第31話 好きな服が幾つあっても良いのと同じで、好きな人間が何人いてもいい
文字数 2,957文字
「また会ったな」
池永は緩慢な動作で振り返った。視線は鋭い。それにしても、俺の周囲にいる女性たちは、なぜ揃いも揃って視線が鋭いのだろう。不思議である。もう少し穏やかな女性がいても良いと思うのだが……。
「阿喰」池永は言った。「どうしてここに?」
「きみのあとを追っていたんだ」俺は正直に答えた。
隣で苅部が慌てているようすだった。正直に答えたのが予想外だったのかもしれない。
「最低」池永は吐き捨てるように言った。
「最低というのは、俺の品位のことか? それとも、この状況のことか?」
「どっちも」なるほどな。「それで、どうしたいわけ? 苅部と一緒に、わたしを脅迫して、おかしなことをしようと思ってるの?」
「そんなことしないよ」苅部が声を挙げた。
「おかしなことってなんだ?」
苅部は俺の質問に答えてくれなかった。
「なにその格好」池永は苅部に言った。「可愛いじゃん」
「ありがとう」苅部は普通の調子で言った。「いや、違う。そうじゃなくてね。あの人は誰? 彼氏?」
「なんで、あんたたちに教えなきゃいけないわけ?」
実に正論だった。
「前に一緒に歩いていた人とは、違うみたいだね」苅部が精一杯の抵抗をする。
「前?」眉をひそめる。「前も尾行してたわけ? ストーカーじゃん」
「いや、俺たちではなくて」言おうと思ったが、しかし、柳井の名前を出すのは問題があると言えた。「とある人物が、きみの後を追っていたんだ。写真データもある」
「肖像権とか、そういうので訴えるよ?」
そういうの、などという曖昧な表現をする人間が、司法の力を使えるとは思えない。大した脅威にはなり得ない。無視しても良いだろうと判断する。
「彼氏か? それとも売春か?」俺は端的に尋ねた。
「どっちでもいいでしょ」
「まったくもってその通りだ」俺は言った。
「もし彼氏だとしたら、複数彼氏がいるのは、まずいんじゃないかな」と苅部が言った。
「俺は、そうは思わない。好きな食べ物、好きな服が幾つあっても良いのと同じで、好きな人間が何人いてもいい」
「もう。阿喰くんは、誰の味方なのさ」
「誰の味方でもない」強いて言えば俺の味方だ。
池永は、少し呆れたような表情をしていた。
「あんたたち、すっごく変」
「変なのは阿喰くんだけだから」苅部が裏切る。「僕はね、あんまり、ああいうの、良くないと思うなぁ」
ああいうのって、なんだろう。苅部の曖昧な言葉には、いつも惑わされる。
「あんたの格好も公序良俗には違反してるでしょ」池永は苅部を指す。
「そうか? 俺は、似合っていると思うが」
「あんたは黙ってて」
池永は俺と苅部の双方に『あんた』という二人称を使うため、ややこしくなりつつあった。
「それで、なんの目的で、わたしのあとをつけてたわけ?」
「さほど目的というものがあるわけではない」雑賀に命令されたから、というのが主な理由だと言えた。「強いて言えば、虐めという行為をやめて頂きたい。そのお願いに来た」
「ヨッシーのこと? あれは、里佳がやってることだから」
「里佳というのは誰だ?」
「一緒にいる、茶髪の子。わかる? 利倉里佳(りくら りか)」
「あいつが、いじめの主体というわけか」
「責任をなすりつけるわけじゃないけど、まあ、結構ひどいことやってるなぁって感じ」
「きみは一切の関係がないわけだな?」
「そこまでは言わないけど」
「池永さんも、利倉さんに虐められたりしてない? 大丈夫?」苅部は、やさしい口調で言った。「もし、困ってるなら、相談して欲しいな」
「何? あんた、良い人なの?」
「苅部は良い人だ」
「あんたは黙ってて」
またもや俺の言葉は遮られてしまう。
「里佳は、なんていうかな、わたしの手下っていうか、子分みたいな」
「そう思っているのは、きみだけかもしれないぞ」
「そうかもね」あっさりと認める。「里佳に、吉井ちゃんを虐めるように言ったのも、わたしなんだ」
「大胆な罪の告白だ」俺は評価した。「その正直さは素晴らしい」
「ありがとう」意外と池永は素直なやつだ。「あのさ、ちょっと相談したいことがあるんだけど、いい?」
「俺と苅部、どちらに相談したいんだ?」
「苅部くん、と言いたいところだけど、まあ、あんたでもいいや」
池永が場所を変えることを提案した。たしかに、ホテルの前でずっと喋っているのも、ホテルの営業にとっては迷惑なことかもしれない。池永が先導する形で、俺と苅部はその後ろを歩いた。
「どこへ向かっているんだ?」
