第04話 からきし
文字数 2,826文字
五月十六日、火曜日。
登校してみると、第三多目的教室のドアの前に見知らぬ人物が立っていた。まず、彼女の髪色が目を引いた。白に近い金色だった。とてもナチュラルで、染めているようには見えなかった。肌も白い。頬が、やや桃色に染まっていた。髪が長いので、女性の可能性が高い。背は低い。俺よりも二十センチくらい低い。百五十五センチ近辺だろうと想像された。しかし、身長の割に、胸部が、やや発育している。
「おはよう」と俺は言った。
少女は、ちらりとこちらを向いた。碧眼だった。ビー玉みたいな目だ。
「あなた、ここの人?」
「こことは?」
少女は、多目的教室のドアを指した。
「いかにも。俺は特別クラスの一員だ」
「特別クラスって、どんなところ?」
「きみは日本語が上手だ」俺は思ったことを口に出した。
「日本育ちだもの。英語は、からきし」
「からきし」珍しい言葉だったので、つい繰り返してしまう。「いま、特別クラスには、俺を含めて三人いる。まだ増えるらしい」
「どんな人がいるの?」
「俺以外には、苅部という男と、雑賀という女がいる」
「だから、どんな人がいるの? 名前はきいてないんだけど」
「どんなと言われても、人間を一言で説明するのは難しい」浜砂先生のように、人間を立体図形にして見せることもできない。「雑賀は、あまり話さない。ずっとひとりで勉強をしている。コミュニケーション能力に問題があるのではないか、と思われる」
「悪口、きこえてるから。それと、コミュニケーション能力に問題があるのは、お互い様」
不意に、背後から声がした。雑賀だった。
「悪口ではない。客観的な感想だ」挨拶を忘れていた。「おはよう」
「どう考えても主観的だけれど……とりあえず、邪魔」
俺と金髪の少女は、教室のドアを塞ぐように立っていた。
「すまない」俺はそう言って、場所を空けた。
雑賀は金髪の少女をちらりと見たが、興味がないのか、すぐに視線を外した。そのまま教室へ入っていく。
「ああいうやつだ」
「変な人」金髪は言った。「苅部って人は?」
「まだ、それほど長い時間を共に過ごしたわけではないが、どうやら良いやつのようだ」
「格好良い? イケメン?」
「人間の美醜は、人によって好みが異なるので、判断が難しい。それでも、俺の主観的な好みでいえば、苅部は、格好良いではなく、可愛いと言える」
「あの、きこえてるからね」また背後から声がした。「可愛いって何さ。恥ずかしいな。もう」
苅部だった。
「おはよう」俺は苅部に言った。「いま、苅部の陰口を言っていたところだ」
「陰口だったの?」苅部は微苦笑する。
「冗談だ」不発だった。冗談を、なかなかうまく言えない。
「その子は?」苅部は、金髪の少女に視線を向ける。
「見知らぬ女だ。特別クラスのことを質問されたので、答えていた。もしかしたら諜報部のものかもしれん」
「そんな怪しげな部活、うちの学校にないでしょ」苅部は言った。「こんにちは。はじめまして。僕は、苅部一帆」
「ハミル・ハーモニー」金髪の少女は言った。「よろしく」
「ハミルが名字か? それとも、ハーモニーが名字か?」俺は尋ねた。
外国人は、名前の順番がややこしい。
「ハミルが姓で、ハーモニーが名前」
「それでは、ハーモニーと呼べば良いのか?」
「いきなり名前で呼ぶとか、距離感おかしいでしょ?」
「外国人なので、名前を呼ぶべきなのだろうと配慮したのだ」
「わたし、日本育ちだってば」ハーモニーは言った。「まあ、好きに呼んで良いけど。あんたの名前は?」
「阿喰有史だ。俺の名前も、好きに呼んでくれて構わない」
「じゃあ、アジアジね」
「アジアジ」思わず復唱してしまう。「渾名というやつだな」
「あんたは」とハーモニーは苅部を見た。「そうね、一帆ちゃんにしよう」
「ちゃん付けかぁ」苅部は言った。「べつに、良いけどさ」
「一帆、特別クラスはどう? さっきから、こいつにいろいろきいてたんだけど、全然要領を得なくって」
すでに、一帆ちゃんという呼称ではなくなっていた。
「阿喰くんは、曖昧な質問に答えるのが苦手なんだ。適切な質問をすれば、適切な答えが返ってくるよ」苅部は言った。「特別クラスは、まだよくわかんないなぁ。昨日、はじまったばかりだし。えっと、きみも特別クラスの子?」
それは突拍子もない決めつけだろう、と考えた。
