第03話 なるほど。たしかに俺は、異常らしい
文字数 3,409文字
雑賀のテーブルから離れ、苅部の隣へと戻った。
「雑賀更紗は、どうやら会話を好まない人種のようだ」
一応、雑賀の邪魔にならないよう小声で話した。しかし、雑賀にはきこえているだろう。
「うん。そうだと思った」苅部は言った。「ちょっと、どきどきしたよ」
「どきどき」俺は苅部の発した言葉を復唱する。「心臓が激しく鳴った音だと推察されるが、なぜ、苅部が、そのような状態になったのか、疑問だ」
「えっと、ふたりの会話が、スリリングだったからかな」
「お互いに意見を交換しただけだ。スリリングだという認識はない。それに、たとえスリリングな会話だったとしても、他人の会話をきいているだけで、そこまで心臓の鼓動が早まったりするだろうか。本当は、どきどきしなかったのではないか」
「まあ、言われてみれば、そうだね。どきどきしてなかったかも。わくわくかな。これも、ちょっと変だけど」
苅部は話が通じる人間だ。俺は誰かと話をしていると、途中で、なぜか会話が終わってしまう。一度、その理由を問い質してみたことがあるのだが『阿喰くんと話すの、面倒くさいんだよね』と言われてしまった。
「まだいるみたいだね」苅部は言った。
「なにがいるんだ?」
「僕たちみたいな人。さっき、浜砂先生が言ってたけど」
「そうらしい」
「事情って言ってたけど、なんだろう」
「わからない。幾つもの答えが想定できる。可能性は無限にある。考えても無駄だ」
「普通クラスから、出たくないと思ってるのかなぁ。友達ができて、離れたくないとかさ」
「かなり、可能性の高い意見だ」と俺は評価した。
ひとつ思いついたことがあった。
「少し失礼かもしれない質問をしても良いだろうか」
「うん。内容にもよるけど、まあ良いよ」
「ありがとう」俺は言った。「苅部とは、まだそれほど長い時間を一緒に過ごしたわけではないが、俺には、苅部が極々普通の人間のように見える。なぜ、特別クラスに移動することになったのだろう。普通の人間のように装っているだけで、頭がおかしいのか?」
「ストレートだね」苅部は微笑する。「悪意がないのがわかるから、べつに良いけどさ」
「悪意はない。善意もないけれど。あるのは興味だ」
「自分のことは、よくわからないけどさ。あの検査で引っかかったんだから、どこかおかしいのかもね」
そう言って、苅部は自嘲気味に微笑んだ。
「元のクラスに、友達はいたか?」
「うん。そこまで親しい友達はいないけど、喋ったり、一緒にご飯を食べたりするくらいの人はいたよ。特別クラスに行くことになって、心配してくれた人もいた」
「ますます不思議だ」俺は言った。「元のクラスに戻るつもりはないのか?」
「こっちのクラス、ちょっと面白そうだし、いまのところ、そのつもりはないかな」
苅部は、俺の瞳をじっと見た。いままでにないほど強い視線だ。少しばかり気圧された。
「阿喰くんは、どうなの? 友達とかいた? 戻るつもりは?」
「友達の定義にもよるが、まあ、いなかったのだろう。最近は、ほとんど誰とも会話をしていなかった。俺は、昔からひとりになることが多かった。だから検査で弾かれたのかもしれない。苅部も、俺のことが嫌になったら、言って欲しい。話しかけないように努力する」
「なんか、可哀想」
「憐れむ必要はない。俺は、ひとりが嫌いじゃない。ふたりのほうが、嫌いじゃないけれど」
それから苅部と、些細な雑談を行った。授業はどこまで進んでいるのか、今後、食事などを一緒にするのか、など、どうでもよい話だった。
雑談をしているうちに、一時間目が終わり、二時間目までもが終わった。三時間目からは、普通に授業がはじまった。数学の授業だった。俺は数学が好きだ。高校で習う数学は、他の科目とは違い、非常にシンプルでわかりやすい。そのまま、四時間目の理科総合の授業も順調に終わった。
昼休みとなったところで、浜砂先生が現れた。今日の授業は昼までなので、あとは帰って良いという話だった。
