第21話 靴が好きな人であれば、得すると思います

エピソード文字数 3,294文字

 浜砂先生に連れられて、職員室へと向かう。

「あまり、あそこには近寄りたくないんだが」先生は、歩きながらつぶやく。

「苦手な方でもいるのですか?」

「まあ、全員が苦手だ」浜砂は微笑む。「くだらん連中ばかりだ」

「先生も、なかなかに人の領域から逸脱してますね」

「そう、自分がどれくらい人間の中心からずれているのか、それを把握するために、あのテストをつくったわけだ」

「結果は、どうだったのですか?」

「まあ、一部、人ではない」先生は楽しそうだった。「でもね、きみほどじゃない」

「俺は、おかしいのですか?」

「数値的には、おかしいと言える。人間として日常生活を営めているのが、不思議なくらいだ。凶悪な犯罪者でも、あそこまでおかしくはない」

 自分が、それほどまでに異常だとは思えない。たしかに普通の人間とは異なっているが、あくまでも、少し違うくらいではないだろうか。自分のような人間は、世界にたくさんいるだろう。

 話をしているうちに、職員室へと辿り着いた。入るとすぐにカウンターがあって、そこに事務員の女性が座っている。カウンターには書類やバインダーが並んでいた。どうやら、書類の整理をしているようだった。

 生徒は勝手に、先生の机には近づけない。以前は生徒が自由に職員室へ入ることができたようだが、数年前に試験問題の流出事件が起きたせいで、いまのような仕組みになったらしい。入学時のオリエンテーションで、そのようなことを説明された。

 一応、職員室の全体を見渡すことはできる。机がたくさん並んでいて、書類が積み重なって山になっている机もあれば、何も置かれていない綺麗な机もある。机には人の個性が出る。

 各教室の鍵も、生徒が勝手に持ち出せないようになっていた。事務員の女性に鍵を借りたい旨を伝えると、申請用紙をくれるので、その紙に申請理由を書くことで、鍵を借りられる。体育の授業の際は、毎回、わざわざ職員室まで男子更衣室の鍵を借りに行かなければならない。なかなか面倒くさいシステムなので、俺と苅部しかいないのだし、誰も制服を盗んだりはしないだろうと考え、最近では更衣室に鍵をかけていない。貴重品はロッカーに入れているので、大したリスクはないと言える。使用済みの制服を狙われる可能性はあるが、俺と苅部の服を盗むやつなどいない……はずだ。

 浜砂先生は、受付の女性に話しかけた。

「木崎教諭を呼んで頂けるだろうか」

 女性は軽くうなずいて、職員室の奥へと歩いていった。

「木崎先生、浜砂先生がお呼びです」

 その声がして、まずは女性が戻ってくる。やや遅れて、男性教師が現れた。

「浜砂先生、お久し振りです」と男が頭を下げる。

 教員同士の会話とは思えなかった。お久し振りと言われるくらい、浜砂先生は職員室を訪れていないのだろう。ずっと、あの準備室にこもっているに違いない。

 木崎は背が高く、体も絞ってある。そこそこ鍛えているようだ。肌は浅黒く、恐らくは運動部の顧問をしているに違いない。ジャージを着ているので、もしかしたら、体育の教師かもしれなかった。俺は、彼の授業を、一度として受けたことがなかった。

「ひとつききたいことがある」恐らく、浜砂先生のほうが年下だが、そのようなことは彼女にとって些細なのだろう。敬語などは使わないらしい。「ロッカールームのマスターキーは、あなたが管理しているはずだ」

