第25話 俺たち人間に残された時間は少ない
文字数 2,847文字
「はじめましてだな。俺が、阿喰有史だ。以後、お見知りおきを」
「なに? なんか、文句でもあるわけ?」利倉が言う。
「別段、文句はないのだが、そこのヨッシーという女が泣いているので、気になった次第だ」
「これは、嬉し泣きだから」と利倉。
「それを決めるのは、きみではないし、俺でもない。ヨッシーだ」俺は言った。「ヨッシーなる女よ、きみは、喜んでいるのか? それとも、悲しんでいるのか?」
ヨッシーという女は、俺の問いには答えなかった。机に突っ伏したまま動かない。
「泣いていては、問題が解決しない。顔をあげてくれるとありがたい」
そう言うと、ヨッシーはゆっくりと顔をあげた。目元が、やや赤くなっている。
「あの、わたし、本当に、大丈夫ですから」
「ほら、こう言ってるじゃん」と利倉。
「大丈夫とは言っているが、強がりかもしれない。本当に大丈夫なのであれば、俺は去ろう」
「な? 大丈夫だよな?」利倉がヨッシーに強い口調で言った。
ヨッシーなる女は、ゆっくりとうなずいた。
「そうか、邪魔したな」どうやら、俺の勘違いだったらしい。
なぜか、ヨッシーは俺をじっと見ていた。愕然とした表情、とはこのことか。何かを言いたいのかもしれないし、邪魔だから早くこの場から立ち去ってくれと願っているのかもしれない。言葉にしてくれなければ、何も伝わらない。
「あのさ、特別クラスの体育って、どうなってるの?」去ろうと思ったところで、島川が言った。
「基本的には、全員で行っている」
「男女合同?」と島川。
「そうだ」俺はうなずいた。
「そっか。苅部くんと、ふたりきりってわけじゃないんだ」
「そういうときもあるらしい。種目による」
「なるほどなるほど」島川は深々とうなずいた。「良いね」
はたして、なにが良いのかは、よくわからない。
ついでだ。もう少し話をしていこう。
「池永というのは、きみだな」俺は言った。「ちょっと、話がしたい」
「わたしは、べつに、したくないけど」
池永は俺の眼を見ようとしなかった。
「きみには拒絶する権利がある。けれど、こちらは、いろいろ話したいことがあるんだ。対話をして頂けないだろうか」
「話って、どんな話?」
「そうだな、たとえば、雑賀の靴の話だとか、ロッカーの鍵の話だ」
「何か、証拠でもあるわけ?」
急に話が飛んだな、と思った。俺の発言に対しての返答としては、明らかに不適切だ。英語の試験に出てくる会話問題で、このような流れの会話をつくれば、バツをもらうだろう。
「そんな話は一切していない」俺は言った。「ただ、話がしたいんだ」
「そう」池永は、微かにうなずいた。「わかった。じゃあ、あとで」
「あととは、具体的にはいつのことを指すのだろう?」
「放課後でいい? 場所は?」
「放課後で構わない。飼育小屋の近くは、どうだ?」
「わかった。じゃあ、またあとで」
そう言って、池永は立ちあがった。
「もう行こう」池永は俺から視線を外した。「教室で話そう」
池永の号令に従い、皆が席を立って、歩きはじめた。
俺は振り返り、柳井の姿を探したけれど、いなかった。机には、空になった食器が置かれている。ラーメンと餃子の皿はあったが、チャーハンの皿は見あたらない。しばらく探していると、他のテーブルでチャーハンを食べている柳井を発見した。
近づいていき、声をかけることにした。
「柳井、どこへ行っていたんだ」
「あ、阿喰くん」スプーンを止めて、こちらを見た。「びっくりしたぁ。いきなり、話に割りこんでいくんだもん。勇気あるよね」
俺は柳井の隣に座る。
「勇気とは、物事を恐れない強い心のことだ。俺は、恐怖という感情が鈍いだけで、特別に心が強いわけではない」
「結局、吉井さんのこと助けてあげないし。面白いよね」
「吉井さんというのは、誰だ?」
「あの、黒髪の、ショートの子。吉井さんで、ヨッシー」
「吉井は、大丈夫だと言っていた」
「あんなの、強がりに決まってるじゃない」
「そうなのか?」それは、可哀想なことをしてしまった。「助けてあげれば良かった」
「弱い者虐めは許せない?」
「そんな無駄なことに労力を使うくらいなら、他のことに力を使ったほうが良い。俺たち人間に残された時間は少ない。皆、もっと効率良く生活し、社会の発展、あるいは維持のために全力を尽くす必要がある」
