第06話 あやふやクイズだ
文字数 2,837文字
五月十七日、水曜日。
朝、教室へ入ると同時に、雑賀が詰め寄ってきた。
「一月一日は、もっとも出生者の数が少ない」
雑賀は、A4の紙をぐいっと俺に押しつけてきた。
受け取り、拝見する。それはニュースサイトの記事だった。過去十年ほどのデータを調べており、日本において、もっとも出生者の少ない日は、二月二十九日を除けば、一月一日であると記されている。
「自然分娩に関しては、他の日と大差ない」雑賀は話をはじめた。「でも、帝王切開による分娩を、正月からするバカはいない。一日、前か後ろにずらす。よって、一月一日は、もっとも子供が生まれない。昨日のあなたの答えは、真っ赤な大嘘ということになる」
雑賀は薄い胸を張り、力強く言った。
「ここ十年間なら、たしかに一月一日は、子供の生まれた数は少ないだろう」俺は認めた。
「そうでしょう?」
「しかし、昨日、俺は、ここ十年で、もっとも子供の多く生まれた日をきいたわけではない。なんといったか、覚えているか?」
「日本で、もっとも子供の多く生まれた日は、いつなのか、でしょう?」
「そうはきいていない。もっとも誕生日を迎える人の多い日、と言った」
雑賀は黙っていた。目を瞑る。集中して思考するときの癖なのだろう。雑賀は十秒間目をつむっていたが、開いた。
「誕生日が、生まれた日とは限らない?」
「その通り」俺は言った。
「でも、だからといって、なぜ一月一日」
そこまで言ったところで、雑賀は言葉を止めた。理解したらしい。
「数え年」雑賀はつぶやいた。
「その通り」
「戦前、明治や大正に生まれた人は、皆、数え年だった」雑賀は自身の思考の道筋を確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。「十二月の中旬以降に生まれた人たちは、一月一日に生まれたことにした。だから、一月一日生まれの人が多い。そういうこと?」
「そうなる」俺は言った。「まあ、すべてソースのない、俺の妄想だが」
「はあ?」雑賀は言った。「あなたは、なにを言っているの?」
「言葉通りの意味だ。あの場で思いついた、あやふやクイズだ」
「あやふやクイズって。なにそれ」
「答えは、ソースがないので、闇の中だ」
雑賀は、深々と溜息を吐いた。あまりにも大袈裟である。演技めいていた。
「あなたは、本当に、頭がおかしい」
「どうやら、そうらしい」俺はうなずいた。
「バカみたい。真面目に考えて損した」
そして雑賀は、いつも座っている席へと戻っていった。ふと、彼女の足もとを見ると、普段とは違うスリッパを履いている。学校指定のものではない。
「スリッパは、どうしたんだ」
「これは、つまり、その……」雑賀は言った。「お洒落を、してみました」
「校則違反だ」それに、それほどお洒落でもない。無地の緑色のスリッパだった。
「本当? そんな校則、本当にあるの?」
「第九条、衣服及び上履きは、当校指定のものを着用すべし、とある」
「それも、どうせ、いま思いついた、あやふや校則でしょう?」
「いや、実在する校則だ」俺は、校則をすべて覚えていた。
雑賀は胸ポケットから生徒手帳を取りだした。ページをめくり、そして俺を睨んだ。
「本当に書いてある」
「俺は嘘をつかない」ただし、ジョークは言う。「そのスリッパは良くない」
「これ、来客用スリッパ」と雑賀は言った。「借りてきたの。これも校則違反?」
「なぜ、自分のスリッパを履かない?」
「言いたくない」
「そうか、わかった」
俺は会話をやめ、自身の席に腰を下ろした。
「それだけ? きかないの?」
「話したくないことを、無理にはききださないことにしている」
「そう。良い心がけね」
褒めていただいた。
その後、苅部が教室に入ってきた。朝の挨拶などを行ったあと、昨日、雑賀に出したのと同じクイズを行った。
「知ってる知ってる」苅部は自信満々にうなずいた。「四月二日でしょ。四月一日だと、学年が一個上になるから、大変だもんね」
たしかに、近年でもっとも出生者が多いのは四月二日だ。さきほど雑賀からもらった紙にも、そのように書いてあった。
苅部にあやふやクイズの答えを説明しているうちに、浜砂先生が教室へ入ってきた。
そして、始業のチャイムが鳴ると同時に、ハーモニーが駆けこんできた。
「セーフ」
