第24話 栗を拾えば良いのか?
文字数 3,593文字
昼休みに、俺はひとりで柳井の教室へと向かった。池永という女子生徒を観察する必要があったのだ。教室のなかに入り、見まわしたが、しかし、誰が池永なのかはわからなかった。事前に情報を得ておくべきだった。どうしたものかと思案していると、柳井が近づいてきた。
「どうしたの?」
「池永を探しているんだ」
「もう、お昼ご飯を食べに、食堂に行ったよ」柳井は言った。「あのさ、みんなの注目を浴びてるから、外に出よう」
「注目されていたのか」たしかに、なぜかじろじろと見られるな、とは思った。「教室に入っただけで、そこまで注目するほどのことだろうか?」
「普通なら、ちょっと見られるだけだと思うけど、きみ、渦中の人だから」
「栗を拾えば良いのか?」俺はジョークを言ってみた。
「それは、イン・ファイア」
正確にはアウト・オブ・ザ・ファイアだな、と思った。
「とりあえず、外に行こう」と柳井が言った。
促されるがまま、教室の外へ出た。柳井がゆっくりと廊下を歩いていく。どこへ行くのかわからないが、ついていくことにした。
「俺が、なぜ、渦中の人なんだ?」背後から声をかけた。
「だって、雑賀さんとつきあってるんでしょう?」くるり、と振り返って答えた。
「どうやら、そうらしい」俺はうなずいた。「雑賀が、そう言っていた」
「みんな、噂してたよ。朝、手を繋いで登校してたってきいたし」
「それは事実だ」
「すごいよね。あの雑賀さんとつきあうなんて」柳井は俺に並んで歩く。
「あの雑賀以外に、どの雑賀がいるんだ?」
「どっちから告白したの?」柳井は俺の質問を無視した。
「雑賀が言うには、俺が告白したらしい」その記憶はなかった。「しかし、そんなに噂になっているのか?」
「うん。ネットでは、もう、その話題で持ちきりなんだから」
「俺は、そんなに有名人だったのか」
「阿喰くんも、変な人ってことで、一部では有名だけど。雑賀さんがね。学校一の美人だし、それに、入試の点数が一番高かったんでしょ。入学式でスピーチしてたし、そのときから、ずっと人気だよ」
入学式は、楽しみすぎて、前夜に一睡もできなかったため、半分以上の時間を寝て過ごした。よって、雑賀がスピーチをしていたことなど知らなかった。覚えているのは、浜砂先生の、特別クラスをつくるという宣言くらいである。
会話をしていると、いつの間にか食堂へ辿り着いていた。
「一緒にご飯食べない?」と柳井が提案する。
「構わない」俺は言った。「しかし、昼飯を忘れてきた」
「それなら、購買で買えば良いよ」
昼飯は、教室に忘れて来たのだ。しかし、どうやら柳井は、俺が昼飯を家に忘れて来たと勘違いしたようだ。訂正も面倒だし、指摘するほどのミスでもない。あんパンは家に帰ってから、あるいは放課後に食べることに決めた。柳井と一緒に食堂へ入る。
「池永と一緒に食事を摂れると良いのだが」
「うーん、それはどうだろうね」柳井は微笑した。苦笑かもしれない。あるいは、微苦笑ということも考えられる。「池永さんの近くの席が空いていれば、そこで観察したら?」
悪くないアイディアだった。
俺は購買で、あんパンを買った。
柳井はラーメンセットを頼んでいた。ラーメン、餃子、それにチャーハンがついて三百円である。手頃な価格であり、人気の高いメニューだ。利益が出ているとは思えない。
柳井は首を左右に動かし、周囲を見まわしていた。やがて、池永を発見したようで、壁際のカウンター席に座った。俺もその隣に腰を下ろす。
「すぐ後ろの席にいるから、静かにね」と耳打ちされた。
耳打ちというのは、小声でささやくという意味である。耳を殴られた、ということではない。
背後をそっと確認する。そこには髪を茶色に染めた女性生徒が、ふたり座っていた。髪の黒い生徒もふたりいたが、ひとりはロングヘアで、もうひとりはショートヘアだった。合計四人で、ひとつのテーブルを囲んでいる。
「どれが池永だ?」俺も小さな声で言った。
「金髪の、スカートが短いほう」
