第39話 メロンソーダとクリームは、全然違う。似て非なるものだ

文字数 3,066文字

 翌日、五月二十五日、木曜日。柳井が学校に来ることはなかった。

 引っ越しの準備をするため、休校することになったらしい。そのような情報を、ハーモニーが教えてくれた。

 そういえば、柳井が海外に引っ越すという話を、以前にどこかできいたような気もする。

 池永、木崎、吉井の三人には、問題が解決したことだけを伝えた。誰が犯人だかは言わなかった。柳井が犯人だったと伝えても良いが、面倒なことになりそうな気がしたのだ。

 三人には、ようやく平穏な日々が訪れたと言える。

 雑賀は相変わらず、自分の席に座って勉学に取り組んでいる。

 俺と苅部は、暇さえあれば雑談をした。少し仲が良くなったと思う。

 ハーモニーは眠っていた。

 そうして、事件から二日過ぎた、五月二十六日、金曜日の夜に柳井からメッセージが届いた。

『出発前に、お話がしたいです。会えませんか』

 少し迷ったが、了承した。

 俺も柳井にきいておきたかったことが、幾つかあったのだ。翌日、五月二十七日の土曜日に会うことになった。

 柳井の指定した場所は、駅の五階にある広場だった。俺は駅の構造に疎かったので、携帯端末の地図を使って頑張ったのだが、無理だった。辿り着けない。平面としては辿り着いているはずなのだが、立体的に辿り着いていない。不思議なものだった。諦めて駅員に尋ねることを繰り返し、なんとか辿り着けた。

 奇怪なオブジェの下に、柳井の姿があった。

「待たせたな」

「うん、十分くらい待ったかな」

 現在時刻は午後二時五十五分である。

「約束の時間までは、あと五分ある」

「デートのときは、女の子よりも早く来ないと」

「これはデートなのか?」

「さ、行こう」と柳井は俺の言葉を無視し、手を取った。

 手をつなぐ、というよりは連行されるのほうが近い。

「どこに行くんだ?」

「お昼ご飯、もう食べた?」

「いや、まだだ。あとで、帰りにコンビニに寄って、あんパンでも買おうかと考えていた」

「あんパン、好きなの?」

「好きではない。俺が好きなのは、メロンソーダだ」

「じゃ、奢ってあげるから」

 そのまま、軽食屋へと入った。柳井はクレープとメロンクリームを注文していた。俺も注文しようとしたのだが、柳井が店員に以上ですと言ってしまった。

「メロンソーダを奢ってくれるのでは?」

「メロンクリームじゃダメ?」

「メロンソーダとクリームは、全然違う。似て非なるものだ」

「ま、いいじゃん。大体一緒でしょ」

 俺はショックを受けていた。なぜか泣きそうだった。まあ、泣いたことなどないのだが。

 昼食時からずれていたこともあり、店内は、さほど混んでいなかった。注文した品が、すぐに届いた。俺は陰鬱な気分で、メロンクリームを食べてみた。意外と美味しい、かもしれない。しかし、メロンソーダには敵わないだろう。そう思って食べ、飲みを繰り返しているうちに、これはこれで悪くないという結論に達した。なかなかやるじゃないか。認めてやろう、みたいな気分になった。

「悪くない」

「でしょ?」柳井は微笑む。

「今日は、デートをしたくて俺を誘ったのか?」

「うん、まあ、そんな感じかな。日本を発つ前に、話がしておきたくて」

「何を話したいんだ?」

「わかんない」

「話したくないんじゃないか?」

「さあ、どうでしょう」

 クモのように掴み所がない、という表現が連想された。しかし、クモは腹の部分を掴めると思う。いったい、どういうことだろう。改めて考えてみると、不思議な表現だ。

「ふたつ、ききたいことがある」

 べつに、きかなくても良いことではあるけれど。

「うん。今日は、なんでも答えちゃう。かも」

「あのとき、つまり俺ときみがセックスをしそうになっていたとき、雑賀に、なんて言われたんだ?」

 えっとね、と前置きをして、柳井は言った。

「あなた、人間を操るのは上手なようだけれど、残念ね」雑賀の真似をしていた。少しだけ似ていた。「わたしたちは、人間の枠を越えた異常者なの。阿喰なんて、怪物よ。その怪物に体を許すなんて、本当におぞましい。ぞっとするわ」

「なかなかひどいことを言うな」

「わたしじゃなくて、雑賀さんが言ってたことだからね」柳井は微笑む。「ね。ひどいよね。わたし、笑っちゃったよ」

 もうひとつの疑問も、解消しておくことにした。

「なんで、人を操ったりしたんだ?」

「できたから? かな?」柳井は曖昧に言った。「人を操れるなって気づいて。だから、いろいろ悪用してみた。それだけ。本当の動機なんて、そんなのわかんないけど。楽しかったからかな?」

「そうか。まあ、そういうものなのかもしれないな」

「もう、質問はない?」

「そうだな」俺は二秒考えた。「利倉は、操られていたのか? 操られていなかったのか?」

 利倉が吉井にしたことは、ひどいことだったのではないか、と考えた。それが操られた上での行動であれば、仕方がないかもしれない。しかし、そうでなかったのだとすると、少し面倒だな、と考えていたのだ。

「ああ、利倉さん? あの人ね、本当は、心がとてもやさしい人だから。誤解しないように。吉井さんを虐めてたのを悔やんで、何度か警察に行こうとしてたの。その度に、頑張って止めたけどね」

「そうか。それは良かった」言葉にして、すぐに、良かったのだろうか、と思った。

「利倉さんが、何を理由に脅迫されてたか、知りたくない?」

「いや」微塵も知りたくなかった。

「あのね、利倉さんは、池永さんの体操服の匂いを嗅いでたの。他にもいろいろあってね」

「べつに知りたくなかったのだが」

「置き土産」と微笑む。

 まあ、どうでも良い。そのような情報は、明日になれば忘れているだろう。

 そのとき、ふと思いついたことがあった。

「きみが、雑賀に犯人だと気づかれたのは、わざとじゃないか?」

「おっと」柳井の顔が引き締まった。「どうして、そう思うの?」

「ばれないようにする方法は、幾らでもあった。そもそも、最後の行動が不自然だ。わざわざ俺の貞操を奪う必要はない。雑賀に屈辱を与えるにしても、もっと他にやりようはあったはずだ。それに、俺が新しく時計型端末をつけていたことにも、気づいていたのでは?」

「さあ、どうでしょう」柳井は微笑む。

「結局、雑賀もまた、きみに操られていたのか?」

 柳井は微笑んだまま、答えず、伝票を手にして席を立った。

 柳井の姿を見送りながら、クリームソーダを飲む。美味しい。

 果たして、柳井は何をしたかったのだろう。ただ、日本を発つ前に、何かをしたかった。雑賀の記憶に残るような行動をしたかった。そういうことだろうか。最後に、雑賀に勝ちたかったのか。あるいは、柳井本人が言っていたように、単に楽しかったからか。

 まあ、動機なんてどうでもいい。不定だ。

 なにはともあれ、もう柳井と会うことはないのだ。少しだけ、さびしく感じた。

 皆が……雑賀でさえも、柳井に操られていた。

 そういえば、雑賀の靴の代金を返してもらうのを忘れていた。

 俺の財布から貸しておいた千円もだ。

 急いで柳井にメッセージを送ったが、エラーが返ってきた。

 アカウントが停止されている。

 まあ、仕方がない。俺は深く息を吐いて、帰路についた。
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