ハーモニーは、苦しそうに、上下に体を揺らしながら、大きく息を吸ったり吐いたりしていた。肩で息をするという表現が正しいだろう。ただ、この表現は、肩に口があると誤解されてしまうかもしれないので、注意が必要である。
そうしているうちに一時間目の授業がはじまり、大過なく終わった。
「ちょっとトイレに行ってくるね」と苅部は言って、去った。
その後を追うように、ハーモニーが教室から出ていく。
雑賀のほうを見たが、特に反応をすることなく、机の上に置かれた参考書を睨んでいた。
「ただいま」と苅部が戻ってきた。
そして、何かに気づいたようで、しばらく雑賀を見ていた。
「あのさ、雑賀さんのことなんだけど」苅部は小声で言った。「スリッパ、どうしたんだろう」
「表向きの理由は、お洒落をしているらしい」俺も声のボリュームを合わせる。
「表向き? よくわからないけど……雑賀さんと話したの?」
「ああ。あれは来客用のスリッパだ。雑賀のスリッパはどこにあるのかと尋ねたら、きかないでくれと言われたので、追求しなかった」
「そっか。うん。まあ、なんというか、あれじゃないといいけど」
「その発言は、すべてが不明瞭に過ぎる」
「これは、あくまでも、僕の想像なんだけど」そう前置きをして、苅部は言った。「雑賀さん、スリッパを隠されたりしてるんじゃないかな」
「なるほど」苅部の発言について、七秒考える。
俺は立ち上がり、雑賀のほうへ向かった。
ちょっと待って、と苅部が背後から声を掛けてくるが、無視することにした。
「スリッパは、どうしたんだ?」俺は尋ねた。
「言いたくない」しかし、雑賀はすぐに言った。「家にある」
「なぜ、スリッパを家に持って帰った?」
「履いて帰ったから」
昨日、雑賀が帰り道に、スリッパを履いていたことを思い出す。
「昨日、なぜ靴を履いて帰らなかったんだ?」
「ロッカーになかったから。靴に足でも生えて、逃げ出したのかも」
「本気で言っているのか?」
雑賀は何も言わなかった。
「どうして欲しい?」
「わたしに構わないで」
雑賀がそう言ったところで、チャイムが鳴った。
ぎりぎりのところでハーモニーが戻ってくる。彼女とすれ違うようにして、俺は席に戻る。
ハーモニーからは、必要以上に甘ったるい香りがしていた。香水だろう。それも、大量の。
朝、教室へ入ると同時に、雑賀が詰め寄ってきた。
「一月一日は、もっとも出生者の数が少ない」
雑賀は、A4の紙をぐいっと俺に押しつけてきた。
受け取り、拝見する。それはニュースサイトの記事だった。過去十年ほどのデータを調べており、日本において、もっとも出生者の少ない日は、二月二十九日を除けば、一月一日であると記されている。
「自然分娩に関しては、他の日と大差ない」雑賀は話をはじめた。「でも、帝王切開による分娩を、正月からするバカはいない。一日、前か後ろにずらす。よって、一月一日は、もっとも子供が生まれない。昨日のあなたの答えは、真っ赤な大嘘ということになる」
雑賀は薄い胸を張り、力強く言った。
「ここ十年間なら、たしかに一月一日は、子供の生まれた数は少ないだろう」俺は認めた。
「そうでしょう?」
「しかし、昨日、俺は、ここ十年で、もっとも子供の多く生まれた日をきいたわけではない。なんといったか、覚えているか?」
「日本で、もっとも子供の多く生まれた日は、いつなのか、でしょう?」
「そうはきいていない。もっとも誕生日を迎える人の多い日、と言った」
雑賀は黙っていた。目を瞑る。集中して思考するときの癖なのだろう。雑賀は十秒間目をつむっていたが、開いた。
「誕生日が、生まれた日とは限らない?」
「その通り」俺は言った。
「でも、だからといって、なぜ一月一日」
そこまで言ったところで、雑賀は言葉を止めた。理解したらしい。
「数え年」雑賀はつぶやいた。
「その通り」
「戦前、明治や大正に生まれた人は、皆、数え年だった」雑賀は自身の思考の道筋を確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。「十二月の中旬以降に生まれた人たちは、一月一日に生まれたことにした。だから、一月一日生まれの人が多い。そういうこと?」
「そうなる」俺は言った。「まあ、すべてソースのない、俺の妄想だが」
「はあ?」雑賀は言った。「あなたは、なにを言っているの?」
「言葉通りの意味だ。あの場で思いついた、あやふやクイズだ」
「あやふやクイズって。なにそれ」
