第07話 そもそも、雑賀の性格が悪いのかどうかを検討する必要がある
文字数 3,163文字
俺と苅部、そしてハーモニーの三人は、学食へと移動した。普段は教室で食べているのだが、雑賀に話をきかれたくなかったのだ。学食の隅にある、適当な丸テーブルを囲むようにして座った。俺は、朝にコンビニで買ってきたあんパン、苅部が学食のうどん、そしてハーモニーは、学食の購買で買ったサンドイッチだった。
俺は、苅部とハーモニーに、昨日から今朝にかけて得た情報を伝えた。雑賀本人には、話してよいと許諾を得たわけではない。勝手な行動だった。しかし、雑賀に話すなと口止めをされているわけでもない。
「ま、仕方ないよね」ハーモニーは言った。「雑賀ちゃん、見るからに嫌われやすそうだし」
「そうだろうか」俺には、よくわからなかった。
「見りゃわかるでしょ。あんなの、格好の獲物じゃん。ずっとひとりで勉強してるし、何を考えてるかわからないし。それに」ハーモニーは三秒ほど溜めてから言った。「美人だし」
「美人だと虐められるのか」
「この世界にいる、大半の女は、クソブスだからね」ハーモニーは満面の笑みを浮かべる。
「言葉が下品に過ぎる」俺はハーモニーを窘めた。
「事実だから良いの」堂々と言い張る。
「その、クソブスという表現に、ハーモニーも含まれるのか?」
「は? 含まれるわけないでしょ? わたしは、客観的に見て、雑賀さんよりも美人」
自己評価の高い女だった。そして、どう考えても客観ではなく主観だ。
「いまは、そういう話をしてる場合じゃないと思うなぁ」苅部が食事の手を止めて、話に介入してきた。「雑賀さんがどれだけ性格悪かったとしても、虐めは良くないよ」
「そもそも、雑賀の性格が悪いのかどうかを検討する必要がある」
「ないよ」苅部は言った。「例えばの話だから。もしかしたら、性格は悪くないのかもしれないけど、どうでも良いよ。虐めって、良くないと思うな」
「虐められているのか否かも、判然としない。ただ、スリッパで家に帰っていたというだけのことだ」
「普通に考えたら、靴を盗まれたんでしょう」ハーモニーは言った。「それか、雑賀さんが、うっかり、スリッパで帰ったか」
「その可能性もある」俺はうなずいた。
「ないと思うけどなぁ」苅部は言った。「雑賀さんが、そんな間抜けに見える?」
「目に見えているものがすべてではないし、すべてのものが目に見ているわけでもない」
俺は、昨日の帰り道に思いついた名言を言った。
しかし、ハーモニーも苅部も、なんの反応も返さなかった。これも不発だ。
ハーモニーは、持参していた水筒から、さきほど購買の水飲み場より奪ってきた紙コップへ液体を注ぐ。真っ黒である。
「それはなんだ?」
「見ればわかるでしょ。コーヒー」
「見てもわからない。お茶の可能性もあるし、めんつゆの可能性もある」
「めんつゆなんて飲むわけないでしょ」ハーモニーは、一気に飲み乾した。「うーん、苦い。美味い」
「苦いのに美味しいというのは、不可解だ。なぜ、コーヒーのような、不味い泥水じみた液体を飲むのか。理解に苦しむ」
「あんたの味覚が、お子ちゃまだってこと」
「なるほど」俺はうなずいた。「逆に言うと、ハーモニーの味覚が老化、あるいは劣化し、鈍くなったとも言える」
「は? 喧嘩売ってるわけ?」
「待って待って」苅部が口を挟む。「話が脱線してるから。雑賀さんの話だから」
「雑賀はコーヒーを好きだろうか」俺は思ったことを口に出した。
「そんな話してないから」苅部は言った。「ひとまずさ、僕は、雑賀さんを助けてあげたいなって思う」
「あんた、雑賀に惚れてんの?」ハーモニーが嫌らしい笑みを浮かべる。
「そういうのじゃないよ」苅部は、はっきりと言った。「好きでも嫌いでもない、ただの他人だけどさ。でも、虐めとかは良くないって思う」
「苅部の魂は、高潔だ」俺は言った。
「阿喰くん」苅部は、俺をじっと見つめていた。熱が感じられる。「ありがとう」
「あるいは、苅部は、高潔に見られたくて、良い子を演じているのかもしれない」
「僕は演技なんてできないから。正直者だから」
「なるほどね。雑賀じゃないってことか」ハーモニーは、よくわからないことを言っていた。「あいつさ、プライド高そうだし、誰かに助けられるのとか、嫌がりそうじゃない? なんか、御節介って気がしなくもないけど……」
「助けて欲しいと考えていない人間を、無理矢理助けるのは、正義だろうか」
「いや、そういう哲学的なことはわからないけど」苅部は言った。「うーん、御節介なのかな。僕だったら、助けてくれたら、嬉しいなぁって思うけど」
「雑賀が、あんたくらい正直者なら、単純だし、虐められることもなかったでしょうね」
「直接、雑賀にきくのが良いと思う」俺は言った。
「無理無理。あいつは、虐められてるとか、絶対に認めないから」ハーモニーは微笑む。
