第36話 いやらしくはないと思う
文字数 2,673文字
結局、木崎先生から話をきいてみたが、大したことはわからなかった。
皆が、何者かに操られている。その正体については、皆目見当もつかない。
無我夢中……ではなくて、五里霧中といった感じだった。犯人の尻尾すら掴めていない。犯人には、尻尾など生えていないだろうけれど。
「どうしたものか」俺はつぶやいた。
俺と苅部は、カウンセリング室の近くにある壁にもたれていた。浜砂先生は、すでにカウンセリング室に戻っている。
「どうしたら良いのかなぁ」苅部は俺の発言を真似する。「みんなが幸せになれる方法って、ないのかな?」
「壮大なテーマだな」俺は言った。「真の平等をいかに実現するか、か」
「そんな高尚なこと考えてないから。脅迫されてる人たち、みんな、可哀想じゃない」
「ある種、自業自得ではあるが、たしかに可哀想だ」ヨッシーだけは、自業自得でもないかもしれない。
「うーん」苅部が唸る。
「やっぱり、警察に相談するのが一番良いと思う」
どこかのタイミングで、勇気を出して警察を頼るべきだ。そうすることで失われるものも多いだろう。けれど、そうしなければ根本的な解決にはならない。
あるいは、もはや、警察に相談できるタイミングを逸しているのかもしれなかった。もっと早い段階であれば、大した問題にはならなかっただろう。犯人の要求も、最初は控えめなものだったに違いない。徐々にそれがエスカレートしていき、警察に相談できないようになってしまったのだ。
「ある種、チキンレースではある」俺は言った。「どこかのタイミングで、誰かがパンクする。命令をきかなくなる。そして、警察に駆けこまれたら終わりだ」
「実際、警察もどうなんだろうね。昨日も言ったけど、メールは匿名で送れるし」
「そうだった」
「海外のサーバーを使えば、足はつかないよ。そもそも、匿名でネットをするツールだってあるしね。そうなると、お手上げ。警察にできることは何もないよ」
「詳しいんだな」
「まあ、ちょっとね」苅部は微かに笑んだ。
さて、どうしたものかと考えていると、携帯端末にメッセージが届いた。
発信者は柳井である。『ご相談があるのですが』という短いメッセージだった。
『なんだ?』
『ちょっと、困った事態になっておりまして』
『だから、なんだ?』
『怒ってますか?』
『怒っていないが、なんだ?』
『やっぱり怒ってますね?』
『早く用件を言ってくれ。なんだ?』
な、と押しただけで自動的に『なんだ?』と打てる。
『メッセージじゃ、ちょっと……。会えませんか?』
『いまは第三多目的教室の近くにいる。柳井はどこにいるんだ?』
『わたしも学校内にいます。すぐ、そちらへ行きます。近くにどなたかいらっしゃいますか?』
『苅部がいるぞ』
『できれば、ふたりきりでお会いしたいのです』
『了解』
それにしても、バカ丁寧なメッセージだな、と思った。柳井は、もう少し砕けた感じの口調ではなかったか。そういう気分だったのかもしれない。人の口調というか、文調など、その日の気分次第で変わるものだ。ずっと同じであるほうがおかしいと言える。
俺は端末を閉じ、隣に立つ苅部に言った。
「悪いが、帰ってくれ」
「どうして、急に、そんなこと言うのさ」
「いまから、柳井と話があるんだ」
「ふたりっきりで? 僕がいちゃまずいの?」
「そうらしい」
「なんか、やらしいなぁ」
「いやらしくはないと思う」たぶん。
「まあ、わかったよ。先に帰るね。また何かあったらメッセ送ってよ」
「了解した」
苅部が教室に入っていき、すぐに荷物を取って戻ってきた。
「雑賀は?」
「もういなかったよ。帰ったんじゃないかな」
「そうか。じゃあ、気をつけてな」
「ばいばい」小さく手をひらひらさせる。
苅部が去ってから、五分後に柳井がやって来た。手には荷物を持っていない。どこか暗い雰囲気だった。意気消沈、という四字熟語が相応しい。
「どうした? 体調でも悪いのか?」
「ううん、そういうわけじゃ、ないんだけど」
いまにも泣きそうな雰囲気だった。
「俺では役不足かもしれないが、話ならきこう」