「そうなんだよね」ハーモニーは言った。「でも、どうしようかなって思ってる」
「昨日は、なぜ来なかったんだ?」俺は尋ねた。
「ちょっと忙しくて」
「学校よりも、優先することがあったわけか」
「悪い?」
「いや、良いことだ」俺は言った。「楽しいのが一番だ」
「あんた、本当に変わってる」
携帯端末を見ると、始業の時刻が近づいていた。俺たち三人は教室へと入った。俺と苅部は、昨日と同じ席に腰を下ろした。ハーモニーは、どの席に座るか悩んでいたようだが、結局、雑賀の前の机に腰を下ろしていた。俺たちの隣の机とも言える。
それから、授業は順調に進んでいく。もとのクラスと比べると、授業の進度が速いようだった。基本的に、日本の教育はクラスの下限に合わせて行われる。このクラスは少人数であるから、下限が高いのだろう。
ハーモニーは、授業中、ずっと寝ていた。教師も慣れているのか、起こすようなことはない。いったい、ハーモニーは、なんのために学校へ来ているのだろうと思った。結局、彼女は四時間目の終わるチャイムが鳴るまで起きることはなかった。
目を覚ましたハーモニーが近づいてきた。
「顔に痕がついているぞ」頬が赤くなっていた。
「あんたたち、ご飯はどうするの?」ハーモニーは俺の言葉を無視して言った。
「苅部と一緒に食べる予定だ。ハーモニーも一緒に食べるか?」
「そうしようかな」
特別クラスには、もうひとりいる。
「雑賀」俺は雑賀のほうを向いた。「きみは、どうするんだ?」
不快そうな表情を隠しもせず、彼女はこちらを見た。あるいは睨んだ。
「構わないで」
「それは本心か? あるいは、照れているだけか?」
「本心」雑賀は、深々と溜息を吐く。「あなた、非常に鬱陶しい」
「よく言われる」
「感じ悪いね、あいつ」ハーモニーは囁く。
「正直者なだけだろう」俺は言った。「雑賀は、たぶんだが、良いやつだ。美人だしな」
雑賀が軽く吹きだした。それを誤魔化すかのように、さっと立ちあがる。手には何も持っていない。そのまま教室を出ていった。
「照れた、のかな?」苅部は言った。
「何? あんた、あの子狙ってんの?」ハーモニーは俺に言った。
「ひとまず、飯にしよう」ひどく腹が減っていた。
登校してみると、第三多目的教室のドアの前に見知らぬ人物が立っていた。まず、彼女の髪色が目を引いた。白に近い金色だった。とてもナチュラルで、染めているようには見えなかった。肌も白い。頬が、やや桃色に染まっていた。髪が長いので、女性の可能性が高い。背は低い。俺よりも二十センチくらい低い。百五十五センチ近辺だろうと想像された。しかし、身長の割に、胸部が、やや発育している。
「おはよう」と俺は言った。
少女は、ちらりとこちらを向いた。碧眼だった。ビー玉みたいな目だ。
「あなた、ここの人?」
「こことは?」
少女は、多目的教室のドアを指した。
「いかにも。俺は特別クラスの一員だ」
「特別クラスって、どんなところ?」
「きみは日本語が上手だ」俺は思ったことを口に出した。
「日本育ちだもの。英語は、からきし」
「からきし」珍しい言葉だったので、つい繰り返してしまう。「いま、特別クラスには、俺を含めて三人いる。まだ増えるらしい」
「どんな人がいるの?」
「俺以外には、苅部という男と、雑賀という女がいる」
「だから、どんな人がいるの? 名前はきいてないんだけど」
「どんなと言われても、人間を一言で説明するのは難しい」浜砂先生のように、人間を立体図形にして見せることもできない。「雑賀は、あまり話さない。ずっとひとりで勉強をしている。コミュニケーション能力に問題があるのではないか、と思われる」
「悪口、きこえてるから。それと、コミュニケーション能力に問題があるのは、お互い様」
不意に、背後から声がした。雑賀だった。
「悪口ではない。客観的な感想だ」挨拶を忘れていた。「おはよう」
「どう考えても主観的だけれど……とりあえず、邪魔」
俺と金髪の少女は、教室のドアを塞ぐように立っていた。
「すまない」俺はそう言って、場所を空けた。
雑賀は金髪の少女をちらりと見たが、興味がないのか、すぐに視線を外した。そのまま教室へ入っていく。
「ああいうやつだ」
「変な人」金髪は言った。「苅部って人は?」
「まだ、それほど長い時間を共に過ごしたわけではないが、どうやら良いやつのようだ」
「格好良い? イケメン?」