後ろにいるふたりの髪色は、金髪というには暗い。茶髪のほうが適切だろうと思われた。柳井は、色認識の機能が狂っているのかもしれない。あるいは、色盲だということも考えられる。
我が校の校則に、髪色に関する規定は存在しない。スカートは、どちらも短かったが、ひとりのほうは大腿が見えそうだった。アングルによっては下着が見えてもおかしくない。自身の大腿によほどの自信があるに違いなかった。恐らくは、こちらが池永だろう。
「池永じゃないほうの茶髪は誰だ?」と俺はきいた。
「利倉さん。あと、髪が黒で、ロングのほうが島川さん、ショートのほうが吉井さん」
四人の会話の内容は、俺にとってはくだらないものだった。はっきり言って興味がない。昨日見たドラマの話や、そのときに流れていたCMの話、あとはウェブで流行っている動画の話などがつづいた。可愛い動物動画の話だけは、興味があったので、出てきたワードで思わず調べてしまった。たしかに可愛いハムスターの動画だった。可愛い動物フォルダに、ブックマークを追加しておいた。
彼女たちの会話は非常に流動的で、留まるところを知らない。会話が途中なのに、すぐ別の話題に切り替わるので、さっきの話はどうなったのか、と心配になる。コミュニケーションが成立しているようには見えない。不思議な状態だ。やがて、話題は恋愛へと移っていった。
「雑賀が、なんかつきあいはじめたらしいね」池永の隣に座る茶髪、利倉が言った。
「ああ、それネットで見たわ」池永が、携帯端末を弄りながら答える。「男の画像、アップされてたけど、なんであんなのとつきあったんだろ。全然イケメンじゃないし」
俺の画像が流出しているらしい。由々しき事態である。
「顔じゃないんじゃん?」黒くてロングの女、島川が言った。「ほら、お金持ちとかさ」
「男の小遣いは、月に二千円だって。ハーモニーちゃんがネットで言ってたわ」と池永。
どうやら、俺の情報を流出させている犯人は、ハーモニーのようだった。
「他、なんか情報あった?」利倉がさらにきく。
「えっと、なんか、教室では、男同士でいちゃいちゃしてることもあるらしいよ」と池永。
「たしか、特別クラスって、男は阿喰くんと、苅部くんしかいないよね」島川の声が、急に大きくなった。「最高ですな」
「またいつもの病気だよ」池永は少し呆れたようすだった。「苅部は、まあ、童顔で可愛いけど、相手の男、こんなだよ?」
池永は携帯端末を机に広げ、皆に見せていた。
「うん」島川は言った。「これはこれで、ありですな」
「あんた、なんでもありじゃん」と池永。「どっちが責めで、どっちが受け?」
「苅部責め、阿喰受けですな」島川はさらにつづける。「逆もまた然りですな」
よくわからないワードがつづいていたが、なんとなく不快だった。
「池ちゃんって、雑賀のこと嫌いじゃなかったっけ?」利倉が尋ねる。「ヨッシーにさ、その男を誘惑させるのって、どう? 面白そうじゃない?」
「雑賀は、べつに嫌いじゃないけど……」池永は言った。「ヨッシーじゃ無理じゃん? 色気とかないし」
「いけるよな?」利倉が、ずっと黙ったままだった黒短髪の女に強い口調で言った。名前は、さっき柳井が言っていたはずだが、忘れてしまった。ひとまずヨッシーということにしておこう。
「そんなの、無理だよ」ヨッシーが小さな声を出した。
「いけるいけるって。思春期の男なんて、胸をさわらせたらイチコロだって」
「イチコロって何?」島川が言った。「イチゴコロッケの略?」
「なんじゃそりゃ」池永が言った。「食い合わせ、最悪じゃん。たぶんだけど」
「イチゴ責め、コロッケ受け」と島川。「その逆もまた然りですな」
「わけわからん」池永は言った。
俺もまったく池永の意見に同意だった。
「なあ、ヨッシー、いけるしょ?」いけるしょ。謎の日本語だ。「いっそ、やらせてやりゃいいじゃん。もう処女でもないんだし」
ヨッシーは、黙ったまま答えない。下を向いて、俯いていた。体が震えている。そのまま、机に突っ伏した。どうやら、泣き出したようだ。
「まーたヨッシー泣いてんよ」利倉が楽しそうに言った。
「これは、虐めというやつでは?」俺は、隣に座る柳井に尋ねた。
「うん。まあ、いつも、こんな感じかな」
