第40話 傀儡のマトリョーシカ事件
文字数 2,950文字
「結局さ、なんだったんだろうね」苅部が言った。
俺と苅部は、放課後、暇だったので教室でトランプをして遊んでいた。いまはババ抜きを行っている。ここまでの戦績は二十勝二十敗。良い勝負だと言えた。ふたりでするババ抜きは、すぐに決着がつくので、実にスリリングである。
「なにが、なんだったんだ?」俺は苅部の札を一枚取る。クソが。外れだ。ツノの生えているミッフィーを引いてしまった。
「柳井さんの事件。傀儡のマトリョーシカ事件だよ」これを命名したのは苅部である。「解決したのかな? なんか、よくわからないけど」
「池永、利倉、吉井は、まだぎこちないが、一緒に行動しているらしい」
あとひとり黒髪の女がいたが、名前は思い出せない。
「誰も、救えなかったね。結局、みんな、傷ついたままだし」
「浜砂先生が、カウンセリングをしてくれているらしい。まあ、なんとかなるだろう」
俺には、あの三人のことは興味がなかった。そもそも、大抵のことには興味がないと言える。
苅部が俺の札を一枚引いた。おっと。ツノの生えたミッフィーが残ってしまった。
「あがり」札を机に投げ出す。「阿喰くん、すぐ顔に出るよね」
「しかし、良い勝負だぞ?」
これで二十勝二十一敗だ。
「わざと負けてあげてたの」苅部は言った。
そんなバカな。愕然とした。せざるを得なかった。
「柳井さんのしたこと、ひどいと思わない?」カードを集めながら言う。
「ひどいとは思う」特に、俺の千円を盗んでいったことは、万死に値すると言える。
けれども、なぜか俺は柳井に悪感情を抱けなかった。不思議なものだ。
「結局さ、柳井さんを罰することなく、逃がしちゃって良かったのかな? また、海外でも、同じように人を操って、ひどいことをするんじゃないかな?」
「そうかもしれないが、仕方ない」俺は言った。「柳井は、そういう風にしか生きられないんだ。台風や、洪水のようなもの。自分でも制御が効かないんだろう。ただ、俺たちから離れてくれて、それで良かったということにしよう」
「うん、まあ、そうなのかもね」苅部は微笑む。「いろいろあったけど、阿喰くんは大丈夫?」
「いろいろ」いろいろすぎて、不明瞭だ。「大丈夫だと思う。きっと」
「傷ついてない? 雑賀さんに、ひどいことされたじゃない?」
教室には、まだ雑賀が残っていた。俺たちの会話はきこえているはずだが、黙々と参考書に向かっていた。
「俺が、傷ついているように見えるか?」
「少し、元気がないように見えるけど」
「気のせいだろう。きっと。苅部が俺に感情移入しすぎなんだ」
「そうかなぁ。大丈夫? ご飯、ちゃんと食べてる?」
「毎日四食、しっかり食べている」
「それは食べ過ぎだから。また、いつものジョーク?」
「いや、我が家は、毎日四食あるんだ。朝、昼、帰宅後、夜の四食だ」
「へえ、豪華なんだね。お母さんも大変じゃないの?」
「料理はメイドがしてくれるので、母は大変ではない」
「メイドさんがいるの? あ、また、それもいつものジョークでしょ」
「ジョークじゃない。家に住み込みのメイドがいるんだ」
苅部は俺の言葉の理解に時間が掛かっているようだ。復活するのに、五秒必要だった。
「えっと、阿喰くんの家って、お金もちなの?」
「家の財政状況については不明だ」
「豪邸だったりする?」
「普通のマンションだ。3LDKだけどな」
「へえ、変わってるね」
「変わっていなければ、ここにいない」
「そりゃ、そうかもね」
そう言って、苅部は微笑んだ。
「ちょっといい?」不意に、雑賀が口を開いた。「苅部、帰ってもらえない?」
「急に何さ」
「阿喰と話があるの」
「そう。わかったよ」苅部は帰り仕度をはじめた。「阿喰くんを虐めないでよ?」
「虐めません」
「ならいいけど」苅部は俺のほうを向いた。「じゃあ、また明日」
そう言って、苅部は去っていった。教室には、俺と雑賀のふたりが残されたことになる。
「話とはなんだ?」
「柳井の件ですけど。わたしは、あなたに、ちょっと、ほんの少しだけ、微妙に、若干、ひどいことをしたかもしれない、と思わなきにしもあらず」
おかしな日本語だった。
「大したことではない。気にするな」
「本当に傷ついていないの? それとも、そういう風に振る舞っているだけ?」
「正直なところ、俺にもわからない。自分が傷ついているかどうかなんて、どうやって判断すれば良いのだろう?」
雑賀は五秒黙り、言葉を発した。
「あなたは、わたしのことが好きですか?」
