第22話 今日のきみはおかしい。やさしすぎる
文字数 2,966文字
浜砂と共に第三多目的教室のほうへと戻った。
浜砂は、無言で手を振り、準備室へ入っていく。また、自分の世界へこもるらしい。
教室に入ってみると、なかには雑賀しかいなかった。
「苅部とハーモニーは?」
「帰った」短く言った。「それで、なにかわかった?」
「どうやら、池永というやつが首謀者らしい。知ってるか?」
「さあ」雑賀は言った。「わたし、人間については、詳しくないから」
「俺もだ」似たもの同士である。
雑賀は、机の上に置かれていた参考書を片づけはじめた。
「もう帰るのか?」
「帰りましょう」帰る、ではなくて、帰りましょう、だった。
「俺と一緒に帰りたいということか?」
「そこまで積極的ではない」雑賀は言った。「帰ってあげても良い、という程度」
いつも偉そうだが、実際に、雑賀は偉いのかもしれない。天は人の上に人をつくらず。その言葉を言ったのは、大隈重信か、新島襄のどちらかだったと思うが、定かではない。はたして、俺と雑賀では、どちらが上なのだろう。なんとなくだが、上下というよりは、お互いに別の方向に向かって驀進しているような、そんな気がした。
雑賀と共に帰宅する。電車に乗るまで、ずっと無言だった。会話はない。
「気をつけなさい」電車に乗った瞬間、雑賀が言った。
何か言葉がつづくのだろうと思い、待っていたが、つづかない。
「何に気をつければ良いんだ?」仕方ないので、尋ねた。
「そうね、わからないけれど」わからないのか。「柳井とかいう子、あの子ね、なんだか、とても気に食わない感じがしますね」
「主観的だな」
「あの子、少し、わたしに似ていますから」
「いや、どう見ても似ていない。雑賀のほうが、かなり性格がきついと言える」
「でも、わたしのほうが美人です」
「それは、その通りだ」歴とした事実である。認めざるを得なかった。
会話をしている間に、次の駅へ到着した。雑賀はさらに次の駅で降りるだろう。彼女と一緒にいられるのは、あと五分程度だ。
「これから、どうするの?」雑賀が尋ねた。
「池永という生徒を調べてみようと思う」
「調べるって、どうやって?」
「噂を集める。聞き込みなどを行う」
「あなたには向いていないと思う」雑賀は言った。「そういう外交は、ハーモニーさんに任せたら? 彼女は、嘘と演技がお上手だから」
「それは、褒めているのか、それとも貶しているのか」
「評価しているの」雑賀は言った。
つまりは、さきほどの言葉には感情が込められていない、ということだ。
「あまり、無理をしないように」雑賀は小さな声で言った。
「今日のきみはおかしい。やさしすぎる」
雑賀は何も言わず、じっと窓の外を見ていた。照れている、という風ではない。
俺には、雑賀が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。
雑賀と別れたあと、電車に揺られながら、事件について、もう一度考えてみることにした。
本日、新たな情報をたくさん得た。それらを整理しなければならない。
まず、雑賀の靴を盗んだのは、柳井保美という女だった。柳井は、池永という女性から命令されていた。ロッカーを開ける鍵は、池永から渡された。
疑問は幾つもある。
なぜ、池永は雑賀を狙ったのか。
そして、鍵を、どうやって入手したのか。
動機については、考えてもあまり意味がないだろう。単に雑賀が鬱陶しかった、というだけかもしれない。雑賀は、そのように思われてもおかしくない性格をしている。裏表のない、正直者だ。俺は、意外と雑賀のことを気に入っているけれども、一般に受けるような性格とは思えない。
鍵をどうやって入手したのか、というのは考える価値がある。池永の単独犯というのは、なかなか難しいだろう。教師と協力しているほうが現実的な案だ。それでは、なぜ教師と池永が結託するのか、という新たな疑問が生まれる。何が目的だろう。最近、ロッカー内の財布から金が盗まれているようだが、大した金額ではない。そこまでのリスクを犯すほどのことではないだろう。浜砂先生の言っていたように、バイトでもしたほうがマシだ。
その日は、家に帰っても、ずっと事件のことを考えていた。
そして寝る前になって、すべて池永にきけば解決するな、ということに気がついた。
問題は、証拠が何一つないことだ。あるのは、柳井の証言だけである。もしも、柳井が池永からメールなどで指示されていれば、それが証拠となるだろう。けれども、単に口頭で命令したのであれば、証拠はない。すべて柳井が勝手にやったことだ、と言われたらおしまいである。そのあたりがどうなっているのかを、柳井に確認する必要があるな、と思っているうちに、いつの間にか、眠りに就いていた。
