第05話 それでは後者にしよう
文字数 2,990文字
ハーモニーは、結局、五時間目も六時間目も、授業が終わるまで、ずっと眠っていた。授業の終わりを告げるチャイムと同時に目を覚ます。器用なものだった。あるいは、すでに授業中に目が覚めていたのだが、寝た振りをしていたのかもしれない。
ホームルームのあと、俺は帰り仕度をしているハーモニーに声をかけた。
「きみの家は、どこにあるんだ?」
「なにそれ。気持ち悪い。なんで、あんたなんかに家を教えないといけないわけ?」
「教えたくなければ教えなくとも良い。ただ、気になっただけだ。家が近いのであれば、一緒に帰るということも考えられる」
「なに? あんた、わたしと一緒に帰りたいの?」
「積極的に帰りたいかどうかと言われると、難しいところだ。しかし、折角同じクラスになったのだから、少しは仲良くなろうかと考えた次第だ。きみが嫌なのであれば、踏み込まない」
「嫌ってわけじゃないけど。あんた、意外と勇気あるよね。わたし、こんな容姿だし、ずっと寝てるし。あんまり、声を掛けられたりしないんだけど」
「容姿は良いだろう」俺は言った。「そして、眠っていないときに声を掛ければ良い」
「いや、そういうわけじゃなくて」ハーモニーは二秒黙った。「なんか、あんたと話してると、疲れる」
「よく言われる」
そのような話をしている間に、雑賀が、さっさと荷物をまとめて去っていく。
「苅部も、帰って良いぞ。俺ときみは、一緒には帰らないんだから」
「なんか冷たいなぁ」
「家の方向が違うのだから、仕方ない」
「でもさ、靴箱までは、一緒に行けるじゃない」
「一理ある」俺は言った。「それでは、ハーモニーとの話が終わるまで、待っていてくれ」
「もう終わるところだけどね」ハーモニーは言った。「わたし、バスだから」
バスならば一緒には帰れなかった。
三人で靴箱まで移動することになった。先頭をハーモニーが歩き、その後ろに俺と苅部が並ぶ。果たして、この集団行動に、どれだけの意味があるのだろうと考えた。ひとりで帰っても、三人で帰っても、何が変わるわけではない。
校門までは一緒に歩いた。そこから先は別れることになる。校門を出て左手が駅で、右手に少し進むとバス停が、そして、その先に苅部の住む家があった。
「それでは」と俺は言った。
「これから、一帆と、あんたの悪口を言い合うから」ハーモニーが笑顔を見せる。
「ご自由に」
「そんなことしないよ」苅部が慌てたようすで言った。
「家に帰るまで、どんな悪口を言われているのか、悶々としなさい」
「言わないからね」苅部が叫ぶ。
俺のいないところで何を言われても、気にならない。それは俺の管轄外だ。遠い異国で起きている戦争と大差なかった。相手にどう思われても、俺という個体には影響を及ぼさない。
ふたりと別れて、駅へ向かった。多くの学生が、群れを成して歩いている。ひとりで歩いている者も少なくない。ひとりで歩いている生徒は、イヤホンを耳につけ、携帯端末を見ながら道を歩いている。ひとりのように見えるが、実際はインターネット上で多くの人間と繋がっているのかもしれない。目に見えるものがすべて正しいとは限らないし、すべてのものが自分の目に見えているとも限らない。
階段を降りて、改札を抜けて、階段を上り、駅のホームへと到着する。なぜ、わざわざ地下に改札があるのだろう。踏切をつくるのが面倒だからか……。
駅のホームには学生が多い。そのなかに、見知った顔を発見した。雑賀だった。彼女は腕を組み、前方をじっと睨みつけている。俺は、雑賀が他人から話し掛けられるのを好まないと学習していた。そっとしておいてやろう、と考える。けれども、できなかった。ついつい、話かけてしまう。
「雑賀」俺は言った。「靴を履き替え忘れているぞ」
雑賀は、学校内で履いているスリッパを、いまだに履いていた。
「普段から、スリッパで生活しているの」雑賀は答えた。
嘘だろう、と思った。
「上履きと下履きで、ちゃんと変えているんだろうな?」
「もちろん」雑賀は前方を向いたまま答えた。
「オススメはしない」
「どうして」
「スリッパに名前が書いてあるから、個人情報が垂れ流しになっている」
「そうね」
雑賀はうなずいた。鞄を下ろし、チャックをあけて、なかから筆箱を取りだした。
何をするのだろう、と観察していると、雑賀は筆箱から黒マジックを手に取り、スリッパの名前を塗りつぶしはじめた。
「はい。これで完璧」マジックペンをしまい、鞄を手に取った。
