくれた。

「世界中どの歴史を見ても絶対的権力を手に入れた王ないし皇帝は往々にして生涯の相手を1人の妻にとどめることはなく第二第三の妻を迎えたり複数の妾を迎え入れていた。これは確実に跡取りを残すという目的もありますが、子どもが何人出来ようと、複数人の妻或いは妾たちとの営みが終わるという訳ではなく、それどころか更に妻や妾が増えることもざらでした。そして多くの男性がそれを羨ましく思うのも事実です」

 男女の性と脳の違いという特集の番組でコメンテーターである何かの本を書いたという作家が喋っているその言葉の意味を8歳の春花に理解することは出来なかったが、『男は沢山の女を妻にしたい』ということは分かった。
 チャンネルを変えると芸能人が女子高生に淫らな行為をしただとか、若い女性と不倫していたことが発覚しただとかが報道されており、そのことにより彼らは地位も名誉も職も失うはめになっている。
【パパもママのことが大好きだったからわたしをつくったのに、そのせいで大学行けなかったからお給料も少なくて怒っている。ママを好きなときは怒らなかったのに。】

 ゲームをしたいと言って借りた葵のスマホで、更にその疑問について検索していると、春花の疑問とは違うが『なぜ人は恋をするのか』という動画を見つけた。再生すると簡単なアニメーションで解説が始まった。

腹側被蓋野(ふくそくひがいや)は、恋に落ちると脳内物質・ドーパミンを大量に放出します。それによって気力が満ち溢れ、気分が高揚し、快楽を感じるので、快楽を求めて相手に会いたいと思うようになります。
『恋は盲目』と言いますが、ドーパミンが大量分泌されて快楽を感じているとき、『扁桃体』と『側頭(そくとう)頭頂接合部(とうちょうせつごうぶ)』の動きが鈍化させられてしまいます。ここは、『批判』や『判断』といった思想を司る場所です。
それにより恋に落ちると、相手の難点に対する批判や自分が置かれている状況の正しい判断ができなくなるのです。」
 
 春花はこの動画を食い入るように観た。何度も再生し、分からない言葉などは分かるまで検索して、幼い頭で何とか理解した。すると『恋は盲目』に振り回されて大学に行けなかったのに、それを忘れてまた『恋は盲目』をしている父のことが愚か者のように見え始めたと同時に、状況を理的に判断するための知識を得たことで父の不倫によるストレスが和らぎ、世の中が明るく見えるようになった気がした。春花は更に知識を集め続け、やがてそれらの知識は春花を守る全てとなっていった。
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