翌日。
五月二十三日、火曜日。
駅の改札から出てすぐの壁にもたれて、雑賀が立っていた。
「おはよう」俺は近づいて、声をかけた。「どうしたんだ?」
「あなたを待っていました」
「待たれていた」理由を想像しようとしてみるが、わからない。「一緒に登校したいのか?」
「そういうわけではないけれど、そうしましょう」
ふたり、並んで歩いた。なぜ雑賀が、俺のことを待っていたのかは、わからなかった。
学校へとつづく長い歩道で、雑賀は、ちらりと俺の顔を見た。そして、視線は俺の手へと移る。そのまま前方を向き、俺の手を見る、という行動を繰り返していた。
「どうしたんだ? 落ち着きがないように見受けられる」
「いま、自分のプライドと戦っているの」
よくわからないが、恐らくは強敵だろう。少なくとも、雑賀のプライドは、俺のプライドよりも強いに違いない。
歩道には、前にも後ろにも、生徒がそれなりにいた。まだ始業までは時間があるため、混雑しているというほどではない。
ふと、手を握られた。
手を握りつぶされるのではないか、と想像したけれど、何も起こらない。
そっと、握られている。
「勘違いしてはいけませんよ」
勘違いも何も。
「これは、どういうことなんだろう」
「手を繋いでいますね」雑賀が言った。
「家族を除けば、はじめての経験だ」
「そうでしょうね」
「きみは?」
「わたしも、はじめてです」
お互いに、初手ということになる。いや、この表現は、違う。きっと。将棋などに相応しい表現だろうと思われた。
「なんのために、手を繋ぐんだ?」
「少なくとも、好意からではない」雑賀は小さな声で言った。「これは、罠です」
「そうか、罠か」
俺は、雑賀の罠にかかってしまったのだろうか。
あるいは、他の誰かをはめるための罠か?
それから俺たちは、手を繋いだまま歩きつづけた。雑賀は最近、俺のロッカーを使用しているので、ロッカーでも一緒だ。ロッカーで靴を履いている間、手の接触は解除されたが、再び繋ぎ、そのままの状態で第三多目的教室へと入った。手を離し、いつもの席へ移動しようとしたところで、服を掴まれた。
「ここに座りなさい」雑賀は、彼女がいつも座っている席の、隣を指した。
浜砂は、無言で手を振り、準備室へ入っていく。また、自分の世界へこもるらしい。
教室に入ってみると、なかには雑賀しかいなかった。
「苅部とハーモニーは?」
「帰った」短く言った。「それで、なにかわかった?」
「どうやら、池永というやつが首謀者らしい。知ってるか?」
「さあ」雑賀は言った。「わたし、人間については、詳しくないから」
「俺もだ」似たもの同士である。
雑賀は、机の上に置かれていた参考書を片づけはじめた。
「もう帰るのか?」
「帰りましょう」帰る、ではなくて、帰りましょう、だった。
「俺と一緒に帰りたいということか?」
「そこまで積極的ではない」雑賀は言った。「帰ってあげても良い、という程度」
いつも偉そうだが、実際に、雑賀は偉いのかもしれない。天は人の上に人をつくらず。その言葉を言ったのは、大隈重信か、新島襄のどちらかだったと思うが、定かではない。はたして、俺と雑賀では、どちらが上なのだろう。なんとなくだが、上下というよりは、お互いに別の方向に向かって驀進しているような、そんな気がした。
雑賀と共に帰宅する。電車に乗るまで、ずっと無言だった。会話はない。
「気をつけなさい」電車に乗った瞬間、雑賀が言った。
何か言葉がつづくのだろうと思い、待っていたが、つづかない。
「何に気をつければ良いんだ?」仕方ないので、尋ねた。
「そうね、わからないけれど」わからないのか。「柳井とかいう子、あの子ね、なんだか、とても気に食わない感じがしますね」
「主観的だな」
「あの子、少し、わたしに似ていますから」
「いや、どう見ても似ていない。雑賀のほうが、かなり性格がきついと言える」
「でも、わたしのほうが美人です」
「それは、その通りだ」歴とした事実である。認めざるを得なかった。
会話をしている間に、次の駅へ到着した。雑賀はさらに次の駅で降りるだろう。彼女と一緒にいられるのは、あと五分程度だ。
「これから、どうするの?」雑賀が尋ねた。
「池永という生徒を調べてみようと思う」
「調べるって、どうやって?」
「噂を集める。聞き込みなどを行う」
「あなたには向いていないと思う」雑賀は言った。「そういう外交は、ハーモニーさんに任せたら? 彼女は、嘘と演技がお上手だから」