「阿喰、ちょっと時間あるか?」浜砂先生が言った。「このあと、カウンセリングをしようと思うんだが」
「俺は、特に精神に不調を覚えているわけではありません。カウンセリングは不要です」
「カウンセリングといっても、軽く話をきく程度のものだ。きみだけじゃない。定期的に、きみたち全員と個別に面談をしようと思っている。十分くらいで終わるから、気負う必要はない」
「わかりました」
「わたしは普段、隣のカウンセリング室にいるから、何か相談があれば気軽に来ると良い。じゃあ、他のふたりは解散。帰ってよし」
雑賀は、先生の声に反応せず、参考書と向き合っている。まだ帰るつもりはないようだ。切りの良いところまでやっていくのだろうか、と想像する。
「どうする? 一緒に帰る? 待ってようか?」苅部は言った。
「苅部は、どこに住んでいるんだ? いや、もちろん、答えたくなければ、答えなくて良い。プライベートな質問をして悪い」
「学校の近くの、森山町ってところだけど」
「俺は電車通学だから、一緒には帰れない」
「そっか。残念。じゃ、また明日ね」
「また明日」と返す。
苅部と別れたあと、俺は、浜砂先生の後についてカウンセリング室へと移動した。
たしか、地図上にはカウンセリング室などなかったのではないか、と考えていた。浜砂先生が入っていったのは、第三多目的教室の隣にある、第三多目的準備室だった。準備室のドアには、白いコピー用紙が貼られている。その中央に『カウンセリング室』と黒マジックで書かれていた。実に汚い字だった。読む人が読めばカウソセいソグ室だ。
部屋のなかは、通常の教室の四分の一程度の広さしかなかった。床の上には大量の書物が積み重なっている。部屋の奥にある窓に向かって机が置かれており、その上にはノートパソコンが一台あった。部屋の中央に、背の低い木のテーブルがある。そのテーブルを挟み、ふたつの赤いソファが向かい合うようにして置かれている。先生は俺に、入って右手にあるソファへ座るよう促した。
俺がソファへ座ると、向かい合うようにして、浜砂先生もソファへ座った。
「どうだ? 学校は」
「質問が不明瞭であり、答えられません」
「そうそう、そう言うと思った」浜砂先生は微笑む。「これは、きみに言うかどうか、迷ったんだけどね。なんというか、きみは普通じゃないんだよ。教育者としては不適切な質問だが、研究者としては適切な質問をしよう。きみは、本当に人間なのか?」
俺以外の生徒に言えば、問題になる発言ではないか、と思った。
「俺は、自分を人間だと認識しています」
「そうなのか」浜砂先生は言った。「朝に話した、キューブの話は覚えているか?」
「キューブからはみ出る人間は、危険だという話でした」
「そうは言ってないと思うけれど」まあいい、と浜砂先生は話をつづける。「わたしの考案したテストを受けてもらえば、人の特性を数値化し、その後、多面体としてコンピュータ上で描画することができる」
浜砂は立ち上がり、壁際の机からノートパソコンを両手で持ちあげ、こちらのテーブルへと移した。俺のほうに画面を向ける。そこには立方体が映っていた。
「これが、まあ、普通の人間だ」
浜砂がキーを叩くと、立方体のなかに多面体が表示された。幾つの頂点があるのかはわからない。一言では形容のできない、非常に複雑な形をしている。
「人間は石のようなものだ。同じ形のものは、ひとつとして存在しない」
キーを叩くごとに、多面体が現れては消える。丸みを帯びているように見えるものや、尖っているように見えるものなど、様々な形があった。表示された多面体は、どれも違う形だが、しかし立方体からは、はみ出ていない。
「これが適応値の低い人間だ」
基本的には、さきほどまでの図形と一緒だ。しかし、幾つかの頂点が、立方体から突出してしまっている。
「そして、これがきみだ」
表示された多面体は、すべての頂点がはみ出ており、人の枠組みである立方体を包みこむようになっていた。