「好きか嫌いかで言えば、好きのほうに入る。きみは美しい。そして、話していて楽しい」
雑賀は黙った。顔が赤く染まっていた。熱でもあるのかもしれない。
「わたしも、あなたのことは、嫌いではありません」
「それは良かった」嫌われていたとしても、構わないけれど。
「あなたが望むのであれば、また、嘘の恋愛をつづけてもよろしいですよ」
俺は少し考えた。二秒、三秒と過ぎていく。九秒で思考はまとまった。
「魅力的な提案だが、遠慮しておこう」
「どうして?」雑賀が俺を睨む。
「雑賀の迷惑になるからな。偽物の恋人がいれば、なかなか真実の恋もしづらいだろう」
「迷惑ではありません」
「そうか、でも、やめておこう」俺は言った。「雑賀が俺のことを好きならばまだしも、そうではないのであれば、無駄だ」
「好きでなきにしもあらず」
「どっちだ?」理解に苦しむ。
「もういいです。さっきまでのは、全部嘘ですから」
「どこからどこまでが嘘だ?」
俺に些細な罪悪感を覚えていた、というのも嘘だろうか。
どうやら、雑賀の機嫌は悪くなっているようだった。
「ひとつクイズを出そう」
雑賀は何も言わずに、俺の顔をじっと見た。
「日本で、もっとも生まれた人数の多い誕生日はいつか」
「一月一日でしょう?」雑賀は即答した。「そのクイズは、以前にもしました」
「そうだったか」
うっかりしていた。俺は三秒考え、新しいクイズを思いついた。
「じゃあ、第二弾だ。平成生まれ限定で、もっとも生まれた人数の少ない日は?」
「え?」虚を突かれたのか、雑賀の動きが止まる。
一秒、二秒とカウントしていき、七秒で再起動した。なかなか優秀だ。
「そうか、なるほど。平成は、一月一日から一月七日までは、少ないのね。そして一月一日は、帝王切開などが行われづらいから、一月一日が答え」
「その通りだ。すごいな。やるじゃないか」
褒めておいた。
まあ、本当は、二月二十九日なのだが。
「なかなか面白いじゃない」好評のようだった。「どこかのクイズ本で読んだの?」
「いや、たまに思いつくんだ」
「そう」
雑賀は短く言って、黙った。六秒が経過する。
「阿喰くん」雑賀は不意に言った。「あなたのことが好きです。つきあいましょう」
その質問に答えるまで、二十秒もかかってしまった。なかなかの難問だと言えた。
俺と苅部は、放課後、暇だったので教室でトランプをして遊んでいた。いまはババ抜きを行っている。ここまでの戦績は二十勝二十敗。良い勝負だと言えた。ふたりでするババ抜きは、すぐに決着がつくので、実にスリリングである。
「なにが、なんだったんだ?」俺は苅部の札を一枚取る。クソが。外れだ。ツノの生えているミッフィーを引いてしまった。
「柳井さんの事件。傀儡のマトリョーシカ事件だよ」これを命名したのは苅部である。「解決したのかな? なんか、よくわからないけど」
「池永、利倉、吉井は、まだぎこちないが、一緒に行動しているらしい」
あとひとり黒髪の女がいたが、名前は思い出せない。
「誰も、救えなかったね。結局、みんな、傷ついたままだし」
「浜砂先生が、カウンセリングをしてくれているらしい。まあ、なんとかなるだろう」
俺には、あの三人のことは興味がなかった。そもそも、大抵のことには興味がないと言える。
苅部が俺の札を一枚引いた。おっと。ツノの生えたミッフィーが残ってしまった。
「あがり」札を机に投げ出す。「阿喰くん、すぐ顔に出るよね」
「しかし、良い勝負だぞ?」
これで二十勝二十一敗だ。
「わざと負けてあげてたの」苅部は言った。
そんなバカな。愕然とした。せざるを得なかった。
「柳井さんのしたこと、ひどいと思わない?」カードを集めながら言う。
「ひどいとは思う」特に、俺の千円を盗んでいったことは、万死に値すると言える。
けれども、なぜか俺は柳井に悪感情を抱けなかった。不思議なものだ。
「結局さ、柳井さんを罰することなく、逃がしちゃって良かったのかな? また、海外でも、同じように人を操って、ひどいことをするんじゃないかな?」
「そうかもしれないが、仕方ない」俺は言った。「柳井は、そういう風にしか生きられないんだ。台風や、洪水のようなもの。自分でも制御が効かないんだろう。ただ、俺たちから離れてくれて、それで良かったということにしよう」
「うん、まあ、そうなのかもね」苅部は微笑む。「いろいろあったけど、阿喰くんは大丈夫?」
「いろいろ」いろいろすぎて、不明瞭だ。「大丈夫だと思う。きっと」
「傷ついてない? 雑賀さんに、ひどいことされたじゃない?」
