第32話 愛というものは、何者にも制限されてはならない
文字数 2,954文字
「誰に脅迫されているんだ?」俺は当然の疑問を口にした。
「わかんないけど」池永は言った。「メールで命令されてる」
いまどき、メッセージではなくメールとは、古風である。
「どんな風に?」と俺は尋ねた。
「あのさ、絶対に秘密にして欲しいんだけど」
「確約はできないが、約束しよう」
最近、秘密が増加傾向にあった。このままでは、死ぬまでに言えないワードが増えすぎて、何も言えなくなってしまうかもしれない。
「阿喰くんのことは信用して大丈夫だよ」苅部は言った。「とっても変だけど、でも、純真な人だから」
「そうだ。俺は純真だ」
「自称純真なやつって、全然信用ならないけど……まあいいや」良いらしい。「実はね、わたし、木崎先生とつきあってるんだけど」
「そうか。それは良かったな」俺は言った。
一瞬、木崎が誰か思い出せなかったが、ロッカーの鍵を管理している教師だと気づいた。
「良かったな、じゃないよ」苅部が言った。「先生とつきあうなんて、まずいと思うなぁ」
「そんなこと、どうでも良いだろう? 愛というものは、何者にも制限されてはならない。性別、年齢、職業、国籍、その他すべてのものは、愛の障壁になってはならないんだ」
「なかなか良いこというじゃん」と池永。
「その理念は立派だと思うけどさぁ。でも、世間一般的には、よくないと思うけど」
「苅部は、世間などという、些細なものに囚われているのか?」
「うん。囚われまくり」
急に池永が吹きだした。
「どうした? パンケーキが喉に詰まったのか?」
いや、彼女が頼んでいたのはホットケーキだったか、と頭の中で訂正する。いや、パンケーキだったかもしれない。まあ、どっちでも大差ない。
「あんたたち、わけわかんないね。バカみたい」
「貶されてしまった」ショックだ。
「褒めてんの」と池永。
褒められていた。複雑な褒め方をするやつだった。
「ロッカーの鍵は、そういう入手経路だったのか」
「ロッカー? ああ、雑賀の靴の件? あれも、なかなか複雑でさ。命令されたんだよね。柳井に、雑賀の靴を捨てさせろって。それで、木崎先生に協力してもらって」
「鍵を借りたというわけか」
「そうなの。わたしも、虐めたくて虐めてるわけじゃないんだけど」
困ったものだった。犯人だと思っていたやつが、実は犯人ではなかった。最初に柳井と会ったときもそうだ。これで事件が解決したと思ったら、その裏で糸を引いているやつがいる。問題が徐々に複雑化しているような気がした。
「木崎とは、どのようにつきあいはじめたんだ?」思いついたことをきいた。
「は? なんで、あんたたちに、そんなこと言う必要があるわけ?」
「事件の解決に役立つかもしれん」
「役立つとは思えないけど、まあ、なんとなく。成り行きで。格好良かったし」
「あ、わかるわかる」苅部は言って、しまった、という顔をした。「わかんないわかんない」
苅部もなかなかに複雑な人間である。もう少し正直に生きれば良いのでは、と思う。
「脅迫メールの本文を見せてもらえないか?」
「良いけど。これね、誰かに見せたり、言ったりしたら、罰があるって話だから、絶対に秘密にしてよね」
「罰とは?」
「えっと」池永は顔を寄せてきた。
「キスでもするのか?」
「するかバカ」池永は言った。「耳を寄せなさい」
俺と苅部は耳を池永に近づけた。
「あのさ、わたしが木崎先生のを、口でしてる画像がね、なんというか、流出したというか」
「口で何をしているんだ?」
「阿喰くんは黙ってて」苅部が微笑んだ。「その画像、なんで脅迫者さんが持ってるのかな」
脅迫者にまで『さん』をつけるとは律儀なやつだ。
「わかんないけど。わたしが、裏アカで公開してたからかも」
「裏アカとはなんだ?」
「裏アカウントの略だよ」苅部が言った。「なんていうか、普段のアカウントが表アカ。普段は使わないで、陰口とか、エッチな画像とかをアップするのが裏アカ」
「それをして、何が楽しいんだ?」
「楽しいわけじゃないけど」池永は言った。「なんか、ちやほやされるし」
ちやほやされるのを楽しんでいるらしかった。
「その脅迫者が池永を特定し、脅迫したというわけか」
「そうみたい。顔はちゃんと隠してたんだけどなぁ」池永は言った。「苅部たちも気をつけなよ?」
「僕と阿喰くんは、そういうのじゃないから」
「いや、そういう意味で言ったわけじゃなくて。単に、ふたりも気をつけろってことだったんだけど」
池永は、なかなかに良いやつらしかった。
