第14話 苅部、少し目をつむっていてくれないか
文字数 2,661文字
放課後、俺は苅部とふたりで飼育小屋を訪れていた。
「靴って、このあたりに捨てられてたんだっけ」苅部が、きょろきょろと周囲を見まわす。
「前は、小屋の後ろの茂みに落ちていた」と俺は答えた。
「今回のは、綺麗だったよね」
俺は無言でうなずいた。少し薄汚れてはいたが、雑賀曰く、単なる経年劣化に過ぎないらしい。なにか悪戯をされている、というわけではなかった。前回のように切り刻まれてもいない。
「問題は、鍵を開けられたことだな」
「そうだよね。パスワードを変えてたのに、だもんね」
昨日の夕方に、雑賀のロッカーはパスワードを変更した。そして、朝、靴を入れた。しかし、すぐに盗まれ、昼休みには飼育小屋の近くに捨てられていたという。早業だと言えた。
「マスターキーの所在を把握する必要があるな」俺は言った。「教師が犯人やもしれぬ」
「巨悪だ」苅部は言った。
「巨悪というには、犯罪が矮小に過ぎる。革靴を盗んで、何がしたいのか」
「盗むこと自体が目的なのかな。雑賀さんに嫌がらせをしたいとか」
雑賀が、靴を盗まれたくらいでへこたれるだろうか、と考えた。しかし、放課後、彼女が泣いていたことを思い出す。意外と打たれ弱いのかもしれない。普段の彼女は、その弱さを隠すための、仮面に過ぎない。そう考えることもできた。
周囲を観察していると、空き缶が落ちていることに気づいた。
「誰かが、ここに来ているわけだ」
俺は空き缶を拾った。無糖のブラックコーヒーだった。
「それ、どうするの?」
「捨てる」俺は言った。「校内を美化しておく」
「阿喰くんって、やさしいんだね」
「やさしい人間であることを、苅部にアピールしたいだけなのかもしれない」
空き缶の中には、水が入っていた。まだ液体が残っているのだろうかと思ったが、違う。その水は黒く濁っており、水面には煙草の吸い殻が浮いていた。
「なるほど」
「何が、なるほどなの?」
「なんでもない」俺は苅部には言わないことにした。
嘘をつくのは嫌いだが、誤魔化したのは嘘をつくのとは違う、と自分を正当化する。そもそも、苅部に伝えても良いのだ。けれども、伝えないほうが良いかもしれない、と直感したのである。理由はわからない。ただ、なんとなくである。
「苅部、もし仮にだが、俺が犯罪者だとしたら、どうする?」
「阿喰くん、何かしたの?」苅部が目を細めて俺を見た。
「きみは、仮定法を理解できないのか?」
「冗談だよ」微笑して苅部は言った。「犯罪の内容によるけど、まあ、気にしないかな」
「どうして?」
「阿喰くんのこと、悪い人じゃないって思うし。もし、何か悪いことをやったんだとしても、理由があったんだと思うから」
「なるほど」俺は言った。「期待していた答えとは違う」
「どういう答えを期待されていたのさ」
「わからん」
「もう、阿喰くん、わけわかんない」
「その言葉も、昔、よく言われた」いまでも親によく言われる。
俺は手に持った、コーヒーの缶を見た。
「苅部、少し目をつむっていてくれないか」
「え? 急に、どうしたのさ。そういうの、困るなぁ。良くないと思うなぁ」
「いいからつむれ」
苅部は、なぜか頬を染めながら目をつむった。
その隙に、缶のなかに入っていた水を、すべて排水溝に捨てた。そして、吸い殻をティッシュに何重にもくるむ。それでも水でひたひただったので、仕方なく、タオル地のハンカチで包んだ。ジャケットの内ポケットに入れておく。
「よし、目を開けていいぞ」
「え? 何? なんだったの?」
俺は答えなかった。
「ちょっと、なんだったのさ」
俺は苅部の言葉を無視した。
ふたりで飼育小屋を後にする。ハーモニーは忙しいらしく、本日は帰ると言っていた。雑賀は教室に残っているはずだ。今後の対策を考える必要があった。
教室への帰り道に自販機があったので、隣に置かれていたゴミ箱へ空き缶を捨てた。
ふと苅部を見ると、どうやら怒っているようだった。
「どうした?」
「さっきの、わけがわからなかったんだけど」
