第30話 俺は、別段、月経の話をしたわけではなかった

エピソード文字数 3,047文字

 俺は苅部が着替え終わるのを、駅の男子トイレの外で待っていた。

「どうかな?」トイレから出てきた苅部は、少し照れているようだった。

「うん。予想していた通り、似合っている」

 俺と苅部は、六時間目の授業が終わると同時に、荷物を置いて教室を出た。帰りのホームルームには参加しないことに決めたのだ。

 そして、池永を駅で待ち伏せることにした。

 もちろん、池永が電車を利用しないということも考えられる。しかし、ヨッシーと柳井の情報によると、池永は電車通学をしているようなので、きっと電車を利用するだろう、と想像した。それに、もし空振りだったとしても、次の機会を狙えば良い。俺はそんな風に考えていた。

 しばらく、苅部と共に、駅の改札前にある太い柱の陰に隠れていた。学校に近い出入り口からは、こちらの姿を視認できないはずだ。しかし、こちらからは改札を確認できる位置を確保してあった。池永が改札を通った瞬間、俺たちも改札を通り、追いかければ良い。シンプルだった。

 学校が終わってすぐの時間帯は、学生服を着た生徒たちが、ちらほらと現れる。そして、時間が経つにつれ、駅の構内は、学生服の生徒で溢れかえっていく。俺は池永の姿を見逃さないよう、集中して人の流れを観察していた。

 最初の帰宅ラッシュが一段落したところで、ようやく池永の姿が発見された。彼女はひとりで歩いている。歩行速度はゆっくりだ。前ではなく、地面を見て歩いていた。少しだけ見える表情から、覇気は感じられない。もしかしたら、ゆっくり歩いているのではなく、足どりが重いという表現のほうが適切なのかもしれない。

 池永が改札を通り抜けた。俺と苅部は、彼女のあとを追う。

 駅のホームに、ちょうど電車がやって来た。池永が乗ったので、俺たちも乗った。少し離れた位置をキープする。電車は、都市の中心へと向かっていた。池永は窓際の手すりにつかまり、物憂げに携帯端末をさわっていた。

「なんか、元気ないみたいだねぇ」と苅部は言った。

「そうらしい。まあ、女には、そういう日もあるだろう」

「あ、それ、セクハラだからね」

 そのような意図はなかった。

「男にも、そういう日があるだろう」

「そうそう」苅部が微笑む。「生理は、デリケートな話題だから、気をつけないと」

 俺は、別段、月経の話をしたわけではなかった。勝手に誤解したのは苅部のほうだ。

 電車が到着する。池永が電車から降りていった。とにかく人が多い。見失わないように、そして池永には尾行に気づかれないように、細心の注意を払う必要があった。すぐに人が割りこんでくるので、ずっとあとを追いかけるのは至難の業だった。もしも、俺がひとりであれば、とっくの昔に見失っていただろう。苅部がいてくれて助かった。

 俺は街を歩いていると、すぐに人とぶつかりそうになるのだが、苅部はうまいこと、すいすいと魚が岩間を泳ぐように進んでいく。感心せざるを得ない。

「ほら、阿喰くん、おいていかれるよ」

「俺は、もうダメみたいだ。先に行ってくれ」

「もう」苅部は俺の手を取った。「ほら、こっち」

 二人で塊になったことで、なんとか周囲の流れに逆らうことができた。

 聖書にも書いてあるように、ひとりよりもふたり、である。

 池永は、駅に到着してからは、歩行速度が上がった。周りのスピードにあわせているのかもしれない。たまに、周囲をきょろきょろと観察している。風景を見ている、というようすではない。誰かを探しているのだろうか。

 駅を離れ、繁華街といっても良さそうな場所へ移動した。出ている看板は、徐々にいかがわしくなっていく。性的なものを連想させる看板が多く出ていた。飲食店やバーも多い。

 途中、池永はコンビニに寄った。繁華街によくある、表と裏、ふたつの出口があるタイプだ。店のなかに入ると、発見される恐れがある。出口で待機しておくのが良い作戦だが、しかし、どちらの出口から出てくるのかは、わからない。

 俺と苅部は、二手に分かれて行動することにした。池永が店から出てきたら、すぐにメッセージを送る手筈になっていた。俺が張っていたのは、表側と思われる出口だ。比較的人通りが多く、広い道に面している。しばらく待っていたが、池永は出て来なかった。

 待ち始めて十分が経過した頃、ようやく苅部からメッセージが送られてきた。

 急いでコンビニのなかを通り抜け、反対側の出口へと至る。

 すでにそこに苅部の姿はない。

 苅部は、離れたところでこちらを振り返り、手招きをしている。

 小走りで追いつき、隣に並んだ。

「ほら、あれ」と苅部は、さらに前方を指した。

 そこには、池永と、もうひとり男性がいた。男の腕に池永が抱きついている。ふたりの仲は親密なように見えた。男の年齢はわからないが、それほど年配というわけでもない。二十代か、三十代か、それくらいではないかと思われた。グレーのスーツを着て、革靴を履いている。サラリーマンといった風貌だ。あるいは、サラリーマンのコスプレをしているのかもしれない。

 以前、柳井から送られてきた画像で、池永がデートをしていた男とは違うようだった。今回、池永の隣にいる男のほうが、背丈はやや低いけれども、体格が良い。

「どう思う?」俺は隣を歩く苅部に尋ねた。

「やっぱり、援助交際かなぁ」

「俺個人としては、どうでも良い。本人の自由だろう」

「ドライだね」

「興味がないんだ」

「ひとまず、もうちょっと観察しようよ」

 苅部の提案に乗ることにした。前方を歩くふたりは、そのまま繁華街を進んでいく。会話は弾んでいるようである。時折、池永は笑っていた。そのまま五分ほど歩いたところに、真っ白の建物があった。入り口の近くには観葉植物が置かれている。

「あれって」苅部が囁く。「ホテルだね。どうする?」

「どうすると言われてもな」俺は言った。「一緒に入るか?」

 これはもちろん冗談だった。

「何言ってんの? そんなわけないじゃん」苅部は、また怒っているようだった。「池永さんを、止めないのかってこと」

「止める理由が見あたらない」

「そっか」苅部は言った。「じゃあ、どうするの?」

「外で待つ」

「でも、結構かかると思うよ」

「そういうものなのか?」

「うん。たぶんね。シャワーを浴びたりしないといけないから」

「そうなのか。性交というのは面倒なものだな。俺はシャワーが嫌いだ」

「まあ、汗臭いのが好きな人もいるからね」

 わけのわからないフォローだった。

「しかし、俺たちは、なんのために、こんなことをしているんだろう」

「えっと、池永さんの弱みを握るため? かな?」

 本当に面倒なことだった。しかし、もうひと息だ。あとは、ホテルから出てきた池永に、直接問い質せば良い。援助交際を見逃す代わりに、これ以上、吉井や柳井を虐めるようなことはやめろと言えば良い。

 結局、池永と男がホテルから出てきたのは、一時間半後だった。

 ホテルを出て数秒後には、池永と男は手を振って別れていた。実にあっさりした関係だ。

「なんか、プロフェッショナルって感じだね」

 売春におけるアマとプロの違いはなんだろう、と四秒だけ考えたが、思考を打ち切る。

 俺は池永のほうへと歩いていき、声をかけた。
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