「それなら、どうする?」俺はきいた。
「ようすを見るしかないんじゃない? まだ、靴がなくなっただけでしょ。どんな靴か知らないけど、精々、損害は一万円程度。大したことじゃない」
「一万円は大したことだ」
「あ、そう。あんた、貧乏人なの?」
「お小遣いは、月に二千円だ」
「うわ。マジ? それ、虐待じゃない?」
「虐待ではないと思うが」俺は苅部を見た。「参考までにきくが、月に幾らもらってるんだ?」
「えっとね、高校生になってからは、月に一万円かな」
「わたしは三万」ハーモニーは言った。「二千円で、どうやって暮らしてるわけ?」
「我が家の規定で、毎日、昼飯代として三百円が支給される。百円のあんパンのみに抑え、残りを貯蓄に回すことで、やりくりしている」
「なんか、可哀想になってきた」ハーモニーは言った。「やっぱ、貧すれば鈍するというか、貧しい人は心も貧しくなるんだね」
「俺の心は、きみよりも豊かだと自負している」
「はい。やめやめ」苅部が仲裁に入った。「結局、ようすを見るしかないのかな」
「皆、したいようにすればいい。雑賀を救いたければ救えばいいし、救いたくなければ救わなければいい」
「べつに、救いたくないとは言ってないけどさ」ハーモニーは言った。「でも、やっぱり、わたしは、本人が助けてって声をあげない限りは、手を貸さないつもり」
「たとえ、声をあげることができないまま、死んだとしても?」俺は尋ねた。
「そう、死んだとしても」ハーモニーは、強い口調で反復する。
それがハーモニーの考えであるならば、尊重しなければならない。
「苅部は、どうするんだ?」
「一度、雑賀さんと話をしてみるよ。僕たちの早とちりかもしれないし」
「で、あんたはどうすんの?」ハーモニーは、俺に向けて言ったようだった。
「わからない。正直、どうでもいい。雑賀が虐められていようと、虐められていなかろうと、俺には無関係だ。可哀想な気もするが、たぶん、眠れば忘れるだろう」
「こわ」ハーモニーは言った。「あんた、本当に人間?」
「人間の定義によるだろう」俺は言った。「人間ならば、助けたいと思うのだろうか」
「わからんけど」ハーモニーは言った。「普通の人は、そうなんじゃない?」
「そうか」俺はうなずいた。「じゃあ、たまには人間らしいことをしてみるか……」
雑賀を救いたいわけではないが、救ってみようと思った。次に考えなければならないのは、救ったとは、いかなる状態かということである。目的地が決まっていなければ、歩きはじめることはできない。俺は雑賀を救うために、そして人間らしい行動をするために、思考をはじめた。
俺は、苅部とハーモニーに、昨日から今朝にかけて得た情報を伝えた。雑賀本人には、話してよいと許諾を得たわけではない。勝手な行動だった。しかし、雑賀に話すなと口止めをされているわけでもない。
「ま、仕方ないよね」ハーモニーは言った。「雑賀ちゃん、見るからに嫌われやすそうだし」
「そうだろうか」俺には、よくわからなかった。
「見りゃわかるでしょ。あんなの、格好の獲物じゃん。ずっとひとりで勉強してるし、何を考えてるかわからないし。それに」ハーモニーは三秒ほど溜めてから言った。「美人だし」
「美人だと虐められるのか」
「この世界にいる、大半の女は、クソブスだからね」ハーモニーは満面の笑みを浮かべる。
「言葉が下品に過ぎる」俺はハーモニーを窘めた。
「事実だから良いの」堂々と言い張る。
「その、クソブスという表現に、ハーモニーも含まれるのか?」
「は? 含まれるわけないでしょ? わたしは、客観的に見て、雑賀さんよりも美人」
自己評価の高い女だった。そして、どう考えても客観ではなく主観だ。
「いまは、そういう話をしてる場合じゃないと思うなぁ」苅部が食事の手を止めて、話に介入してきた。「雑賀さんがどれだけ性格悪かったとしても、虐めは良くないよ」
「そもそも、雑賀の性格が悪いのかどうかを検討する必要がある」
「ないよ」苅部は言った。「例えばの話だから。もしかしたら、性格は悪くないのかもしれないけど、どうでも良いよ。虐めって、良くないと思うな」
「虐められているのか否かも、判然としない。ただ、スリッパで家に帰っていたというだけのことだ」
「普通に考えたら、靴を盗まれたんでしょう」ハーモニーは言った。「それか、雑賀さんが、うっかり、スリッパで帰ったか」
「その可能性もある」俺はうなずいた。
「ないと思うけどなぁ」苅部は言った。「雑賀さんが、そんな間抜けに見える?」
「目に見えているものがすべてではないし、すべてのものが目に見ているわけでもない」
俺は、昨日の帰り道に思いついた名言を言った。
しかし、ハーモニーも苅部も、なんの反応も返さなかった。これも不発だ。
ハーモニーは、持参していた水筒から、さきほど購買の水飲み場より奪ってきた紙コップへ液体を注ぐ。真っ黒である。