「幾分か改善されたと言える」しかし。「スリッパは、走るのに適していない。スニーカーをおすすめする」
「走らないから、これで良い」正論だった。「わたしをひとりにするか、面白い話をしなさい」
「それでは後者にしよう」俺は十秒考えた。思いついた。「現在、日本に住んでいるすべての人間のうち、もっとも誕生日を迎える人の少ない日は、何月何日か?」
「なにそれ。クイズ?」
「いま思いついたクイズだ」
雑賀はフリーズした。思考をしているのだろう。
一秒、二秒と時間は過ぎていく。十秒を越えたところで、雑賀の思考速度が大体把握できた。
そうしているうちに、電車が到着した。俺は乗り込もうとしたが、雑賀に制服の背中の裾をつかまれた。
「いま、わたしが考えているでしょう?」
「電車のなかで考えればいい」
「わたし、二駅しか乗らないから」
「俺は五駅乗るんだ」いま乗らないと、家に帰るのが遅くなってしまう。
「黙って」
仕方ないので、電車を一本見送ることにした。車掌らしき人物が、こちらを見ていたが、乗らないと判断したようで、出発しろという合図を送っていた。
それから雑賀は一分ほど黙っていた。
「わかった」突然、雑賀は言った。「二月二十九日でしょう」
「正解だ」
「簡単で実にくだらないクイズ。あぁ、時間の無駄でした」
イージー問題である。想定よりも、雑賀の解答までの時間は長かった。
「それでは、さっきの逆パターンだ。現在、日本に住んでいるすべての人間のうち、もっとも誕生日を迎える人が多い日は、何月何日だと思う?」
「そんなの、すべて同じでしょう? ランダムに生まれてくるんだから」
「違う」
雑賀は黙る。眼球が、きょろきょろと動いていた。風景を見ているわけではなさそうだった。どうやら、彼女が考えるときの癖らしい。そして、目を瞑り、開いた。
「あなたは、わたしに、セクハラをしようとしていますね?」雑賀は俺を睨んだ。
「していない」
「あなたの想定した答えは、十月十日(とつきとおか)というワードが関係している」
「していない」
なぜか尋問されていた。
「クリスマスの十月十日後、十一月四日が答えだと考えているのだろうけれど、違うから。十月十日というのは、旧暦だから、いまの暦にすると九ヶ月と十日。よって、九月二十日が答え。簡単すぎるし、つまらない」
「妄想の激しい女だ」俺は正直に言った。「全然違う」
「じゃあ、答えは?」
「一月一日だ」
「なぜ? 理由は?」
「それは、明日また話そう」
ホームルームのあと、俺は帰り仕度をしているハーモニーに声をかけた。
「きみの家は、どこにあるんだ?」
「なにそれ。気持ち悪い。なんで、あんたなんかに家を教えないといけないわけ?」
「教えたくなければ教えなくとも良い。ただ、気になっただけだ。家が近いのであれば、一緒に帰るということも考えられる」
「なに? あんた、わたしと一緒に帰りたいの?」
「積極的に帰りたいかどうかと言われると、難しいところだ。しかし、折角同じクラスになったのだから、少しは仲良くなろうかと考えた次第だ。きみが嫌なのであれば、踏み込まない」
「嫌ってわけじゃないけど。あんた、意外と勇気あるよね。わたし、こんな容姿だし、ずっと寝てるし。あんまり、声を掛けられたりしないんだけど」
「容姿は良いだろう」俺は言った。「そして、眠っていないときに声を掛ければ良い」
「いや、そういうわけじゃなくて」ハーモニーは二秒黙った。「なんか、あんたと話してると、疲れる」
「よく言われる」
そのような話をしている間に、雑賀が、さっさと荷物をまとめて去っていく。
「苅部も、帰って良いぞ。俺ときみは、一緒には帰らないんだから」
「なんか冷たいなぁ」
「家の方向が違うのだから、仕方ない」
「でもさ、靴箱までは、一緒に行けるじゃない」
「一理ある」俺は言った。「それでは、ハーモニーとの話が終わるまで、待っていてくれ」
「もう終わるところだけどね」ハーモニーは言った。「わたし、バスだから」
バスならば一緒には帰れなかった。
三人で靴箱まで移動することになった。先頭をハーモニーが歩き、その後ろに俺と苅部が並ぶ。果たして、この集団行動に、どれだけの意味があるのだろうと考えた。ひとりで帰っても、三人で帰っても、何が変わるわけではない。
校門までは一緒に歩いた。そこから先は別れることになる。校門を出て左手が駅で、右手に少し進むとバス停が、そして、その先に苅部の住む家があった。
「それでは」と俺は言った。
「これから、一帆と、あんたの悪口を言い合うから」ハーモニーが笑顔を見せる。
「ご自由に」