「答えは、ソースがないので、闇の中だ」
雑賀は、深々と溜息を吐いた。あまりにも大袈裟である。演技めいていた。
「あなたは、本当に、頭がおかしい」
「どうやら、そうらしい」俺はうなずいた。
「バカみたい。真面目に考えて損した」
そして雑賀は、いつも座っている席へと戻っていった。ふと、彼女の足もとを見ると、普段とは違うスリッパを履いている。学校指定のものではない。
「スリッパは、どうしたんだ」
「これは、つまり、その……」雑賀は言った。「お洒落を、してみました」
「校則違反だ」それに、それほどお洒落でもない。無地の緑色のスリッパだった。
「本当? そんな校則、本当にあるの?」
「第九条、衣服及び上履きは、当校指定のものを着用すべし、とある」
「それも、どうせ、いま思いついた、あやふや校則でしょう?」
「いや、実在する校則だ」俺は、校則をすべて覚えていた。
雑賀は胸ポケットから生徒手帳を取りだした。ページをめくり、そして俺を睨んだ。
「本当に書いてある」
「俺は嘘をつかない」ただし、ジョークは言う。「そのスリッパは良くない」
「これ、来客用スリッパ」と雑賀は言った。「借りてきたの。これも校則違反?」
「なぜ、自分のスリッパを履かない?」
「言いたくない」
「そうか、わかった」
俺は会話をやめ、自身の席に腰を下ろした。
「それだけ? きかないの?」
「話したくないことを、無理にはききださないことにしている」
「そう。良い心がけね」
褒めていただいた。
その後、苅部が教室に入ってきた。朝の挨拶などを行ったあと、昨日、雑賀に出したのと同じクイズを行った。
「知ってる知ってる」苅部は自信満々にうなずいた。「四月二日でしょ。四月一日だと、学年が一個上になるから、大変だもんね」
たしかに、近年でもっとも出生者が多いのは四月二日だ。さきほど雑賀からもらった紙にも、そのように書いてあった。
苅部にあやふやクイズの答えを説明しているうちに、浜砂先生が教室へ入ってきた。
そして、始業のチャイムが鳴ると同時に、ハーモニーが駆けこんできた。
「セーフ」
ハーモニーは、苦しそうに、上下に体を揺らしながら、大きく息を吸ったり吐いたりしていた。肩で息をするという表現が正しいだろう。ただ、この表現は、肩に口があると誤解されてしまうかもしれないので、注意が必要である。
そうしているうちに一時間目の授業がはじまり、大過なく終わった。
「ちょっとトイレに行ってくるね」と苅部は言って、去った。
その後を追うように、ハーモニーが教室から出ていく。
雑賀のほうを見たが、特に反応をすることなく、机の上に置かれた参考書を睨んでいた。
「ただいま」と苅部が戻ってきた。
そして、何かに気づいたようで、しばらく雑賀を見ていた。
「あのさ、雑賀さんのことなんだけど」苅部は小声で言った。「スリッパ、どうしたんだろう」
「表向きの理由は、お洒落をしているらしい」俺も声のボリュームを合わせる。
「表向き? よくわからないけど……雑賀さんと話したの?」
「ああ。あれは来客用のスリッパだ。雑賀のスリッパはどこにあるのかと尋ねたら、きかないでくれと言われたので、追求しなかった」
「そっか。うん。まあ、なんというか、あれじゃないといいけど」
「その発言は、すべてが不明瞭に過ぎる」
「これは、あくまでも、僕の想像なんだけど」そう前置きをして、苅部は言った。「雑賀さん、スリッパを隠されたりしてるんじゃないかな」
「なるほど」苅部の発言について、七秒考える。
俺は立ち上がり、雑賀のほうへ向かった。
ちょっと待って、と苅部が背後から声を掛けてくるが、無視することにした。
「スリッパは、どうしたんだ?」俺は尋ねた。
「言いたくない」しかし、雑賀はすぐに言った。「家にある」
「なぜ、スリッパを家に持って帰った?」
「履いて帰ったから」
昨日、雑賀が帰り道に、スリッパを履いていたことを思い出す。
「昨日、なぜ靴を履いて帰らなかったんだ?」
「ロッカーになかったから。靴に足でも生えて、逃げ出したのかも」
「本気で言っているのか?」
雑賀は何も言わなかった。
「どうして欲しい?」
「わたしに構わないで」
雑賀がそう言ったところで、チャイムが鳴った。
ぎりぎりのところでハーモニーが戻ってくる。彼女とすれ違うようにして、俺は席に戻る。
ハーモニーからは、必要以上に甘ったるい香りがしていた。香水だろう。それも、大量の。