「人間の美醜は、人によって好みが異なるので、判断が難しい。それでも、俺の主観的な好みでいえば、苅部は、格好良いではなく、可愛いと言える」
「あの、きこえてるからね」また背後から声がした。「可愛いって何さ。恥ずかしいな。もう」
苅部だった。
「おはよう」俺は苅部に言った。「いま、苅部の陰口を言っていたところだ」
「陰口だったの?」苅部は微苦笑する。
「冗談だ」不発だった。冗談を、なかなかうまく言えない。
「その子は?」苅部は、金髪の少女に視線を向ける。
「見知らぬ女だ。特別クラスのことを質問されたので、答えていた。もしかしたら諜報部のものかもしれん」
「そんな怪しげな部活、うちの学校にないでしょ」苅部は言った。「こんにちは。はじめまして。僕は、苅部一帆」
「ハミル・ハーモニー」金髪の少女は言った。「よろしく」
「ハミルが名字か? それとも、ハーモニーが名字か?」俺は尋ねた。
外国人は、名前の順番がややこしい。
「ハミルが姓で、ハーモニーが名前」
「それでは、ハーモニーと呼べば良いのか?」
「いきなり名前で呼ぶとか、距離感おかしいでしょ?」
「外国人なので、名前を呼ぶべきなのだろうと配慮したのだ」
「わたし、日本育ちだってば」ハーモニーは言った。「まあ、好きに呼んで良いけど。あんたの名前は?」
「阿喰有史だ。俺の名前も、好きに呼んでくれて構わない」
「じゃあ、アジアジね」
「アジアジ」思わず復唱してしまう。「渾名というやつだな」
「あんたは」とハーモニーは苅部を見た。「そうね、一帆ちゃんにしよう」
「ちゃん付けかぁ」苅部は言った。「べつに、良いけどさ」
「一帆、特別クラスはどう? さっきから、こいつにいろいろきいてたんだけど、全然要領を得なくって」
すでに、一帆ちゃんという呼称ではなくなっていた。
「阿喰くんは、曖昧な質問に答えるのが苦手なんだ。適切な質問をすれば、適切な答えが返ってくるよ」苅部は言った。「特別クラスは、まだよくわかんないなぁ。昨日、はじまったばかりだし。えっと、きみも特別クラスの子?」
それは突拍子もない決めつけだろう、と考えた。
「そうなんだよね」ハーモニーは言った。「でも、どうしようかなって思ってる」
「昨日は、なぜ来なかったんだ?」俺は尋ねた。
「ちょっと忙しくて」
「学校よりも、優先することがあったわけか」
「悪い?」
「いや、良いことだ」俺は言った。「楽しいのが一番だ」
「あんた、本当に変わってる」
携帯端末を見ると、始業の時刻が近づいていた。俺たち三人は教室へと入った。俺と苅部は、昨日と同じ席に腰を下ろした。ハーモニーは、どの席に座るか悩んでいたようだが、結局、雑賀の前の机に腰を下ろしていた。俺たちの隣の机とも言える。
それから、授業は順調に進んでいく。もとのクラスと比べると、授業の進度が速いようだった。基本的に、日本の教育はクラスの下限に合わせて行われる。このクラスは少人数であるから、下限が高いのだろう。
ハーモニーは、授業中、ずっと寝ていた。教師も慣れているのか、起こすようなことはない。いったい、ハーモニーは、なんのために学校へ来ているのだろうと思った。結局、彼女は四時間目の終わるチャイムが鳴るまで起きることはなかった。
目を覚ましたハーモニーが近づいてきた。
「顔に痕がついているぞ」頬が赤くなっていた。
「あんたたち、ご飯はどうするの?」ハーモニーは俺の言葉を無視して言った。
「苅部と一緒に食べる予定だ。ハーモニーも一緒に食べるか?」
「そうしようかな」
特別クラスには、もうひとりいる。
「雑賀」俺は雑賀のほうを向いた。「きみは、どうするんだ?」
不快そうな表情を隠しもせず、彼女はこちらを見た。あるいは睨んだ。
「構わないで」
「それは本心か? あるいは、照れているだけか?」
「本心」雑賀は、深々と溜息を吐く。「あなた、非常に鬱陶しい」
「よく言われる」
「感じ悪いね、あいつ」ハーモニーは囁く。
「正直者なだけだろう」俺は言った。「雑賀は、たぶんだが、良いやつだ。美人だしな」
雑賀が軽く吹きだした。それを誤魔化すかのように、さっと立ちあがる。手には何も持っていない。そのまま教室を出ていった。
「照れた、のかな?」苅部は言った。
「何? あんた、あの子狙ってんの?」ハーモニーは俺に言った。
「ひとまず、飯にしよう」ひどく腹が減っていた。