「まあ、どこでも良いけど、軽く甘いものが食べられるところ」
「そこにコンビニがあるぞ」
「座りたいの」
イートインのコーナーもあるけどな、と思った。
「僕は、アイスが食べたいなぁ」苅部は言った。「サーティワンとかどう?」
「遠い」池永は言った。「まあ、ついてきなさい」
そのまま駅と隣接したショッピングモールの、十階へと移動した。レストラン街となっている。全体的に暗い雰囲気のフロアだった。照明がおとなしい。上品な感じを出したいのかもしれないが、俺としては、どちらかというとうらぶれているな、と感じてしまった。
そのフロアの端に、軽食の食べられる店があった。もっとも店で押しているのは、ホットケーキのようだ。似たような種類のものがたくさんある。俺はピザを、苅部がチョコアイスを、そして池永はオーソドックスにホットケーキを注文していた。
そういえば、パンケーキとホットケーキは、何が違うのだろう。
「ここ、あんたたちの奢りだからね」
「そうだったのか」困ったことになった。「苅部、幾らもってる? 借りて良いか?」
「ああ、うん、大丈夫。僕が出すよ。阿喰くんも、奢ってあげようか?」
「それは助かる」助かった、と心の底から思った。
「あんた、苅部のヒモなの?」
俺は池永の言葉を無視した。まだ苅部に言うことがある。
「奢ってくれるというのは、本心からの言葉か? それとも、俺の頼みを断りづらい、ということではないか? 断りたいなら断ってくれても構わないぞ。虐めはしたくない」
「大丈夫だから」苅部は言った。「なんていうんだろう。憐れみかなぁ。阿喰くんって、全然お金持ってないみたいだし。僕は今月、あんまり使ってないからさ」
「受けた恩は体で返す」俺は言った。「なんでも命令してくれ」
「なんでもって言われたら困るけど……うん、わかった。なんか良いことをしてね」
「あんたたちの会話、志津子(しづこ)が喜びそうだわ」
「志津子って誰だ?」俺はきいた。
「島川志津子(しまかわ しづこ)。あの、髪が黒くて、長くて、吉井じゃないほう」
ぼやんとは覚えていたが、顔は思い出せない。変なやつだったな、という印象だけはある。それはお互い様かもしれないが。
「それで、話ってなんだ?」俺は言った。
「うん、それなんだけどさ」池永は、小声で言った。「実はわたし、脅迫されてるんだよね」
厄介なことになってきたぞ、と思った。
池永は緩慢な動作で振り返った。視線は鋭い。それにしても、俺の周囲にいる女性たちは、なぜ揃いも揃って視線が鋭いのだろう。不思議である。もう少し穏やかな女性がいても良いと思うのだが……。
「阿喰」池永は言った。「どうしてここに?」
「きみのあとを追っていたんだ」俺は正直に答えた。
隣で苅部が慌てているようすだった。正直に答えたのが予想外だったのかもしれない。
「最低」池永は吐き捨てるように言った。
「最低というのは、俺の品位のことか? それとも、この状況のことか?」
「どっちも」なるほどな。「それで、どうしたいわけ? 苅部と一緒に、わたしを脅迫して、おかしなことをしようと思ってるの?」
「そんなことしないよ」苅部が声を挙げた。
「おかしなことってなんだ?」
苅部は俺の質問に答えてくれなかった。
「なにその格好」池永は苅部に言った。「可愛いじゃん」
「ありがとう」苅部は普通の調子で言った。「いや、違う。そうじゃなくてね。あの人は誰? 彼氏?」
「なんで、あんたたちに教えなきゃいけないわけ?」
実に正論だった。
「前に一緒に歩いていた人とは、違うみたいだね」苅部が精一杯の抵抗をする。
「前?」眉をひそめる。「前も尾行してたわけ? ストーカーじゃん」
「いや、俺たちではなくて」言おうと思ったが、しかし、柳井の名前を出すのは問題があると言えた。「とある人物が、きみの後を追っていたんだ。写真データもある」
「肖像権とか、そういうので訴えるよ?」
そういうの、などという曖昧な表現をする人間が、司法の力を使えるとは思えない。大した脅威にはなり得ない。無視しても良いだろうと判断する。
「彼氏か? それとも売春か?」俺は端的に尋ねた。
「どっちでもいいでしょ」
「まったくもってその通りだ」俺は言った。
「もし彼氏だとしたら、複数彼氏がいるのは、まずいんじゃないかな」と苅部が言った。
「俺は、そうは思わない。好きな食べ物、好きな服が幾つあっても良いのと同じで、好きな人間が何人いてもいい」
「もう。阿喰くんは、誰の味方なのさ」
「誰の味方でもない」強いて言えば俺の味方だ。
池永は、少し呆れたような表情をしていた。
「あんたたち、すっごく変」