「暑苦しいなぁ」柳井は言った。
「そうか? 気温は、大したことないと思うが」柳井は暑がりなのだろうか、と思った。
「気温じゃなくて、阿喰くんが、暑苦しいの」
俺は携帯端末に入っていた大辞林で、暑苦しいという言葉を調べた。暑苦しいには、ふたつの意味がある。ひとつめは、熱気がこもって苦しいという意味。もうひとつは、外見が暑くて不快そうに見える、という意味だった。恐らくは後者のことを言っているに違いない。
「べつに、暑くはないんだが、半袖のシャツを着たほうが良いだろうか?」
「さっきから、阿喰くん、何を言ってるわけ?」
それは、俺の台詞だった。
「まあいいや」と柳井。俺は、ちっともよくない。「池永さんと、放課後に会うじゃない?」
俺はうなずいた。
「そのとき、わたしの名前は出さないでね」
「なぜだ?」
「だって、わたしが密告したって、ばれたら、大変でしょう?」
「なぜ大変になるのかは不明だが、了解した。きみの名前は出さない」
「なんか、心配だなぁ」柳井は言った。「池永さんと、どんな話をするの?」
「なぜ雑賀の靴を盗んだのか、そして、どうやってロッカーの鍵を手に入れたのかを質問するつもりだ」
「たぶん、しらばっくれると思うけど」
「そのときは、どうするべきか」まだ案はなかった。「きみが、池永に脅迫されていたという証拠があれば良いんだが。どのように指示されていたんだ?」
「普通に、口頭で、だけど」
「録音などは残っていないか?」
「残ってるわけないじゃん。そんなの」
使えない女だった。
「放課後、一緒に来てくれると話が早いんだが」
「そんなの無理。怖いもん」
「池永は、そんなに権力があるのか? 普通の女性のように見えたが」
「なんかね、命令されたら、逆らえないって感じなんだよね。そういう雰囲気があるの」
「まったくわからない」俺は、そういう風には感じなかった。
「協力してあげたいけど」柳井は目を伏せる。「ねえ、わたしのこと、助けてくれる?」
「助けられるときは、助けるつもりだ」
逆を言えば、助けられないときは助けない。当然のことではある。
「うん。それならいいよ。わかった。放課後、一緒に池永さんと会おうか」
「ありがとう」
俺は、池永と何を話すのか、頭のなかでシミュレートしはじめた。
「なに? なんか、文句でもあるわけ?」利倉が言う。
「別段、文句はないのだが、そこのヨッシーという女が泣いているので、気になった次第だ」
「これは、嬉し泣きだから」と利倉。
「それを決めるのは、きみではないし、俺でもない。ヨッシーだ」俺は言った。「ヨッシーなる女よ、きみは、喜んでいるのか? それとも、悲しんでいるのか?」
ヨッシーという女は、俺の問いには答えなかった。机に突っ伏したまま動かない。
「泣いていては、問題が解決しない。顔をあげてくれるとありがたい」
そう言うと、ヨッシーはゆっくりと顔をあげた。目元が、やや赤くなっている。
「あの、わたし、本当に、大丈夫ですから」
「ほら、こう言ってるじゃん」と利倉。
「大丈夫とは言っているが、強がりかもしれない。本当に大丈夫なのであれば、俺は去ろう」
「な? 大丈夫だよな?」利倉がヨッシーに強い口調で言った。
ヨッシーなる女は、ゆっくりとうなずいた。
「そうか、邪魔したな」どうやら、俺の勘違いだったらしい。
なぜか、ヨッシーは俺をじっと見ていた。愕然とした表情、とはこのことか。何かを言いたいのかもしれないし、邪魔だから早くこの場から立ち去ってくれと願っているのかもしれない。言葉にしてくれなければ、何も伝わらない。
「あのさ、特別クラスの体育って、どうなってるの?」去ろうと思ったところで、島川が言った。
「基本的には、全員で行っている」
「男女合同?」と島川。
「そうだ」俺はうなずいた。
「そっか。苅部くんと、ふたりきりってわけじゃないんだ」
「そういうときもあるらしい。種目による」
「なるほどなるほど」島川は深々とうなずいた。「良いね」
はたして、なにが良いのかは、よくわからない。
ついでだ。もう少し話をしていこう。
「池永というのは、きみだな」俺は言った。「ちょっと、話がしたい」
「わたしは、べつに、したくないけど」
池永は俺の眼を見ようとしなかった。
「きみには拒絶する権利がある。けれど、こちらは、いろいろ話したいことがあるんだ。対話をして頂けないだろうか」
「話って、どんな話?」