「長い人生、そういうこともあるだろう」
「なんか、はぐらかされてる気がする」
はぐらかしているのだった。
教室に戻ると同時に、雑賀が言った。
「何か新しい発見は?」
「特になし」俺は言った。
隣で苅部が何か言いたそうにしていたが、無視することにした。
「そう。わかった。もう良いです。大した被害でもないし、これ以上、皆の手を患わせるほどのことでもない。終わりにしましょう」
「諦めるのか?」
「小悪党に、時間を奪われるのが嫌」
「そうか」俺は言った。「雑賀は何もしなくて良い。俺が犯人を見つけよう」
「なぜ、そこまでしてくれるの? あなた、わたしに惚れているの?」
「惚れていない」自意識過剰な女だった。「よくわからない。単なる興味本位なのかもしれない。事件のことを考えていると、少し楽しい気がする。これは迷惑か?」
実際には、人間を目指しての行動である。
雑賀は二秒黙り、そして言った。
「好きにしたら良い」
「それでは、好きにさせて頂こう」
その日、家に帰ったあと、俺は拾ってきた吸い殻を自室の机に広げて調べてみた。順当に考えれば、この吸い殻の主は教師である。だからといって、教師が雑賀の革靴を盗んだ犯人とは限らない。マスターキーを所有しており、いつでも雑賀のロッカーを開けられるからといって、教師が犯人であるとは限らない。
マスターキーについて調べる必要があった。
けれども、その前にしなければならないことがあった。
翌日、俺は始業の三〇分前に来て、校門の前に立っていた。幾人もの生徒が、俺をちらりと見ては通り過ぎていく。十分後、雑賀が現れた。
「早いのね」
「おはよう」俺は言った。
「わたしを待ち伏せしていたの?」
「違う」雑賀は常に自意識過剰である。「また後で会おう」
雑賀は何度も振り返りながら、校舎のほうへと進んでいった。それからさらに五分後、つまりは始業の十五分前になったところで、ハーモニーがやって来た。
「おはよう」
「うわ、びっくりした。何? まさか、わたしを待ち伏せしてたとか?」
俺はハーモニーの目を見て言った。
「そうだ。ハーモニー、きみを待っていた」
「靴って、このあたりに捨てられてたんだっけ」苅部が、きょろきょろと周囲を見まわす。
「前は、小屋の後ろの茂みに落ちていた」と俺は答えた。
「今回のは、綺麗だったよね」
俺は無言でうなずいた。少し薄汚れてはいたが、雑賀曰く、単なる経年劣化に過ぎないらしい。なにか悪戯をされている、というわけではなかった。前回のように切り刻まれてもいない。
「問題は、鍵を開けられたことだな」
「そうだよね。パスワードを変えてたのに、だもんね」
昨日の夕方に、雑賀のロッカーはパスワードを変更した。そして、朝、靴を入れた。しかし、すぐに盗まれ、昼休みには飼育小屋の近くに捨てられていたという。早業だと言えた。
「マスターキーの所在を把握する必要があるな」俺は言った。「教師が犯人やもしれぬ」
「巨悪だ」苅部は言った。
「巨悪というには、犯罪が矮小に過ぎる。革靴を盗んで、何がしたいのか」
「盗むこと自体が目的なのかな。雑賀さんに嫌がらせをしたいとか」
雑賀が、靴を盗まれたくらいでへこたれるだろうか、と考えた。しかし、放課後、彼女が泣いていたことを思い出す。意外と打たれ弱いのかもしれない。普段の彼女は、その弱さを隠すための、仮面に過ぎない。そう考えることもできた。
周囲を観察していると、空き缶が落ちていることに気づいた。
「誰かが、ここに来ているわけだ」
俺は空き缶を拾った。無糖のブラックコーヒーだった。
「それ、どうするの?」
「捨てる」俺は言った。「校内を美化しておく」
「阿喰くんって、やさしいんだね」
「やさしい人間であることを、苅部にアピールしたいだけなのかもしれない」
空き缶の中には、水が入っていた。まだ液体が残っているのだろうかと思ったが、違う。その水は黒く濁っており、水面には煙草の吸い殻が浮いていた。
「なるほど」
「何が、なるほどなの?」
「なんでもない」俺は苅部には言わないことにした。