「この場合、力不足のほうが良いと思うけど」柳井は言った。「でも、うん、お話をきいてもらえると、助かるかな」
俺と柳井は第三多目的教室へ入った。柳井が、教室から入ってすぐの席に座ったので、俺も隣に腰を下ろした。しばらく待っていたが、柳井は何も言わない。こうなれば我慢比べである。俺も黙っていた。そうして三分が経過して、ようやく柳井は口を開いた。
「あのさ、阿喰くんと雑賀さんって、つきあってるんだよね?」
「どうやら、そうらしい」
まったく実感はわいていないけれども。
「じゃあ、困るかもしれない」
「困るのは誰だ? 俺か? それともきみか?」
「わたしは困ってるし、困るかもしれないのは阿喰くん」
まるで暗号のような会話だった。もっとストレートに語って欲しいものだ。
「頼むから、わかりやすく言ってくれ」
俺は普通の人々よりも、理解力が低いのだ。
「あのね、脅迫メールが送られてきたんだけど」
「池永からか?」
「ううん。そうじゃなくて、真犯人、みたい」
「内容は?」
「それがね」言いづらそうにしていた。
柳井は端末を開いて、俺に渡してきた。
犯人のアドレスは、無作為な文字列に、フリーメールのドメインがついていた。
『阿喰有史とキスをしろ。さもなければ、貴様の秘密が暴露されることになるだろう』
「こんなの、困るよね。だって、阿喰くんは、雑賀さんとつきあってるんだもんね」
「なるほどな」俺は言った。「きみの秘密とはなんだ?」
「そんなの、言えるわけないでしょ」
秘密は、言えないから秘密なのである。もっともな話だった。
「その秘密は、どの程度危険なものだ?」
「知られたら、おしまい。死にます」
周知されただけで死ななければならない秘密なんて、あるのだろうか。たとえば、既婚者が不倫をしているなど、そういう秘密が発覚すればダメージは大きい。けれど、死ぬほどのことではない。また、かつて人を殺しており、そのことを犯人に知られていたのだとしても、死ぬよりは警察に出頭したほうがましだろう。よくわからないものだった。
「阿喰くん……キス、してくれない?」
皆が、何者かに操られている。その正体については、皆目見当もつかない。
無我夢中……ではなくて、五里霧中といった感じだった。犯人の尻尾すら掴めていない。犯人には、尻尾など生えていないだろうけれど。
「どうしたものか」俺はつぶやいた。
俺と苅部は、カウンセリング室の近くにある壁にもたれていた。浜砂先生は、すでにカウンセリング室に戻っている。
「どうしたら良いのかなぁ」苅部は俺の発言を真似する。「みんなが幸せになれる方法って、ないのかな?」
「壮大なテーマだな」俺は言った。「真の平等をいかに実現するか、か」
「そんな高尚なこと考えてないから。脅迫されてる人たち、みんな、可哀想じゃない」
「ある種、自業自得ではあるが、たしかに可哀想だ」ヨッシーだけは、自業自得でもないかもしれない。
「うーん」苅部が唸る。
「やっぱり、警察に相談するのが一番良いと思う」
どこかのタイミングで、勇気を出して警察を頼るべきだ。そうすることで失われるものも多いだろう。けれど、そうしなければ根本的な解決にはならない。
あるいは、もはや、警察に相談できるタイミングを逸しているのかもしれなかった。もっと早い段階であれば、大した問題にはならなかっただろう。犯人の要求も、最初は控えめなものだったに違いない。徐々にそれがエスカレートしていき、警察に相談できないようになってしまったのだ。
「ある種、チキンレースではある」俺は言った。「どこかのタイミングで、誰かがパンクする。命令をきかなくなる。そして、警察に駆けこまれたら終わりだ」
「実際、警察もどうなんだろうね。昨日も言ったけど、メールは匿名で送れるし」
「そうだった」
「海外のサーバーを使えば、足はつかないよ。そもそも、匿名でネットをするツールだってあるしね。そうなると、お手上げ。警察にできることは何もないよ」
「詳しいんだな」
「まあ、ちょっとね」苅部は微かに笑んだ。
さて、どうしたものかと考えていると、携帯端末にメッセージが届いた。
