第13話 漏らしたのか?

エピソード文字数 2,789文字

 体育の授業では、一時間、ずっとストレッチをしていた。教師が、いかにストレッチが重要かを語りながら、いろいろなストレッチを教えてくれた。正直なところ、俺はこれまで、ずっとストレッチなどという行動をバカにしていた。しかし、真面目に一時間もストレッチをすると、汗が垂れてきて、止まらなくなった。意外と面白いかもしれない。

 男子更衣室で着替えていると、苅部が言った。

「阿喰くん、筋肉すごいね」

「一応、毎日、トレーニングをしている」

「ちょっとさわっていい?」興味津々、といったようすである。

「ご随意に」

「それ、許可してるの? 拒否してるの?」

「許可している」

 苅部は、あまり言葉を知らないようだ。今後は、もう少し言葉のレベルを下げて話をしてあげよう、と思った。俺はやさしい男である。

「じゃ、遠慮なく」

 苅部は俺の胸筋を、人差し指でつついた。少しくすぐったい。最初は恐る恐るという感じだったが、慣れてきてからは、揉みはじめた。

「筋肉、好きなのか?」

「嫌いじゃない」苅部は良い笑顔で言った。「僕も、マッチョになりたいなぁ」

「なればいい」俺は言った。「トレーニングをすれば大丈夫だ」

「あんまり筋肉がつかない体質なんだよね。たくさんは食べられないし」苅部は、俺の筋肉から手を離した。「そういえば、阿喰くんてあんまり食べないのに、よくこんだけムキムキになれるよね」

「食べないのは昼だけだ。朝と夜は大量に食べる」

 ついでに言えば夕方も食べる。

「なるほどね」苅部は、俺の筋肉をじっと見ていた。「ジムとか行ってるの?」

「行きたいが、金がない。いまは、家で出来る範囲で鍛えている」

「なんで体を鍛えるの?」

「わからない」俺は言った。「趣味なんだと思う」

 筋トレをしているときは、何も考えなくてよい。

 ただひたすらに孤独で、純粋だ。それが良い。

 授業は進む。二時間目、三時間目、四時間目と時間は流れていく。

 昼休みになると同時に、ハーモニーがさっさと教室から出ていった。

「お昼、今日はどうする? みんなで食べる?」苅部が言った。

「ハーモニーが便所から戻ってきたらきいてみよう」

「下品な言葉遣いは、やめなさい」きき耳を立てていたのか、雑賀が口を挟んできた。

「便所が下品だとすると、どのように言えば良いんだ?」

「お手洗いとか、お小水とか」

「それでは、ハーモニーがお小水から戻ってきたら、きいてみよう」

「そもそも、女性のトイレについて言及をするのがマナー違反」

 最初から、そう言ってくれたら良いのだ。

 しかし、五分ほど待っていたが、ハーモニーは戻って来なかった。

「長いな」俺は言った。

「トイレについて言及するのを禁止したはずだけど」雑賀が言った。「便秘かしら」

「きみもトイレについて言及しているじゃないか」

「同性だからセーフなの」雑賀ルールは、実にややこしい。「ちょっと見てきなさい」

「わかった」俺は立ちあがった。

「ちょっと待った」苅部が俺の服の裾をつかむ。「雑賀さんが言ったのは、女子トイレのなかを確認してこいって意味じゃないからね」

「違うのか?」

「違う」雑賀は吐き捨てるように言った。「そのあたりを散策して、ハミルさんを探してきなさい、ということ」

「なるほど、委細承知した」

 ハーモニーを探すことにした。俺は教室を出て、まずは近くにあるトイレへ向かった。

 一応、女子トイレのドアをノックしてみたが、反応はなかった。それほど遠くには行っていないだろうと考え、周囲を歩き回ってみたが、ハーモニーは見つからない。入れ違いで教室に戻っているかもしれないと考え、苅部に携帯端末でメッセージを送信してみたが、まだ戻っていないらしい。

 ハーモニーがいそうな場所を考える。心当たりは、ひとつだけあった。飼育小屋のほうだ。俺はあそこに呼びだされたことがあった。ハーモニーは普段から、あのあたりを利用しているのかもしれない。

 到着してみると、たしかにハーモニーの姿があった。手に革靴を持っている。

 俺の足音に気づいたようで、ハーモニーはこちらを見た。

「それ、どうしたんだ?」

「うーん」ハーモニーは三秒黙り、答えた。「拾った」

「雑賀のものか?」近づいて、確認しようと思った。

「ストップ」

 ハーモニーが手のひらをこちらに向けて広げる。止まれ、ということらしい。

「どうした?」

「わたしに近寄らないで頂きたく存じ上げる」謎の口調になっていた。

「なぜだ?」

「ちょっと、問題があるわけで……」

「漏らしたのか?」

「漏らすか」

 そう言って、ハーモニーは手に持った革靴を俺に放った。危うく取り損ないそうになったが、なんとかキャッチする。靴のなかを確認すると、二十五センチと書かれていた。女性でこれだけ足が大きいのは、雑賀以外には、ほとんどいないはずだ。革靴は、ところどころ汚れている。どうやら、雑賀が昔使っていたもののようだ。罠が正常に機能したと言える。

「すぐ戻るから、さきに戻ってて」

「一緒に戻ろう」俺は言った。

「ノー」綺麗な発音だった。

「どうした? 何か変だぞ?」

「まったく変ではないよ」あからさまにおかしい。

「犯人を見たのか?」

 ハーモニーは答えず、手であっちへいけ、という仕草をした。

 仕方なく、ひとりで先に教室へ戻ることになった。なんとなく、雑賀の靴を手にはめてみる。両手にはめてみると怪獣になったみたいで面白かった。

 そういえば、ハーモニーの制服は汚れていなかったな、と思った。

 そのまま教室に戻ってみたが、靴が手にはまっていて、ドアを開けられない。ノックすると、なかから苅部がドアを開けてくれた。

「どうしたの? それ」苅部が俺の手を指す。

「ハーモニーが拾ったんだ」雑賀に靴を見せる。「これ、雑賀の靴か」

「なぜ、わたしの靴を手にはめているの」

「理由はない。なんとなくだ。そもそも、自身の行動すべてに理由をつけられる人間など、いるだろうか」

「いないけれど、普通の人は、いえ……普通の高校生は、そんなことはしない」

「もしかしたら、俺は普通ではないのかもしれない」

「もしかしない」と雑賀は強い口調で言った。

「もしかしないねぇ」と苅部も同調する。「ハミルさんは?」

「トイレを漏らしたのではないらしい」

 俺がそう言うと同時に、背後からハーモニーが現れた。甘ったるい匂いが鼻を刺激する。

「漏らしてないから」

「だから、そう言っているだろう」

 ハーモニーは、盛大に溜息を吐いた。その動作はあまりにも大袈裟で、演技めいていた。
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