「さっき、男とラブホテルにいたのは、趣味か?」
「趣味なわけあるか。バカ」池永は怒ったようだ。
それにしても、俺の周りにいる女は、皆、すぐに怒る。あるいは俺が怒らせているのか。
池永は、わざとらしい溜息を吐いた。
「よく、こんなのと一緒にいられるね」
「慣れてるから」苅部は微笑んだ。
「趣味でないとしたら、なんだ?」俺は強引に話を元に戻した。
「だから、それも脅迫されてるんだって。男に体を売って、金を稼いでこいって」
「由々しき事態だな」俺は言った。「自分の意志で体を売るのであれば、それはそれで尊重されるべき選択だ。しかし、誰かによって命じられるのであれば、重大な人権侵害だと言える」
本当はどうでも良かった。俺の人生にはなんの関わりもない。ただ、そういっておいたほうが、人間っぽいだろう、と判断したに過ぎない。
「ああ、うん、まあ、そうだよね」やけに歯切れが悪い。「実はさ、里佳のやつ、吉井ちゃんに売春させてるんだよね。わたしも隣で見てて、止めなかったから、罰が当たったのかなって」
「あっさりしてるね」苅部は言った。「辛くないの?」
「うん。まあ、辛いのかな。もう、よくわかんない。あんまり考えたくない。考えると、暗くなって、死にたくなるから」
どうやら辛いようだった。
「考えて、対処したほうが良いだろう」俺は言った。「犯人に心当たりはないか?」
「いや、全然。わかんない。こんなことして、何の得になるんだろう」
「きみに売春させて、お金は得ているんじゃないか?」そこで思いついた。「犯人には、どうやって送金してるんだ?」
「送金はしてない。ただ、売春させられるだけ」
不思議なこともあるものだった。いったい、なんの目的で、そのようなことをするのか。理解に苦しむ。
「うーん、僕、犯人、わかっちゃったかも」
「素晴らしい」俺は言った。「当たってなかったら殴るけど、いいか?」
「良くないよ。なんでそんな怖いこと言うのさ」
「冗談だ」俺は笑顔をつくった。成功しただろうか。
前の席で池永は机に突っ伏し、苦しんでいるようだった。
「どうした? パンケーキがつまったか?」ホットケーキかもしれない。
「違う。あんたたちが、その、おかしいから。笑わせないで」笑わせているつもりはなかった。
「いい? 言うよ? 僕の推理なんだけどさ」
そう前置きをして、苅部は話をはじめた。
「わかんないけど」池永は言った。「メールで命令されてる」
いまどき、メッセージではなくメールとは、古風である。
「どんな風に?」と俺は尋ねた。
「あのさ、絶対に秘密にして欲しいんだけど」
「確約はできないが、約束しよう」
最近、秘密が増加傾向にあった。このままでは、死ぬまでに言えないワードが増えすぎて、何も言えなくなってしまうかもしれない。
「阿喰くんのことは信用して大丈夫だよ」苅部は言った。「とっても変だけど、でも、純真な人だから」
「そうだ。俺は純真だ」
「自称純真なやつって、全然信用ならないけど……まあいいや」良いらしい。「実はね、わたし、木崎先生とつきあってるんだけど」
「そうか。それは良かったな」俺は言った。
一瞬、木崎が誰か思い出せなかったが、ロッカーの鍵を管理している教師だと気づいた。
「良かったな、じゃないよ」苅部が言った。「先生とつきあうなんて、まずいと思うなぁ」
「そんなこと、どうでも良いだろう? 愛というものは、何者にも制限されてはならない。性別、年齢、職業、国籍、その他すべてのものは、愛の障壁になってはならないんだ」
「なかなか良いこというじゃん」と池永。
「その理念は立派だと思うけどさぁ。でも、世間一般的には、よくないと思うけど」
「苅部は、世間などという、些細なものに囚われているのか?」
「うん。囚われまくり」
急に池永が吹きだした。
「どうした? パンケーキが喉に詰まったのか?」
いや、彼女が頼んでいたのはホットケーキだったか、と頭の中で訂正する。いや、パンケーキだったかもしれない。まあ、どっちでも大差ない。
「あんたたち、わけわかんないね。バカみたい」
「貶されてしまった」ショックだ。
「褒めてんの」と池永。
褒められていた。複雑な褒め方をするやつだった。
「ロッカーの鍵は、そういう入手経路だったのか」
「ロッカー? ああ、雑賀の靴の件? あれも、なかなか複雑でさ。命令されたんだよね。柳井に、雑賀の靴を捨てさせろって。それで、木崎先生に協力してもらって」
「鍵を借りたというわけか」
「そうなの。わたしも、虐めたくて虐めてるわけじゃないんだけど」