立ち上がった。柳井が俺の服の裾を掴んだが、無視した。
そして俺は、背後に座っている池永に言った。
「俺の話をしているなら、混ぜてくれないか」
「どうしたの?」
「池永を探しているんだ」
「もう、お昼ご飯を食べに、食堂に行ったよ」柳井は言った。「あのさ、みんなの注目を浴びてるから、外に出よう」
「注目されていたのか」たしかに、なぜかじろじろと見られるな、とは思った。「教室に入っただけで、そこまで注目するほどのことだろうか?」
「普通なら、ちょっと見られるだけだと思うけど、きみ、渦中の人だから」
「栗を拾えば良いのか?」俺はジョークを言ってみた。
「それは、イン・ファイア」
正確にはアウト・オブ・ザ・ファイアだな、と思った。
「とりあえず、外に行こう」と柳井が言った。
促されるがまま、教室の外へ出た。柳井がゆっくりと廊下を歩いていく。どこへ行くのかわからないが、ついていくことにした。
「俺が、なぜ、渦中の人なんだ?」背後から声をかけた。
「だって、雑賀さんとつきあってるんでしょう?」くるり、と振り返って答えた。
「どうやら、そうらしい」俺はうなずいた。「雑賀が、そう言っていた」
「みんな、噂してたよ。朝、手を繋いで登校してたってきいたし」
「それは事実だ」
「すごいよね。あの雑賀さんとつきあうなんて」柳井は俺に並んで歩く。
「あの雑賀以外に、どの雑賀がいるんだ?」
「どっちから告白したの?」柳井は俺の質問を無視した。
「雑賀が言うには、俺が告白したらしい」その記憶はなかった。「しかし、そんなに噂になっているのか?」
「うん。ネットでは、もう、その話題で持ちきりなんだから」
「俺は、そんなに有名人だったのか」
「阿喰くんも、変な人ってことで、一部では有名だけど。雑賀さんがね。学校一の美人だし、それに、入試の点数が一番高かったんでしょ。入学式でスピーチしてたし、そのときから、ずっと人気だよ」
入学式は、楽しみすぎて、前夜に一睡もできなかったため、半分以上の時間を寝て過ごした。よって、雑賀がスピーチをしていたことなど知らなかった。覚えているのは、浜砂先生の、特別クラスをつくるという宣言くらいである。
会話をしていると、いつの間にか食堂へ辿り着いていた。
「一緒にご飯食べない?」と柳井が提案する。
「構わない」俺は言った。「しかし、昼飯を忘れてきた」
「それなら、購買で買えば良いよ」
昼飯は、教室に忘れて来たのだ。しかし、どうやら柳井は、俺が昼飯を家に忘れて来たと勘違いしたようだ。訂正も面倒だし、指摘するほどのミスでもない。あんパンは家に帰ってから、あるいは放課後に食べることに決めた。柳井と一緒に食堂へ入る。
「池永と一緒に食事を摂れると良いのだが」
「うーん、それはどうだろうね」柳井は微笑した。苦笑かもしれない。あるいは、微苦笑ということも考えられる。「池永さんの近くの席が空いていれば、そこで観察したら?」
悪くないアイディアだった。
俺は購買で、あんパンを買った。
柳井はラーメンセットを頼んでいた。ラーメン、餃子、それにチャーハンがついて三百円である。手頃な価格であり、人気の高いメニューだ。利益が出ているとは思えない。
柳井は首を左右に動かし、周囲を見まわしていた。やがて、池永を発見したようで、壁際のカウンター席に座った。俺もその隣に腰を下ろす。
「すぐ後ろの席にいるから、静かにね」と耳打ちされた。
耳打ちというのは、小声でささやくという意味である。耳を殴られた、ということではない。
背後をそっと確認する。そこには髪を茶色に染めた女性生徒が、ふたり座っていた。髪の黒い生徒もふたりいたが、ひとりはロングヘアで、もうひとりはショートヘアだった。合計四人で、ひとつのテーブルを囲んでいる。
「どれが池永だ?」俺も小さな声で言った。
「金髪の、スカートが短いほう」
後ろにいるふたりの髪色は、金髪というには暗い。茶髪のほうが適切だろうと思われた。柳井は、色認識の機能が狂っているのかもしれない。あるいは、色盲だということも考えられる。