「そんなことしないよ」苅部が慌てたようすで言った。
「家に帰るまで、どんな悪口を言われているのか、悶々としなさい」
「言わないからね」苅部が叫ぶ。
俺のいないところで何を言われても、気にならない。それは俺の管轄外だ。遠い異国で起きている戦争と大差なかった。相手にどう思われても、俺という個体には影響を及ぼさない。
ふたりと別れて、駅へ向かった。多くの学生が、群れを成して歩いている。ひとりで歩いている者も少なくない。ひとりで歩いている生徒は、イヤホンを耳につけ、携帯端末を見ながら道を歩いている。ひとりのように見えるが、実際はインターネット上で多くの人間と繋がっているのかもしれない。目に見えるものがすべて正しいとは限らないし、すべてのものが自分の目に見えているとも限らない。
階段を降りて、改札を抜けて、階段を上り、駅のホームへと到着する。なぜ、わざわざ地下に改札があるのだろう。踏切をつくるのが面倒だからか……。
駅のホームには学生が多い。そのなかに、見知った顔を発見した。雑賀だった。彼女は腕を組み、前方をじっと睨みつけている。俺は、雑賀が他人から話し掛けられるのを好まないと学習していた。そっとしておいてやろう、と考える。けれども、できなかった。ついつい、話かけてしまう。
「雑賀」俺は言った。「靴を履き替え忘れているぞ」
雑賀は、学校内で履いているスリッパを、いまだに履いていた。
「普段から、スリッパで生活しているの」雑賀は答えた。
嘘だろう、と思った。
「上履きと下履きで、ちゃんと変えているんだろうな?」
「もちろん」雑賀は前方を向いたまま答えた。
「オススメはしない」
「どうして」
「スリッパに名前が書いてあるから、個人情報が垂れ流しになっている」
「そうね」
雑賀はうなずいた。鞄を下ろし、チャックをあけて、なかから筆箱を取りだした。
何をするのだろう、と観察していると、雑賀は筆箱から黒マジックを手に取り、スリッパの名前を塗りつぶしはじめた。
「はい。これで完璧」マジックペンをしまい、鞄を手に取った。
「幾分か改善されたと言える」しかし。「スリッパは、走るのに適していない。スニーカーをおすすめする」
「走らないから、これで良い」正論だった。「わたしをひとりにするか、面白い話をしなさい」
「それでは後者にしよう」俺は十秒考えた。思いついた。「現在、日本に住んでいるすべての人間のうち、もっとも誕生日を迎える人の少ない日は、何月何日か?」
「なにそれ。クイズ?」
「いま思いついたクイズだ」
雑賀はフリーズした。思考をしているのだろう。
一秒、二秒と時間は過ぎていく。十秒を越えたところで、雑賀の思考速度が大体把握できた。
そうしているうちに、電車が到着した。俺は乗り込もうとしたが、雑賀に制服の背中の裾をつかまれた。
「いま、わたしが考えているでしょう?」
「電車のなかで考えればいい」
「わたし、二駅しか乗らないから」
「俺は五駅乗るんだ」いま乗らないと、家に帰るのが遅くなってしまう。
「黙って」
仕方ないので、電車を一本見送ることにした。車掌らしき人物が、こちらを見ていたが、乗らないと判断したようで、出発しろという合図を送っていた。
それから雑賀は一分ほど黙っていた。
「わかった」突然、雑賀は言った。「二月二十九日でしょう」
「正解だ」
「簡単で実にくだらないクイズ。あぁ、時間の無駄でした」
イージー問題である。想定よりも、雑賀の解答までの時間は長かった。
「それでは、さっきの逆パターンだ。現在、日本に住んでいるすべての人間のうち、もっとも誕生日を迎える人が多い日は、何月何日だと思う?」
「そんなの、すべて同じでしょう? ランダムに生まれてくるんだから」
「違う」
雑賀は黙る。眼球が、きょろきょろと動いていた。風景を見ているわけではなさそうだった。どうやら、彼女が考えるときの癖らしい。そして、目を瞑り、開いた。
「あなたは、わたしに、セクハラをしようとしていますね?」雑賀は俺を睨んだ。
「していない」
「あなたの想定した答えは、十月十日(とつきとおか)というワードが関係している」
「していない」
なぜか尋問されていた。
「クリスマスの十月十日後、十一月四日が答えだと考えているのだろうけれど、違うから。十月十日というのは、旧暦だから、いまの暦にすると九ヶ月と十日。よって、九月二十日が答え。簡単すぎるし、つまらない」
「妄想の激しい女だ」俺は正直に言った。「全然違う」
「じゃあ、答えは?」
「一月一日だ」
「なぜ? 理由は?」
「それは、明日また話そう」