嘘をつくのは嫌いだが、誤魔化したのは嘘をつくのとは違う、と自分を正当化する。そもそも、苅部に伝えても良いのだ。けれども、伝えないほうが良いかもしれない、と直感したのである。理由はわからない。ただ、なんとなくである。
「苅部、もし仮にだが、俺が犯罪者だとしたら、どうする?」
「阿喰くん、何かしたの?」苅部が目を細めて俺を見た。
「きみは、仮定法を理解できないのか?」
「冗談だよ」微笑して苅部は言った。「犯罪の内容によるけど、まあ、気にしないかな」
「どうして?」
「阿喰くんのこと、悪い人じゃないって思うし。もし、何か悪いことをやったんだとしても、理由があったんだと思うから」
「なるほど」俺は言った。「期待していた答えとは違う」
「どういう答えを期待されていたのさ」
「わからん」
「もう、阿喰くん、わけわかんない」
「その言葉も、昔、よく言われた」いまでも親によく言われる。
俺は手に持った、コーヒーの缶を見た。
「苅部、少し目をつむっていてくれないか」
「え? 急に、どうしたのさ。そういうの、困るなぁ。良くないと思うなぁ」
「いいからつむれ」
苅部は、なぜか頬を染めながら目をつむった。
その隙に、缶のなかに入っていた水を、すべて排水溝に捨てた。そして、吸い殻をティッシュに何重にもくるむ。それでも水でひたひただったので、仕方なく、タオル地のハンカチで包んだ。ジャケットの内ポケットに入れておく。
「よし、目を開けていいぞ」
「え? 何? なんだったの?」
俺は答えなかった。
「ちょっと、なんだったのさ」
俺は苅部の言葉を無視した。
ふたりで飼育小屋を後にする。ハーモニーは忙しいらしく、本日は帰ると言っていた。雑賀は教室に残っているはずだ。今後の対策を考える必要があった。
教室への帰り道に自販機があったので、隣に置かれていたゴミ箱へ空き缶を捨てた。
ふと苅部を見ると、どうやら怒っているようだった。
「どうした?」
「さっきの、わけがわからなかったんだけど」
「長い人生、そういうこともあるだろう」
「なんか、はぐらかされてる気がする」
はぐらかしているのだった。
教室に戻ると同時に、雑賀が言った。
「何か新しい発見は?」
「特になし」俺は言った。
隣で苅部が何か言いたそうにしていたが、無視することにした。
「そう。わかった。もう良いです。大した被害でもないし、これ以上、皆の手を患わせるほどのことでもない。終わりにしましょう」
「諦めるのか?」
「小悪党に、時間を奪われるのが嫌」
「そうか」俺は言った。「雑賀は何もしなくて良い。俺が犯人を見つけよう」
「なぜ、そこまでしてくれるの? あなた、わたしに惚れているの?」
「惚れていない」自意識過剰な女だった。「よくわからない。単なる興味本位なのかもしれない。事件のことを考えていると、少し楽しい気がする。これは迷惑か?」
実際には、人間を目指しての行動である。
雑賀は二秒黙り、そして言った。
「好きにしたら良い」
「それでは、好きにさせて頂こう」
その日、家に帰ったあと、俺は拾ってきた吸い殻を自室の机に広げて調べてみた。順当に考えれば、この吸い殻の主は教師である。だからといって、教師が雑賀の革靴を盗んだ犯人とは限らない。マスターキーを所有しており、いつでも雑賀のロッカーを開けられるからといって、教師が犯人であるとは限らない。
マスターキーについて調べる必要があった。
けれども、その前にしなければならないことがあった。
翌日、俺は始業の三〇分前に来て、校門の前に立っていた。幾人もの生徒が、俺をちらりと見ては通り過ぎていく。十分後、雑賀が現れた。
「早いのね」
「おはよう」俺は言った。
「わたしを待ち伏せしていたの?」
「違う」雑賀は常に自意識過剰である。「また後で会おう」
雑賀は何度も振り返りながら、校舎のほうへと進んでいった。それからさらに五分後、つまりは始業の十五分前になったところで、ハーモニーがやって来た。
「おはよう」
「うわ、びっくりした。何? まさか、わたしを待ち伏せしてたとか?」
俺はハーモニーの目を見て言った。
「そうだ。ハーモニー、きみを待っていた」