我が校の校則に、髪色に関する規定は存在しない。スカートは、どちらも短かったが、ひとりのほうは大腿が見えそうだった。アングルによっては下着が見えてもおかしくない。自身の大腿によほどの自信があるに違いなかった。恐らくは、こちらが池永だろう。
「池永じゃないほうの茶髪は誰だ?」と俺はきいた。
「利倉さん。あと、髪が黒で、ロングのほうが島川さん、ショートのほうが吉井さん」
四人の会話の内容は、俺にとってはくだらないものだった。はっきり言って興味がない。昨日見たドラマの話や、そのときに流れていたCMの話、あとはウェブで流行っている動画の話などがつづいた。可愛い動物動画の話だけは、興味があったので、出てきたワードで思わず調べてしまった。たしかに可愛いハムスターの動画だった。可愛い動物フォルダに、ブックマークを追加しておいた。
彼女たちの会話は非常に流動的で、留まるところを知らない。会話が途中なのに、すぐ別の話題に切り替わるので、さっきの話はどうなったのか、と心配になる。コミュニケーションが成立しているようには見えない。不思議な状態だ。やがて、話題は恋愛へと移っていった。
「雑賀が、なんかつきあいはじめたらしいね」池永の隣に座る茶髪、利倉が言った。
「ああ、それネットで見たわ」池永が、携帯端末を弄りながら答える。「男の画像、アップされてたけど、なんであんなのとつきあったんだろ。全然イケメンじゃないし」
俺の画像が流出しているらしい。由々しき事態である。
「顔じゃないんじゃん?」黒くてロングの女、島川が言った。「ほら、お金持ちとかさ」
「男の小遣いは、月に二千円だって。ハーモニーちゃんがネットで言ってたわ」と池永。
どうやら、俺の情報を流出させている犯人は、ハーモニーのようだった。
「他、なんか情報あった?」利倉がさらにきく。
「えっと、なんか、教室では、男同士でいちゃいちゃしてることもあるらしいよ」と池永。
「たしか、特別クラスって、男は阿喰くんと、苅部くんしかいないよね」島川の声が、急に大きくなった。「最高ですな」
「またいつもの病気だよ」池永は少し呆れたようすだった。「苅部は、まあ、童顔で可愛いけど、相手の男、こんなだよ?」
池永は携帯端末を机に広げ、皆に見せていた。
「うん」島川は言った。「これはこれで、ありですな」
「あんた、なんでもありじゃん」と池永。「どっちが責めで、どっちが受け?」
「苅部責め、阿喰受けですな」島川はさらにつづける。「逆もまた然りですな」
よくわからないワードがつづいていたが、なんとなく不快だった。
「池ちゃんって、雑賀のこと嫌いじゃなかったっけ?」利倉が尋ねる。「ヨッシーにさ、その男を誘惑させるのって、どう? 面白そうじゃない?」
「雑賀は、べつに嫌いじゃないけど……」池永は言った。「ヨッシーじゃ無理じゃん? 色気とかないし」
「いけるよな?」利倉が、ずっと黙ったままだった黒短髪の女に強い口調で言った。名前は、さっき柳井が言っていたはずだが、忘れてしまった。ひとまずヨッシーということにしておこう。
「そんなの、無理だよ」ヨッシーが小さな声を出した。
「いけるいけるって。思春期の男なんて、胸をさわらせたらイチコロだって」
「イチコロって何?」島川が言った。「イチゴコロッケの略?」
「なんじゃそりゃ」池永が言った。「食い合わせ、最悪じゃん。たぶんだけど」
「イチゴ責め、コロッケ受け」と島川。「その逆もまた然りですな」
「わけわからん」池永は言った。
俺もまったく池永の意見に同意だった。
「なあ、ヨッシー、いけるしょ?」いけるしょ。謎の日本語だ。「いっそ、やらせてやりゃいいじゃん。もう処女でもないんだし」
ヨッシーは、黙ったまま答えない。下を向いて、俯いていた。体が震えている。そのまま、机に突っ伏した。どうやら、泣き出したようだ。
「まーたヨッシー泣いてんよ」利倉が楽しそうに言った。
「これは、虐めというやつでは?」俺は、隣に座る柳井に尋ねた。
「うん。まあ、いつも、こんな感じかな」
立ち上がった。柳井が俺の服の裾を掴んだが、無視した。
そして俺は、背後に座っている池永に言った。
「俺の話をしているなら、混ぜてくれないか」