困ったものだった。犯人だと思っていたやつが、実は犯人ではなかった。最初に柳井と会ったときもそうだ。これで事件が解決したと思ったら、その裏で糸を引いているやつがいる。問題が徐々に複雑化しているような気がした。
「木崎とは、どのようにつきあいはじめたんだ?」思いついたことをきいた。
「は? なんで、あんたたちに、そんなこと言う必要があるわけ?」
「事件の解決に役立つかもしれん」
「役立つとは思えないけど、まあ、なんとなく。成り行きで。格好良かったし」
「あ、わかるわかる」苅部は言って、しまった、という顔をした。「わかんないわかんない」
苅部もなかなかに複雑な人間である。もう少し正直に生きれば良いのでは、と思う。
「脅迫メールの本文を見せてもらえないか?」
「良いけど。これね、誰かに見せたり、言ったりしたら、罰があるって話だから、絶対に秘密にしてよね」
「罰とは?」
「えっと」池永は顔を寄せてきた。
「キスでもするのか?」
「するかバカ」池永は言った。「耳を寄せなさい」
俺と苅部は耳を池永に近づけた。
「あのさ、わたしが木崎先生のを、口でしてる画像がね、なんというか、流出したというか」
「口で何をしているんだ?」
「阿喰くんは黙ってて」苅部が微笑んだ。「その画像、なんで脅迫者さんが持ってるのかな」
脅迫者にまで『さん』をつけるとは律儀なやつだ。
「わかんないけど。わたしが、裏アカで公開してたからかも」
「裏アカとはなんだ?」
「裏アカウントの略だよ」苅部が言った。「なんていうか、普段のアカウントが表アカ。普段は使わないで、陰口とか、エッチな画像とかをアップするのが裏アカ」
「それをして、何が楽しいんだ?」
「楽しいわけじゃないけど」池永は言った。「なんか、ちやほやされるし」
ちやほやされるのを楽しんでいるらしかった。
「その脅迫者が池永を特定し、脅迫したというわけか」
「そうみたい。顔はちゃんと隠してたんだけどなぁ」池永は言った。「苅部たちも気をつけなよ?」
「僕と阿喰くんは、そういうのじゃないから」
「いや、そういう意味で言ったわけじゃなくて。単に、ふたりも気をつけろってことだったんだけど」
池永は、なかなかに良いやつらしかった。
「さっき、男とラブホテルにいたのは、趣味か?」
「趣味なわけあるか。バカ」池永は怒ったようだ。
それにしても、俺の周りにいる女は、皆、すぐに怒る。あるいは俺が怒らせているのか。
池永は、わざとらしい溜息を吐いた。
「よく、こんなのと一緒にいられるね」
「慣れてるから」苅部は微笑んだ。
「趣味でないとしたら、なんだ?」俺は強引に話を元に戻した。
「だから、それも脅迫されてるんだって。男に体を売って、金を稼いでこいって」
「由々しき事態だな」俺は言った。「自分の意志で体を売るのであれば、それはそれで尊重されるべき選択だ。しかし、誰かによって命じられるのであれば、重大な人権侵害だと言える」
本当はどうでも良かった。俺の人生にはなんの関わりもない。ただ、そういっておいたほうが、人間っぽいだろう、と判断したに過ぎない。
「ああ、うん、まあ、そうだよね」やけに歯切れが悪い。「実はさ、里佳のやつ、吉井ちゃんに売春させてるんだよね。わたしも隣で見てて、止めなかったから、罰が当たったのかなって」
「あっさりしてるね」苅部は言った。「辛くないの?」
「うん。まあ、辛いのかな。もう、よくわかんない。あんまり考えたくない。考えると、暗くなって、死にたくなるから」
どうやら辛いようだった。
「考えて、対処したほうが良いだろう」俺は言った。「犯人に心当たりはないか?」
「いや、全然。わかんない。こんなことして、何の得になるんだろう」
「きみに売春させて、お金は得ているんじゃないか?」そこで思いついた。「犯人には、どうやって送金してるんだ?」
「送金はしてない。ただ、売春させられるだけ」
不思議なこともあるものだった。いったい、なんの目的で、そのようなことをするのか。理解に苦しむ。
「うーん、僕、犯人、わかっちゃったかも」
「素晴らしい」俺は言った。「当たってなかったら殴るけど、いいか?」
「良くないよ。なんでそんな怖いこと言うのさ」
「冗談だ」俺は笑顔をつくった。成功しただろうか。
前の席で池永は机に突っ伏し、苦しんでいるようだった。
「どうした? パンケーキがつまったか?」ホットケーキかもしれない。
「違う。あんたたちが、その、おかしいから。笑わせないで」笑わせているつもりはなかった。
「いい? 言うよ? 僕の推理なんだけどさ」
そう前置きをして、苅部は話をはじめた。