なるほど。たしかに俺は、異常らしい。
「雑賀更紗は、どうやら会話を好まない人種のようだ」
一応、雑賀の邪魔にならないよう小声で話した。しかし、雑賀にはきこえているだろう。
「うん。そうだと思った」苅部は言った。「ちょっと、どきどきしたよ」
「どきどき」俺は苅部の発した言葉を復唱する。「心臓が激しく鳴った音だと推察されるが、なぜ、苅部が、そのような状態になったのか、疑問だ」
「えっと、ふたりの会話が、スリリングだったからかな」
「お互いに意見を交換しただけだ。スリリングだという認識はない。それに、たとえスリリングな会話だったとしても、他人の会話をきいているだけで、そこまで心臓の鼓動が早まったりするだろうか。本当は、どきどきしなかったのではないか」
「まあ、言われてみれば、そうだね。どきどきしてなかったかも。わくわくかな。これも、ちょっと変だけど」
苅部は話が通じる人間だ。俺は誰かと話をしていると、途中で、なぜか会話が終わってしまう。一度、その理由を問い質してみたことがあるのだが『阿喰くんと話すの、面倒くさいんだよね』と言われてしまった。
「まだいるみたいだね」苅部は言った。
「なにがいるんだ?」
「僕たちみたいな人。さっき、浜砂先生が言ってたけど」
「そうらしい」
「事情って言ってたけど、なんだろう」
「わからない。幾つもの答えが想定できる。可能性は無限にある。考えても無駄だ」
「普通クラスから、出たくないと思ってるのかなぁ。友達ができて、離れたくないとかさ」
「かなり、可能性の高い意見だ」と俺は評価した。
ひとつ思いついたことがあった。
「少し失礼かもしれない質問をしても良いだろうか」
「うん。内容にもよるけど、まあ良いよ」
「ありがとう」俺は言った。「苅部とは、まだそれほど長い時間を一緒に過ごしたわけではないが、俺には、苅部が極々普通の人間のように見える。なぜ、特別クラスに移動することになったのだろう。普通の人間のように装っているだけで、頭がおかしいのか?」
「ストレートだね」苅部は微笑する。「悪意がないのがわかるから、べつに良いけどさ」
「悪意はない。善意もないけれど。あるのは興味だ」
「自分のことは、よくわからないけどさ。あの検査で引っかかったんだから、どこかおかしいのかもね」
そう言って、苅部は自嘲気味に微笑んだ。
「元のクラスに、友達はいたか?」
「うん。そこまで親しい友達はいないけど、喋ったり、一緒にご飯を食べたりするくらいの人はいたよ。特別クラスに行くことになって、心配してくれた人もいた」
「ますます不思議だ」俺は言った。「元のクラスに戻るつもりはないのか?」
「こっちのクラス、ちょっと面白そうだし、いまのところ、そのつもりはないかな」
苅部は、俺の瞳をじっと見た。いままでにないほど強い視線だ。少しばかり気圧された。
「阿喰くんは、どうなの? 友達とかいた? 戻るつもりは?」
「友達の定義にもよるが、まあ、いなかったのだろう。最近は、ほとんど誰とも会話をしていなかった。俺は、昔からひとりになることが多かった。だから検査で弾かれたのかもしれない。苅部も、俺のことが嫌になったら、言って欲しい。話しかけないように努力する」
「なんか、可哀想」
「憐れむ必要はない。俺は、ひとりが嫌いじゃない。ふたりのほうが、嫌いじゃないけれど」
それから苅部と、些細な雑談を行った。授業はどこまで進んでいるのか、今後、食事などを一緒にするのか、など、どうでもよい話だった。
雑談をしているうちに、一時間目が終わり、二時間目までもが終わった。三時間目からは、普通に授業がはじまった。数学の授業だった。俺は数学が好きだ。高校で習う数学は、他の科目とは違い、非常にシンプルでわかりやすい。そのまま、四時間目の理科総合の授業も順調に終わった。
昼休みとなったところで、浜砂先生が現れた。今日の授業は昼までなので、あとは帰って良いという話だった。
