第19話 残りの十パーセントは漏らしたということだろうか?

文字数 2,920文字

「本当に、申しわけございません」柳井は、さきほどと同じ言葉を繰り返した。

「謝罪は不要」雑賀は言った。「理由を言いなさい」

「柳井と面識はないのか」俺は雑賀に尋ねた。

「ない」雑賀は力強く断言した。

「一応、同じクラスでした」柳井が補足する。「小学校から、一緒、なんだけど」

「そうだったかもしれませんね」雑賀はうなずいた。

 記憶力が悪い女だ。

「柳井は、誰かに命令されて、実行したらしい」

「誰に?」雑賀は柳井に強い視線を向けた。

「それは、言えません」

「わたしと、その人、どちらが怖い?」

 雑賀は微笑する。あまり、雑賀が笑った姿を見たことはなかった。素直に美しいと感じたけれど、でも、少し恐ろしかった。

「わかりません。でも、どうしたら良いのか、わからなくて」

「弱みでも握られてるの?」ハーモニーが口を挟む。

「そういうわけじゃないんですけど、でも、断れなくて」

「そう」雑賀は小さくうなずいた。「もう帰ってよろしい」

「いいの?」ずっと黙っていた苅部が口を挟む。「犯人が誰なのか、きいておいたほうが良いと思うけど」

「このような小者に、時間を割くほど暇ではない」雑賀は言った。「今後、阿喰に柳井の後をつけさせる。そうすれば、誰が命令したのか、容易に判明する」

 いつの間にか、俺が柳井を尾行することになっていた。もっとも、雑賀が言う前から、その予定ではあった。真犯人は、日頃から柳井に命令をしているのだろう。後をつけるまでもなく、クラスの人々に話をきくだけで、ある程度の目星がつくに違いない。

「わたし、どうしたら良いんでしょう」柳井は、いまにも泣き出してしまいそうだった。

「加害者が被害者ぶるのは、気に食わない」雑賀が冷たく言った。「阿喰くん、あなたにすべてを一任する」

「任されても困るが、任された」俺は言った。「柳井、きみは虐められているのか?」

「直球過ぎ」ハーモニーがつぶやいた。

「虐めではないと思います。でも、言うことをきかないと、のけ者にされちゃう。わたし、クラスで友達がいないから」

「のけ者にされて、何か困ることがあるか?」俺には、よくわからなかった。

「だって、ひとりでご飯を食べたりとか、そういうのって、惨めじゃないですか」

「俺は中学三年間、ずっとひとりで飯を食べてきたぞ」

「阿喰くん……」苅部が、温かい目でこちらを見た。「明日も、ご飯を一緒に食べようね」

 苅部が、なぜ急に明日の食事の予約を取ったのかはわからなかったが、うなずいておいた。空気の読めない男だ、と評価する。しかし、そのような人間であっても、排除しない。俺は、慈愛に満ち溢れた人間なのである。

「あなたは強いんですね」柳井は俺を見て言った。

「少なくとも、きみよりは強いだろう」俺はうなずいた。「腕相撲で負ける気はしない」

 そもそも、男女の体格差がある。基本的には男のほうが強いと言える。

「阿喰さんって、少し変ですね」

「少しではない。大いに変」雑賀は言った。「けれど、あなたよりはまともでしょうね。少なくとも、犯罪には手を染めていないのだから」

 その言葉に、柳井はびくりと体を震わせる。

「雑賀、あまり柳井を怖がらせないでくれ」

「なぜ、わたしが怒られる必要があるの? 被害者なのだけれど」不快感を露わにする。

「ある意味では、柳井も被害者だ。許してやることはできないか?」

「許すも何も、一切の興味がない」吐き捨てるように言った。「その子、外に連れて行ってちょうだい。顔も見たくない」

「五千円はどうする?」いまだに柳井が手に持ったままだ。

「要らない。真犯人を見つけたら、その方から頂くことにします」

「柳井も千円分くらいは悪いと思うが」

「良いから、出ていって」

 どうやら雑賀は機嫌が悪いようだった。しかし、機嫌の良い状態の彼女を見たことがなかったので、これが平常だという可能性も考えられる。もしも雑賀が本当に怒ったときは、どうなるのだろう、と思った。

 柳井を連れて、教室から出た。

「概ね問題は解決したと言えるな」

「解決してませんよぅ」柳井は息を吐いた。「すごく緊張しました」

「トイレは大丈夫か? 過度な緊張から解放されると、失禁することもあるときく」

「たぶん、大丈夫です。まあ、九十パーセントは大丈夫です」

 残りの十パーセントは漏らしたということだろうか?

「どうせ、きみの姿を普段から観察していれば、誰が命令したのかはわかる。首謀者の名前を教えて頂けないだろうか」

 柳井は俺の言葉を無視して言った。

「阿喰さんは、なぜ犯人を探しているんですか?」

「人助けをしろと、姉に言われているんだ。ただ、それだけではない」

「じゃあ、どんな理由なんです?」

「俺は……人間を目指しているんだ」

「え?」柳井は驚いた顔を見せた。「人間じゃないんですか?」

 俺は何も答えなかった。

「もしかして、雑賀さんのことが、好きなの?」

「それはよくされる質問だ」俺は言った。「この世界にいる、多くの人間よりは好きだ。けれど、それは特別な好意というわけではない。苅部のほうが、やや好きだと言えるだろう」

「男の人が好きなの?」

「人を愛するのに、性別が関係あるか?」

「そう。なるほど」柳井はうなずく。「そういうの、良いと思う。すごく良いと思う」

 そういうのとは、どういうのだろうか、と思った。

「特別クラスって、みんな、仲良いの?」

 いつの間にか、柳井が敬語ではなくなっている。やや馴れ馴れしいが、しかし、敬語か否かなど大した問題ではない。些事だと言える。

「わからない。表面上は仲良くしているが、裏ではどう思っているか」

「そんなに、ぎすぎすしてるの?」

「ぎすぎすには三種類の意味がある」俺は言った。「やせていて貧相なことを指すのか、とげとげしく愛想のないことを指すのか、それとも、ゆとりがなく堅苦しいことを指すのか」

「えっと」柳井は六秒黙った。思考が鈍いな、と感じた。あるいは、そういう風に見せているのかもしれない。「二番と三番の、合わせ技」

「そもそも、特別クラスの人間関係が、きみに何か関係あるのか?」

「ないけど、ちょっと気になったから。きいちゃダメだった?」

「ダメなどとは一言も言っていない。単純な疑問だ」

「なんか、阿喰くんって、ちょっと怖いかも。怒ってる?」

「怒っていない」言いながら、この台詞を言う人は、大抵の場合、怒っているなと思った。

 しかし、俺は本当に怒っていないのである。

「怒ってないなら良いんだけど……あのさ、阿喰くんに、助けて欲しいんだよね」

「俺に出来ることならば、助力するのもやぶさかではない」進んで救いたい気持ちだ。

「やぶさかって、何? はやぶさと関係ある?」

「はやぶさや、やぶさめとは無関係だ。恐らくは、花咲か爺さんとも無関係だろう」

 俺のジョークは不発だったようで、柳井の表情は無になっていた。
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