「ええ、そうです」木崎はうなずく。

「鍵は普段、どこに?」

「ひとつは、わたしが持っています」そう言うと、木崎はポケットから鍵を取りだした。「よく、生徒が暗証番号を忘れるので、持ち歩いてますよ」

「もうひとつは?」浜砂は尋ねた。

「スペアが、わたしの机の引き出しに入ってますが……」

「その引き出しに鍵は?」

「かかっていません」木崎は眉をひそめる。「もしかして、ロッカー荒らしですか?」

「そうらしい」浜砂は、ちらりと俺のほうを見た。「財布から金が抜かれたんだとか」

「最近、多いみたいですね。生徒から、何度か相談を受けました」

「盗まれているものは、何が多いのですか」俺は尋ねた。

「やっぱり、お金かな」木崎は小さな声で言った。「財布ごとやられるケースは少ないんだ。なぜか、財布から少額が盗まれる。一番多くて、二千円くらい」

「靴などが盗まれたという報告は、ありませんか?」俺は尋ねた。

「いや、そういうのは、きいてないな。靴なんか盗んでも、何も得しないだろう」

「靴が好きな人であれば、得すると思います」

「マニアックだな」木崎先生は、俺に向けて一瞬だけ微笑み、すぐに浜砂先生のほうへと視線を戻した。「次の全体朝礼で警告してもダメなら、ロッカールームに監視カメラをつけることになりそうです」

「それが良いだろう」浜砂はうなずく。

「マスターキーに、スペアはないんですか?」俺はきいた。

「さっきも言ったように、スペアは、机の引き出しに入ってるけど」

「質問を間違えました」俺は質問を変えることにした。「ロッカーのマスターキーに、第三、あるいは第四の鍵がないのか、ということです」

「僕の知る限り、存在しない」木崎は言った。「いまのロッカーに変えたのは、五年前なんだ。その搬入から設置まで、全部、僕が主導だったから」

「誰かに鍵を貸したことは?」

「誰にも貸したことはない。誰か、他の教師が、勝手に持っていって、コピーをつくっていたら、わからないけど。そんな人は、いないと思う。いや、待てよ」木崎は言った。「この鍵、簡単には複製できないとか、業者の人が言ってたな」

「複雑に、であれば複製できるんですか?」俺は尋ねた。

「いや、それはわからないけど……」木崎先生は困ったような顔をしていた。

「ちょっと、実物を拝見させてもらっても構わないか?」浜砂先生が言った。

 木崎先生から鍵を受け取り、浜砂先生は、鍵を観察していた。

「最新式のディンプルキーだな。ちょっと前までのディンプルキーなら、時間をかければ複製できたが、最新式のは、まだ複製できないはずだ」

「鍵をなくしたら大変ですね」俺は言った。

「なくしたら、鍵番号から純正キーをつくり直すんだ」浜砂先生は言った。「メーカーにも、何本かスペアがある」

「メーカーから鍵が盗まれるということは、ありますか?」俺は尋ねる。

「ないとは言えないが、そこは、かなり厳重に管理されている。常に鍵の保管状況を、電子的に制御しているだろう。まあ、もし鍵がなくなったとしても、表沙汰にはしたくないだろうから、隠しているかもしれないけどね。しかし、学校のロッカーを開けるなんていうくだらないことのために、そんなリスクを犯せるだろうか」

 メーカーで保管されている鍵を盗むよりは、職員室に忍び込み、鍵を入手するほうが、ずっと簡単だろう。

 木崎先生に礼を言って、浜砂先生と一緒に職員室を出た。

 基本的に、セキュリティが甘いと言える。教師であれば、誰でもスペアキーを持ち出すことはできる。それを池永という生徒が、どうにかして入手したのだろう。教師が池永に操られているのかもしれない、と根拠のない想像をした。

「財布から金が抜かれてる」浜砂は呟いた。「バカだな。そんなことをして、なんの意味があるんだ」

「お金が手に入ります」

「大した金額じゃない。バイトでもしたほうがマシだ」

「それでは、悪戯が目的かもしれません」

「そう、そちらのほうが、まだ可能性はある」浜砂は言った。「そもそも、ロッカーに財布を入れるやつがバカなんだ。肌身離さず持っておけば良い」

「ほとんどの生徒は、そうしてますよ」俺は言った。「体育の授業のときは、更衣室に置いておくわけにもいかないので、皆、ロッカーに入れるんです」

「なるほどね」浜砂は言った。「しかし、本当に、くだらない事件だ。いますぐ忘れたい……。よし、忘れた」

 切り換えの早い人だ。
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