「変なのは阿喰くんだけだから」苅部が裏切る。「僕はね、あんまり、ああいうの、良くないと思うなぁ」
ああいうのって、なんだろう。苅部の曖昧な言葉には、いつも惑わされる。
「あんたの格好も公序良俗には違反してるでしょ」池永は苅部を指す。
「そうか? 俺は、似合っていると思うが」
「あんたは黙ってて」
池永は俺と苅部の双方に『あんた』という二人称を使うため、ややこしくなりつつあった。
「それで、なんの目的で、わたしのあとをつけてたわけ?」
「さほど目的というものがあるわけではない」雑賀に命令されたから、というのが主な理由だと言えた。「強いて言えば、虐めという行為をやめて頂きたい。そのお願いに来た」
「ヨッシーのこと? あれは、里佳がやってることだから」
「里佳というのは誰だ?」
「一緒にいる、茶髪の子。わかる? 利倉里佳(りくら りか)」
「あいつが、いじめの主体というわけか」
「責任をなすりつけるわけじゃないけど、まあ、結構ひどいことやってるなぁって感じ」
「きみは一切の関係がないわけだな?」
「そこまでは言わないけど」
「池永さんも、利倉さんに虐められたりしてない? 大丈夫?」苅部は、やさしい口調で言った。「もし、困ってるなら、相談して欲しいな」
「何? あんた、良い人なの?」
「苅部は良い人だ」
「あんたは黙ってて」
またもや俺の言葉は遮られてしまう。
「里佳は、なんていうかな、わたしの手下っていうか、子分みたいな」
「そう思っているのは、きみだけかもしれないぞ」
「そうかもね」あっさりと認める。「里佳に、吉井ちゃんを虐めるように言ったのも、わたしなんだ」
「大胆な罪の告白だ」俺は評価した。「その正直さは素晴らしい」
「ありがとう」意外と池永は素直なやつだ。「あのさ、ちょっと相談したいことがあるんだけど、いい?」
「俺と苅部、どちらに相談したいんだ?」
「苅部くん、と言いたいところだけど、まあ、あんたでもいいや」
池永が場所を変えることを提案した。たしかに、ホテルの前でずっと喋っているのも、ホテルの営業にとっては迷惑なことかもしれない。池永が先導する形で、俺と苅部はその後ろを歩いた。
「どこへ向かっているんだ?」
「まあ、どこでも良いけど、軽く甘いものが食べられるところ」
「そこにコンビニがあるぞ」
「座りたいの」
イートインのコーナーもあるけどな、と思った。
「僕は、アイスが食べたいなぁ」苅部は言った。「サーティワンとかどう?」
「遠い」池永は言った。「まあ、ついてきなさい」
そのまま駅と隣接したショッピングモールの、十階へと移動した。レストラン街となっている。全体的に暗い雰囲気のフロアだった。照明がおとなしい。上品な感じを出したいのかもしれないが、俺としては、どちらかというとうらぶれているな、と感じてしまった。
そのフロアの端に、軽食の食べられる店があった。もっとも店で押しているのは、ホットケーキのようだ。似たような種類のものがたくさんある。俺はピザを、苅部がチョコアイスを、そして池永はオーソドックスにホットケーキを注文していた。
そういえば、パンケーキとホットケーキは、何が違うのだろう。
「ここ、あんたたちの奢りだからね」
「そうだったのか」困ったことになった。「苅部、幾らもってる? 借りて良いか?」
「ああ、うん、大丈夫。僕が出すよ。阿喰くんも、奢ってあげようか?」
「それは助かる」助かった、と心の底から思った。
「あんた、苅部のヒモなの?」
俺は池永の言葉を無視した。まだ苅部に言うことがある。
「奢ってくれるというのは、本心からの言葉か? それとも、俺の頼みを断りづらい、ということではないか? 断りたいなら断ってくれても構わないぞ。虐めはしたくない」
「大丈夫だから」苅部は言った。「なんていうんだろう。憐れみかなぁ。阿喰くんって、全然お金持ってないみたいだし。僕は今月、あんまり使ってないからさ」
「受けた恩は体で返す」俺は言った。「なんでも命令してくれ」
「なんでもって言われたら困るけど……うん、わかった。なんか良いことをしてね」
「あんたたちの会話、志津子(しづこ)が喜びそうだわ」
「志津子って誰だ?」俺はきいた。
「島川志津子(しまかわ しづこ)。あの、髪が黒くて、長くて、吉井じゃないほう」
ぼやんとは覚えていたが、顔は思い出せない。変なやつだったな、という印象だけはある。それはお互い様かもしれないが。
「それで、話ってなんだ?」俺は言った。
「うん、それなんだけどさ」池永は、小声で言った。「実はわたし、脅迫されてるんだよね」
厄介なことになってきたぞ、と思った。