「それは、褒めているのか、それとも貶しているのか」
「評価しているの」雑賀は言った。
つまりは、さきほどの言葉には感情が込められていない、ということだ。
「あまり、無理をしないように」雑賀は小さな声で言った。
「今日のきみはおかしい。やさしすぎる」
雑賀は何も言わず、じっと窓の外を見ていた。照れている、という風ではない。
俺には、雑賀が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。
雑賀と別れたあと、電車に揺られながら、事件について、もう一度考えてみることにした。
本日、新たな情報をたくさん得た。それらを整理しなければならない。
まず、雑賀の靴を盗んだのは、柳井保美という女だった。柳井は、池永という女性から命令されていた。ロッカーを開ける鍵は、池永から渡された。
疑問は幾つもある。
なぜ、池永は雑賀を狙ったのか。
そして、鍵を、どうやって入手したのか。
動機については、考えてもあまり意味がないだろう。単に雑賀が鬱陶しかった、というだけかもしれない。雑賀は、そのように思われてもおかしくない性格をしている。裏表のない、正直者だ。俺は、意外と雑賀のことを気に入っているけれども、一般に受けるような性格とは思えない。
鍵をどうやって入手したのか、というのは考える価値がある。池永の単独犯というのは、なかなか難しいだろう。教師と協力しているほうが現実的な案だ。それでは、なぜ教師と池永が結託するのか、という新たな疑問が生まれる。何が目的だろう。最近、ロッカー内の財布から金が盗まれているようだが、大した金額ではない。そこまでのリスクを犯すほどのことではないだろう。浜砂先生の言っていたように、バイトでもしたほうがマシだ。
その日は、家に帰っても、ずっと事件のことを考えていた。
そして寝る前になって、すべて池永にきけば解決するな、ということに気がついた。
問題は、証拠が何一つないことだ。あるのは、柳井の証言だけである。もしも、柳井が池永からメールなどで指示されていれば、それが証拠となるだろう。けれども、単に口頭で命令したのであれば、証拠はない。すべて柳井が勝手にやったことだ、と言われたらおしまいである。そのあたりがどうなっているのかを、柳井に確認する必要があるな、と思っているうちに、いつの間にか、眠りに就いていた。
翌日。
五月二十三日、火曜日。
駅の改札から出てすぐの壁にもたれて、雑賀が立っていた。
「おはよう」俺は近づいて、声をかけた。「どうしたんだ?」
「あなたを待っていました」
「待たれていた」理由を想像しようとしてみるが、わからない。「一緒に登校したいのか?」
「そういうわけではないけれど、そうしましょう」
ふたり、並んで歩いた。なぜ雑賀が、俺のことを待っていたのかは、わからなかった。
学校へとつづく長い歩道で、雑賀は、ちらりと俺の顔を見た。そして、視線は俺の手へと移る。そのまま前方を向き、俺の手を見る、という行動を繰り返していた。
「どうしたんだ? 落ち着きがないように見受けられる」
「いま、自分のプライドと戦っているの」
よくわからないが、恐らくは強敵だろう。少なくとも、雑賀のプライドは、俺のプライドよりも強いに違いない。
歩道には、前にも後ろにも、生徒がそれなりにいた。まだ始業までは時間があるため、混雑しているというほどではない。
ふと、手を握られた。
手を握りつぶされるのではないか、と想像したけれど、何も起こらない。
そっと、握られている。
「勘違いしてはいけませんよ」
勘違いも何も。
「これは、どういうことなんだろう」
「手を繋いでいますね」雑賀が言った。
「家族を除けば、はじめての経験だ」
「そうでしょうね」
「きみは?」
「わたしも、はじめてです」
お互いに、初手ということになる。いや、この表現は、違う。きっと。将棋などに相応しい表現だろうと思われた。
「なんのために、手を繋ぐんだ?」
「少なくとも、好意からではない」雑賀は小さな声で言った。「これは、罠です」
「そうか、罠か」
俺は、雑賀の罠にかかってしまったのだろうか。
あるいは、他の誰かをはめるための罠か?
それから俺たちは、手を繋いだまま歩きつづけた。雑賀は最近、俺のロッカーを使用しているので、ロッカーでも一緒だ。ロッカーで靴を履いている間、手の接触は解除されたが、再び繋ぎ、そのままの状態で第三多目的教室へと入った。手を離し、いつもの席へ移動しようとしたところで、服を掴まれた。
「ここに座りなさい」雑賀は、彼女がいつも座っている席の、隣を指した。