教室には、まだ雑賀が残っていた。俺たちの会話はきこえているはずだが、黙々と参考書に向かっていた。
「俺が、傷ついているように見えるか?」
「少し、元気がないように見えるけど」
「気のせいだろう。きっと。苅部が俺に感情移入しすぎなんだ」
「そうかなぁ。大丈夫? ご飯、ちゃんと食べてる?」
「毎日四食、しっかり食べている」
「それは食べ過ぎだから。また、いつものジョーク?」
「いや、我が家は、毎日四食あるんだ。朝、昼、帰宅後、夜の四食だ」
「へえ、豪華なんだね。お母さんも大変じゃないの?」
「料理はメイドがしてくれるので、母は大変ではない」
「メイドさんがいるの? あ、また、それもいつものジョークでしょ」
「ジョークじゃない。家に住み込みのメイドがいるんだ」
苅部は俺の言葉の理解に時間が掛かっているようだ。復活するのに、五秒必要だった。
「えっと、阿喰くんの家って、お金もちなの?」
「家の財政状況については不明だ」
「豪邸だったりする?」
「普通のマンションだ。3LDKだけどな」
「へえ、変わってるね」
「変わっていなければ、ここにいない」
「そりゃ、そうかもね」
そう言って、苅部は微笑んだ。
「ちょっといい?」不意に、雑賀が口を開いた。「苅部、帰ってもらえない?」
「急に何さ」
「阿喰と話があるの」
「そう。わかったよ」苅部は帰り仕度をはじめた。「阿喰くんを虐めないでよ?」
「虐めません」
「ならいいけど」苅部は俺のほうを向いた。「じゃあ、また明日」
そう言って、苅部は去っていった。教室には、俺と雑賀のふたりが残されたことになる。
「話とはなんだ?」
「柳井の件ですけど。わたしは、あなたに、ちょっと、ほんの少しだけ、微妙に、若干、ひどいことをしたかもしれない、と思わなきにしもあらず」
おかしな日本語だった。
「大したことではない。気にするな」
「本当に傷ついていないの? それとも、そういう風に振る舞っているだけ?」
「正直なところ、俺にもわからない。自分が傷ついているかどうかなんて、どうやって判断すれば良いのだろう?」
雑賀は五秒黙り、言葉を発した。
「あなたは、わたしのことが好きですか?」
「好きか嫌いかで言えば、好きのほうに入る。きみは美しい。そして、話していて楽しい」
雑賀は黙った。顔が赤く染まっていた。熱でもあるのかもしれない。
「わたしも、あなたのことは、嫌いではありません」
「それは良かった」嫌われていたとしても、構わないけれど。
「あなたが望むのであれば、また、嘘の恋愛をつづけてもよろしいですよ」
俺は少し考えた。二秒、三秒と過ぎていく。九秒で思考はまとまった。
「魅力的な提案だが、遠慮しておこう」
「どうして?」雑賀が俺を睨む。
「雑賀の迷惑になるからな。偽物の恋人がいれば、なかなか真実の恋もしづらいだろう」
「迷惑ではありません」
「そうか、でも、やめておこう」俺は言った。「雑賀が俺のことを好きならばまだしも、そうではないのであれば、無駄だ」
「好きでなきにしもあらず」
「どっちだ?」理解に苦しむ。
「もういいです。さっきまでのは、全部嘘ですから」
「どこからどこまでが嘘だ?」
俺に些細な罪悪感を覚えていた、というのも嘘だろうか。
どうやら、雑賀の機嫌は悪くなっているようだった。
「ひとつクイズを出そう」
雑賀は何も言わずに、俺の顔をじっと見た。
「日本で、もっとも生まれた人数の多い誕生日はいつか」
「一月一日でしょう?」雑賀は即答した。「そのクイズは、以前にもしました」
「そうだったか」
うっかりしていた。俺は三秒考え、新しいクイズを思いついた。
「じゃあ、第二弾だ。平成生まれ限定で、もっとも生まれた人数の少ない日は?」
「え?」虚を突かれたのか、雑賀の動きが止まる。
一秒、二秒とカウントしていき、七秒で再起動した。なかなか優秀だ。
「そうか、なるほど。平成は、一月一日から一月七日までは、少ないのね。そして一月一日は、帝王切開などが行われづらいから、一月一日が答え」
「その通りだ。すごいな。やるじゃないか」
褒めておいた。
まあ、本当は、二月二十九日なのだが。
「なかなか面白いじゃない」好評のようだった。「どこかのクイズ本で読んだの?」
「いや、たまに思いつくんだ」
「そう」
雑賀は短く言って、黙った。六秒が経過する。
「阿喰くん」雑賀は不意に言った。「あなたのことが好きです。つきあいましょう」
その質問に答えるまで、二十秒もかかってしまった。なかなかの難問だと言えた。