第2話

文字数 1,853文字

 義翔の引っ越してきたマンションの向いにある木造2階建てのアパート桃乃荘には羽鳥春花という18歳の女性が住んでいた。義翔と同じく今年大学へ進学する彼女は義翔とは違い貧しく、勉強を頑張って次席で大学合格を勝ち取り、学費全額免除の特待生となった。それでも教材費やノートパソコンの購入費は必要で、そのうえ生活が苦しい家庭で暮らす彼女は受験の合格発表がされた2月中旬からファミリーレストランの厨房のアルバイトに明け暮れていた。

「ホントよく働いてくれるね、あの子」
「顔に傷跡さえなければホールにも出て欲しいんだけどね」

 パートの女性たちが春花を見ながら仕事の合間に雑談をしている。どこに行っても付きまとう『傷跡』の話題。周りは本人に聞こえないように噂をしているつもりでも、案外大きな声で話していることが多く、春花の耳にも届いていた。
【まぁ、顔にこんな大きな傷付いてれば山賊のごとく刃物でやり合ったのではないかとお客さんも不安になるよね】
 そう心の中でつぶやきながらテキパキと注文のメニューを作っていく。

「19番テーブル上がりました!」
 春花の声に、ホール係の杉山仁が「3番SDお願いします」と言いながら配膳台の隅に置いてあった注文伝票を真ん中にずらすと、ハンバーグステーキと白米が乗った2つのトレーを手に取りホールへと戻っていった。

 その背中を見送る高校生バイトの女子2人が顔をにやつかせながら「杉山さんマジイケメン」「存在に感謝だね」と大声で話す声が厨房に響いた。我関せずと冷蔵庫に作り置きしてあるミニ苺パフェと苺ミルフィーユを取り出す春花に「羽鳥さんと杉山さんって付き合ってるんですか?」と会話が飛び火し、春花は【この質問多いな】と思いながら「付き合ってないよ」とだけ返して配膳台の真ん中に乗っている伝票の前にパフェとミルフィーユを置いた。
 時給のいい夜の時間帯に働いている春花はラストオーダーを作り終えた午前1時過ぎから厨房の掃除を始め、閉店時間である2時に掃除を終えると3帖のこぢんまりとした女子更衣室で着替えた。ホール係としてラストまで一緒に勤務をしていた店長は客席で何やら書き物をしているため、今の時間で上がりなのは春花しかいない。ラストまで仕事をするのは高校を卒業して間もないこの日が初めてであり、静まりかえった雰囲気に違和感を覚えながら更衣室のドアを開けてすぐにある休憩室に出ると、2時間前に上がったはずの仁がスマホを触りながら待っていた。

「おつかれ」
 微笑を漏らしてそう言う仁に、春花はあきれたような申し訳なさそうな口調で言った。「帰ってからわざわざまた迎えに来なくてもいいのに」

 厨房で使っていたマスクを取った春花の左頬には大きな傷痕が斜めにざっくりとついている。肥厚性瘢痕と化したそれは赤く膨れ上がっておりかなり目立つが、傷口のことを言う者が周りに居ないときは春花はそれを気にせずにいられる。仁は春花の頬に傷があろうがなかろうが春花は春花なので特に気にしてはいないが、たまにシクシクと痛むようなのでそれだけが気がかりだった。仁は立ち上がるとスマホをパンツのポケットに入れて春花に言った。

「深夜に1人で帰るのは危ないから」
「街灯あるし大丈夫だよ」
 春花はそう答えながら【こんなことをするから付き合っていると誤解されるんだ】と思った後に、ふと考えた。【付き合っていると誤解されることによるメリットとデメリットって何だろう?】と。だが特にメリットもデメリットも思いつかず、それでも誤解というものは『誤った』+『理解』=『誤解』なのでやはり宜しくないという考えに至った。

 考え込んでいる春花の手を、仁は慣れた手つきで指を絡ませて握ると「帰るよ」と少し艶のある声を出した。春花は伝えたほうがいいと判断したことを真顔で口に出した。
「佐藤さんたちに付き合ってるのかって聞かれた。こういうことすると誤解されるから」
「迷惑?」
 そう聞きながら微笑む仁の目は僅かに潤んでいて、傷付いたような怯えているような表情を見せた。と同時に春花の脳裏には小学生の頃に泣いていた仁の姿が過ぎり、心がチクンと痛み、何も言えなくなった。
「いや……迷惑とかじゃなくて……」
「じゃぁいいじゃん」
 仁はそう言うなり安心したような笑顔を見せ、それに春花もホッとする。仁は春花の手を握ったまま従業員出入り口から外に出ると「寒ッ」と身を縮めて春花の手ごと自身の手を自らのジャケットのポケットに突っ込み「夜はまだ寒いね」と言いながら帰路についた。
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