「それはなんだ?」
「見ればわかるでしょ。コーヒー」
「見てもわからない。お茶の可能性もあるし、めんつゆの可能性もある」
「めんつゆなんて飲むわけないでしょ」ハーモニーは、一気に飲み乾した。「うーん、苦い。美味い」
「苦いのに美味しいというのは、不可解だ。なぜ、コーヒーのような、不味い泥水じみた液体を飲むのか。理解に苦しむ」
「あんたの味覚が、お子ちゃまだってこと」
「なるほど」俺はうなずいた。「逆に言うと、ハーモニーの味覚が老化、あるいは劣化し、鈍くなったとも言える」
「は? 喧嘩売ってるわけ?」
「待って待って」苅部が口を挟む。「話が脱線してるから。雑賀さんの話だから」
「雑賀はコーヒーを好きだろうか」俺は思ったことを口に出した。
「そんな話してないから」苅部は言った。「ひとまずさ、僕は、雑賀さんを助けてあげたいなって思う」
「あんた、雑賀に惚れてんの?」ハーモニーが嫌らしい笑みを浮かべる。
「そういうのじゃないよ」苅部は、はっきりと言った。「好きでも嫌いでもない、ただの他人だけどさ。でも、虐めとかは良くないって思う」
「苅部の魂は、高潔だ」俺は言った。
「阿喰くん」苅部は、俺をじっと見つめていた。熱が感じられる。「ありがとう」
「あるいは、苅部は、高潔に見られたくて、良い子を演じているのかもしれない」
「僕は演技なんてできないから。正直者だから」
「なるほどね。雑賀じゃないってことか」ハーモニーは、よくわからないことを言っていた。「あいつさ、プライド高そうだし、誰かに助けられるのとか、嫌がりそうじゃない? なんか、御節介って気がしなくもないけど……」
「助けて欲しいと考えていない人間を、無理矢理助けるのは、正義だろうか」
「いや、そういう哲学的なことはわからないけど」苅部は言った。「うーん、御節介なのかな。僕だったら、助けてくれたら、嬉しいなぁって思うけど」
「雑賀が、あんたくらい正直者なら、単純だし、虐められることもなかったでしょうね」
「直接、雑賀にきくのが良いと思う」俺は言った。
「無理無理。あいつは、虐められてるとか、絶対に認めないから」ハーモニーは微笑む。
「それなら、どうする?」俺はきいた。
「ようすを見るしかないんじゃない? まだ、靴がなくなっただけでしょ。どんな靴か知らないけど、精々、損害は一万円程度。大したことじゃない」
「一万円は大したことだ」
「あ、そう。あんた、貧乏人なの?」
「お小遣いは、月に二千円だ」
「うわ。マジ? それ、虐待じゃない?」
「虐待ではないと思うが」俺は苅部を見た。「参考までにきくが、月に幾らもらってるんだ?」
「えっとね、高校生になってからは、月に一万円かな」
「わたしは三万」ハーモニーは言った。「二千円で、どうやって暮らしてるわけ?」
「我が家の規定で、毎日、昼飯代として三百円が支給される。百円のあんパンのみに抑え、残りを貯蓄に回すことで、やりくりしている」
「なんか、可哀想になってきた」ハーモニーは言った。「やっぱ、貧すれば鈍するというか、貧しい人は心も貧しくなるんだね」
「俺の心は、きみよりも豊かだと自負している」
「はい。やめやめ」苅部が仲裁に入った。「結局、ようすを見るしかないのかな」
「皆、したいようにすればいい。雑賀を救いたければ救えばいいし、救いたくなければ救わなければいい」
「べつに、救いたくないとは言ってないけどさ」ハーモニーは言った。「でも、やっぱり、わたしは、本人が助けてって声をあげない限りは、手を貸さないつもり」
「たとえ、声をあげることができないまま、死んだとしても?」俺は尋ねた。
「そう、死んだとしても」ハーモニーは、強い口調で反復する。
それがハーモニーの考えであるならば、尊重しなければならない。
「苅部は、どうするんだ?」
「一度、雑賀さんと話をしてみるよ。僕たちの早とちりかもしれないし」
「で、あんたはどうすんの?」ハーモニーは、俺に向けて言ったようだった。
「わからない。正直、どうでもいい。雑賀が虐められていようと、虐められていなかろうと、俺には無関係だ。可哀想な気もするが、たぶん、眠れば忘れるだろう」
「こわ」ハーモニーは言った。「あんた、本当に人間?」
「人間の定義によるだろう」俺は言った。「人間ならば、助けたいと思うのだろうか」
「わからんけど」ハーモニーは言った。「普通の人は、そうなんじゃない?」
「そうか」俺はうなずいた。「じゃあ、たまには人間らしいことをしてみるか……」
雑賀を救いたいわけではないが、救ってみようと思った。次に考えなければならないのは、救ったとは、いかなる状態かということである。目的地が決まっていなければ、歩きはじめることはできない。俺は雑賀を救うために、そして人間らしい行動をするために、思考をはじめた。