「そうだな、たとえば、雑賀の靴の話だとか、ロッカーの鍵の話だ」
「何か、証拠でもあるわけ?」
急に話が飛んだな、と思った。俺の発言に対しての返答としては、明らかに不適切だ。英語の試験に出てくる会話問題で、このような流れの会話をつくれば、バツをもらうだろう。
「そんな話は一切していない」俺は言った。「ただ、話がしたいんだ」
「そう」池永は、微かにうなずいた。「わかった。じゃあ、あとで」
「あととは、具体的にはいつのことを指すのだろう?」
「放課後でいい? 場所は?」
「放課後で構わない。飼育小屋の近くは、どうだ?」
「わかった。じゃあ、またあとで」
そう言って、池永は立ちあがった。
「もう行こう」池永は俺から視線を外した。「教室で話そう」
池永の号令に従い、皆が席を立って、歩きはじめた。
俺は振り返り、柳井の姿を探したけれど、いなかった。机には、空になった食器が置かれている。ラーメンと餃子の皿はあったが、チャーハンの皿は見あたらない。しばらく探していると、他のテーブルでチャーハンを食べている柳井を発見した。
近づいていき、声をかけることにした。
「柳井、どこへ行っていたんだ」
「あ、阿喰くん」スプーンを止めて、こちらを見た。「びっくりしたぁ。いきなり、話に割りこんでいくんだもん。勇気あるよね」
俺は柳井の隣に座る。
「勇気とは、物事を恐れない強い心のことだ。俺は、恐怖という感情が鈍いだけで、特別に心が強いわけではない」
「結局、吉井さんのこと助けてあげないし。面白いよね」
「吉井さんというのは、誰だ?」
「あの、黒髪の、ショートの子。吉井さんで、ヨッシー」
「吉井は、大丈夫だと言っていた」
「あんなの、強がりに決まってるじゃない」
「そうなのか?」それは、可哀想なことをしてしまった。「助けてあげれば良かった」
「弱い者虐めは許せない?」
「そんな無駄なことに労力を使うくらいなら、他のことに力を使ったほうが良い。俺たち人間に残された時間は少ない。皆、もっと効率良く生活し、社会の発展、あるいは維持のために全力を尽くす必要がある」
「暑苦しいなぁ」柳井は言った。
「そうか? 気温は、大したことないと思うが」柳井は暑がりなのだろうか、と思った。
「気温じゃなくて、阿喰くんが、暑苦しいの」
俺は携帯端末に入っていた大辞林で、暑苦しいという言葉を調べた。暑苦しいには、ふたつの意味がある。ひとつめは、熱気がこもって苦しいという意味。もうひとつは、外見が暑くて不快そうに見える、という意味だった。恐らくは後者のことを言っているに違いない。
「べつに、暑くはないんだが、半袖のシャツを着たほうが良いだろうか?」
「さっきから、阿喰くん、何を言ってるわけ?」
それは、俺の台詞だった。
「まあいいや」と柳井。俺は、ちっともよくない。「池永さんと、放課後に会うじゃない?」
俺はうなずいた。
「そのとき、わたしの名前は出さないでね」
「なぜだ?」
「だって、わたしが密告したって、ばれたら、大変でしょう?」
「なぜ大変になるのかは不明だが、了解した。きみの名前は出さない」
「なんか、心配だなぁ」柳井は言った。「池永さんと、どんな話をするの?」
「なぜ雑賀の靴を盗んだのか、そして、どうやってロッカーの鍵を手に入れたのかを質問するつもりだ」
「たぶん、しらばっくれると思うけど」
「そのときは、どうするべきか」まだ案はなかった。「きみが、池永に脅迫されていたという証拠があれば良いんだが。どのように指示されていたんだ?」
「普通に、口頭で、だけど」
「録音などは残っていないか?」
「残ってるわけないじゃん。そんなの」
使えない女だった。
「放課後、一緒に来てくれると話が早いんだが」
「そんなの無理。怖いもん」
「池永は、そんなに権力があるのか? 普通の女性のように見えたが」
「なんかね、命令されたら、逆らえないって感じなんだよね。そういう雰囲気があるの」
「まったくわからない」俺は、そういう風には感じなかった。
「協力してあげたいけど」柳井は目を伏せる。「ねえ、わたしのこと、助けてくれる?」
「助けられるときは、助けるつもりだ」
逆を言えば、助けられないときは助けない。当然のことではある。
「うん。それならいいよ。わかった。放課後、一緒に池永さんと会おうか」
「ありがとう」
俺は、池永と何を話すのか、頭のなかでシミュレートしはじめた。