発信者は柳井である。『ご相談があるのですが』という短いメッセージだった。
『なんだ?』
『ちょっと、困った事態になっておりまして』
『だから、なんだ?』
『怒ってますか?』
『怒っていないが、なんだ?』
『やっぱり怒ってますね?』
『早く用件を言ってくれ。なんだ?』
な、と押しただけで自動的に『なんだ?』と打てる。
『メッセージじゃ、ちょっと……。会えませんか?』
『いまは第三多目的教室の近くにいる。柳井はどこにいるんだ?』
『わたしも学校内にいます。すぐ、そちらへ行きます。近くにどなたかいらっしゃいますか?』
『苅部がいるぞ』
『できれば、ふたりきりでお会いしたいのです』
『了解』
それにしても、バカ丁寧なメッセージだな、と思った。柳井は、もう少し砕けた感じの口調ではなかったか。そういう気分だったのかもしれない。人の口調というか、文調など、その日の気分次第で変わるものだ。ずっと同じであるほうがおかしいと言える。
俺は端末を閉じ、隣に立つ苅部に言った。
「悪いが、帰ってくれ」
「どうして、急に、そんなこと言うのさ」
「いまから、柳井と話があるんだ」
「ふたりっきりで? 僕がいちゃまずいの?」
「そうらしい」
「なんか、やらしいなぁ」
「いやらしくはないと思う」たぶん。
「まあ、わかったよ。先に帰るね。また何かあったらメッセ送ってよ」
「了解した」
苅部が教室に入っていき、すぐに荷物を取って戻ってきた。
「雑賀は?」
「もういなかったよ。帰ったんじゃないかな」
「そうか。じゃあ、気をつけてな」
「ばいばい」小さく手をひらひらさせる。
苅部が去ってから、五分後に柳井がやって来た。手には荷物を持っていない。どこか暗い雰囲気だった。意気消沈、という四字熟語が相応しい。
「どうした? 体調でも悪いのか?」
「ううん、そういうわけじゃ、ないんだけど」
いまにも泣きそうな雰囲気だった。
「俺では役不足かもしれないが、話ならきこう」
「この場合、力不足のほうが良いと思うけど」柳井は言った。「でも、うん、お話をきいてもらえると、助かるかな」
俺と柳井は第三多目的教室へ入った。柳井が、教室から入ってすぐの席に座ったので、俺も隣に腰を下ろした。しばらく待っていたが、柳井は何も言わない。こうなれば我慢比べである。俺も黙っていた。そうして三分が経過して、ようやく柳井は口を開いた。
「あのさ、阿喰くんと雑賀さんって、つきあってるんだよね?」
「どうやら、そうらしい」
まったく実感はわいていないけれども。
「じゃあ、困るかもしれない」
「困るのは誰だ? 俺か? それともきみか?」
「わたしは困ってるし、困るかもしれないのは阿喰くん」
まるで暗号のような会話だった。もっとストレートに語って欲しいものだ。
「頼むから、わかりやすく言ってくれ」
俺は普通の人々よりも、理解力が低いのだ。
「あのね、脅迫メールが送られてきたんだけど」
「池永からか?」
「ううん。そうじゃなくて、真犯人、みたい」
「内容は?」
「それがね」言いづらそうにしていた。
柳井は端末を開いて、俺に渡してきた。
犯人のアドレスは、無作為な文字列に、フリーメールのドメインがついていた。
『阿喰有史とキスをしろ。さもなければ、貴様の秘密が暴露されることになるだろう』
「こんなの、困るよね。だって、阿喰くんは、雑賀さんとつきあってるんだもんね」
「なるほどな」俺は言った。「きみの秘密とはなんだ?」
「そんなの、言えるわけないでしょ」
秘密は、言えないから秘密なのである。もっともな話だった。
「その秘密は、どの程度危険なものだ?」
「知られたら、おしまい。死にます」
周知されただけで死ななければならない秘密なんて、あるのだろうか。たとえば、既婚者が不倫をしているなど、そういう秘密が発覚すればダメージは大きい。けれど、死ぬほどのことではない。また、かつて人を殺しており、そのことを犯人に知られていたのだとしても、死ぬよりは警察に出頭したほうがましだろう。よくわからないものだった。
「阿喰くん……キス、してくれない?」