「阿喰、ちょっと時間あるか?」浜砂先生が言った。「このあと、カウンセリングをしようと思うんだが」
「俺は、特に精神に不調を覚えているわけではありません。カウンセリングは不要です」
「カウンセリングといっても、軽く話をきく程度のものだ。きみだけじゃない。定期的に、きみたち全員と個別に面談をしようと思っている。十分くらいで終わるから、気負う必要はない」
「わかりました」
「わたしは普段、隣のカウンセリング室にいるから、何か相談があれば気軽に来ると良い。じゃあ、他のふたりは解散。帰ってよし」
雑賀は、先生の声に反応せず、参考書と向き合っている。まだ帰るつもりはないようだ。切りの良いところまでやっていくのだろうか、と想像する。
「どうする? 一緒に帰る? 待ってようか?」苅部は言った。
「苅部は、どこに住んでいるんだ? いや、もちろん、答えたくなければ、答えなくて良い。プライベートな質問をして悪い」
「学校の近くの、森山町ってところだけど」
「俺は電車通学だから、一緒には帰れない」
「そっか。残念。じゃ、また明日ね」
「また明日」と返す。
苅部と別れたあと、俺は、浜砂先生の後についてカウンセリング室へと移動した。
たしか、地図上にはカウンセリング室などなかったのではないか、と考えていた。浜砂先生が入っていったのは、第三多目的教室の隣にある、第三多目的準備室だった。準備室のドアには、白いコピー用紙が貼られている。その中央に『カウンセリング室』と黒マジックで書かれていた。実に汚い字だった。読む人が読めばカウソセいソグ室だ。
部屋のなかは、通常の教室の四分の一程度の広さしかなかった。床の上には大量の書物が積み重なっている。部屋の奥にある窓に向かって机が置かれており、その上にはノートパソコンが一台あった。部屋の中央に、背の低い木のテーブルがある。そのテーブルを挟み、ふたつの赤いソファが向かい合うようにして置かれている。先生は俺に、入って右手にあるソファへ座るよう促した。
俺がソファへ座ると、向かい合うようにして、浜砂先生もソファへ座った。
「どうだ? 学校は」
「質問が不明瞭であり、答えられません」
「そうそう、そう言うと思った」浜砂先生は微笑む。「これは、きみに言うかどうか、迷ったんだけどね。なんというか、きみは普通じゃないんだよ。教育者としては不適切な質問だが、研究者としては適切な質問をしよう。きみは、本当に人間なのか?」
俺以外の生徒に言えば、問題になる発言ではないか、と思った。
「俺は、自分を人間だと認識しています」
「そうなのか」浜砂先生は言った。「朝に話した、キューブの話は覚えているか?」
「キューブからはみ出る人間は、危険だという話でした」
「そうは言ってないと思うけれど」まあいい、と浜砂先生は話をつづける。「わたしの考案したテストを受けてもらえば、人の特性を数値化し、その後、多面体としてコンピュータ上で描画することができる」
浜砂は立ち上がり、壁際の机からノートパソコンを両手で持ちあげ、こちらのテーブルへと移した。俺のほうに画面を向ける。そこには立方体が映っていた。
「これが、まあ、普通の人間だ」
浜砂がキーを叩くと、立方体のなかに多面体が表示された。幾つの頂点があるのかはわからない。一言では形容のできない、非常に複雑な形をしている。
「人間は石のようなものだ。同じ形のものは、ひとつとして存在しない」
キーを叩くごとに、多面体が現れては消える。丸みを帯びているように見えるものや、尖っているように見えるものなど、様々な形があった。表示された多面体は、どれも違う形だが、しかし立方体からは、はみ出ていない。
「これが適応値の低い人間だ」
基本的には、さきほどまでの図形と一緒だ。しかし、幾つかの頂点が、立方体から突出してしまっている。
「そして、これがきみだ」
表示された多面体は、すべての頂点がはみ出ており、人の枠組みである立方体を包みこむようになっていた。
なるほど。たしかに俺は、異常らしい。