第8話

文字数 2,299文字

 十一月二十三日。
 仕事の予定だったが朝から嗚咽が止まらず食事も喉を通らず、パソコンに向かったところで何もできなさそうだったので、この日も休みをもらってしまった。もう母に会えないという現実が私をどんどんと蝕んでいき、私はただの抜け殻となってしまっていた。いつまでもめそめそしている私を見ることで、父も余計に気が滅入ってしまっていることはわかっていたが、悲しくて苦しくて辛くて、涙が止まらなかった。特に辛いのは、食事を食べるときだった。もっと母に美味しいものを食べさせてあげたかったという思いが込み上げるので、この頃のご飯は毎回涙の味がしていた。
 兄の、「かなこの人生の方がまだずっと長いはず。自分の人生も大事に生きてほしい」という言葉について考えた。
 私の人生ってなんだろう?
 私は子供の頃からひどく甘えん坊で、幼稚園のお泊まり会では「お母さんに会いたい」と言ってぐずったらしい。先生からそのことを聞いた母は相当嬉しかったらしく、私が大人になってからも何度をその話をしていた。「お母さんに会いたいって言って泣いたくせに」と事ある毎に口にしていた。
 母は昔からよく、たくさんの靴やバッグなどが載ったチラシを私に見せては、「らーちゃんはどれがいい?」と尋ねた。そして私が指差した物が母のお眼鏡にかなった物と一致していると、「やっぱりあんたは私の子だね」と喜ぶのだった。私は母が喜んでくれるのが嬉しくて、いつからか「母が好みそうな物」が自分の好みとなっていた。これは母が悪いのではなく、私が勝手にそう生きるようになっていた。
 私も二十代の頃は仕事に精を出し、人並みに恋愛もした。朝帰りしては母に嫌な顔をされることもあった。だが、三十半ばあたりからすべてが億劫になり、自分には結婚は向いていないのだと悟った。何より家には私を無条件で愛してくれる父と母がいたので、私は父と母がいればそれでいいと思うようになっていた。
 そうして甘えているうちに月日は過ぎ、いつの間にか、私を甘やかしてくれていた母は得意だった料理や手芸ができなくなるどころか、風呂やトイレ、着替えなど、生活のすべてにおいて介助が必要になっていた。
 そんな母を支える毎日を送るうちに、私はいつしか、何も努力せず何も得ずに生きてきた自分の人生の穴を、母のお世話で埋めるようになっていた。「母の介護を頑張っている自分」に酔い、母に頼られることでなけなしの自己肯定感を高めていたのだ。
 私の中には、母がいっぱいに詰まっていた。いや、私の中には母しかいなかった。だから母が意識障害になってしまってからの私は空っぽで、「かなこの人生を大切に」と言われても、何を大切にすればいいのかわからなかった。私には母しか拠り所がなかった。
 午後からは体調が少し落ち着いたので、父と一緒に病院に向かった。少しでも母の顔を見たかったし、家で一人になるのも怖かった。もし父に何かあったら私には後を追う道しか残されていないし、それでなくとも「母と一緒に逝きたい」という思いが私を支配する瞬間があったからだ。
 病室の母は変わらずげっそりとしていたが、前日とは違って右目が薄らと開き、目から涙をこぼしていた。その涙がただの生理現象なのか、感情と紐づいているものなのかは判別が付かなかったが、私はティッシュで母の涙を拭いながら、自分の涙をぼろぼろと母のベッドに落とした。母の口は相変わらず半開きで、体中がぴくぴくと痙攣していた。最初の頃はそれが痙攣だとはわからず、母の手を握ると軽く握り返してくれているようで嬉しかったのだが、母が意図して動かしているわけではないとわかってからは、その動きも可哀想で仕方がなかった。
 父はいつものように、母の手を握りながら母の額を優しく撫でていた。
 母に認知症の症状が現れてから、父は何度か母に手を上げてしまうことがあった。碌に立つこともできないくせに包丁を持ったりするので父が取り上げると、母は激しい癇癪を起こすことがあり、そうすると父もかっとなって「いい加減にしろ」と怒鳴りながら頬を叩いてしまうのだった。当然それは軽く叩く程度に過ぎないのだが、母にはそれがショックだったらしく、「お父さんが昔の同僚とギャンブルをしている」などといった妄言や、「お父さんのこと好きなのかわからなくなってきちゃった」などという言葉につながっていたのだと思う。だが、父が母のことを本当に大切に想っていることだけは、どうか母に伝わってほしいと願わずにはいられなかった。
 母に意識回復の見込みがないと伝えられた夜、遅くに隣の寝室から物音がしたので不安になって覗きに行くと、父はタブレットをタンスの上に置くついでに、母のベッドを整えていた。母がそこにいたときから、先に眠る母の掛け布団を直すのが父の日課だったのだ。
 普段泣くことなどない父が、母の額を優しく撫でながら涙していることを、母にも知ってほしいと切に思った。
 母が搬送されたあの日、もう少し早く起こしていたら母の意識は戻ったかもしれないし、もう少し遅く起こしていたらあのまま息を引き取ったかもしれない。私はあのときはただ母に生きてほしい一心だったが、あのまま逝かせてあげたほうが母は幸せだったのではないかと考えるようになっていた。最悪なタイミングで起こしてしまったのではないかと、自分を責め続けた。
 虚ろな表情を浮かべてただ生きるしかない母が可哀想でならず、もう楽にさせてあげたいとも思うようになっていた。
 だがその一方で、母がまだ生きているという事実に縋っている自分もいた。
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