第34話

文字数 2,302文字

 夜中に何度も目が覚め、そのたびに母の顔を見ては泣いた。これは夢ではなく現実なのだと思い知らされ、打ちのめされながら朝を迎えた。
 朝はゆっくり寝ておこうかと話してアラームをセットせずに寝たが、父も私も七時過ぎには布団を出て、母に線香をあげた。それから着替え、いつものように洗濯機を回してから朝食の準備を始めた。淡々としたルーティーンをこなすのにも、涙があふれて仕方がなかった。卵を焼く気も味噌汁を作る気も起きず、冷凍コロッケ三個、冷凍ほうれん草、冷凍ブロッコリーをレンジで温め、三人分に分けてその一つを供物台に置いた。何をしても、涙が流れ続けた。
 朝食の片付けが済んでから母の迎えが来るまで、私はできるだけ母のそばで過ごした。母の口が少し空いてきてしまっていたのでまたタオルを顎の下に挟んだが、うまく閉じさせてあげられなかった。右目は半開きのまま、閉じていた左目は薄っすらと開いてきていたが、上瞼をそっと下ろそうとしても戻ってしまうので、そのままにしておいた。きっと業者がなんとかしてくれるだろうし、私は母の目が開いていてくれるほうがなんだか嬉しかった。母が私を見てくれている気になれた。死者に対して誰もが抱くであろう恐怖感は、母に対しては微塵も湧かなかった。
 母の顔を見ていると、病院で母の瞳に自分の姿を必死に映していた日々がずいぶんと昔のことのように感じられた。虚ろな表情は病院にいた頃と同じだったが、やはりあの頃の母はしっかりと「生きて」いたのだと、冷たくなった母に触れるたびに思った。
 ずっと母の隣で添い寝したいと思っていたので、顔を少しだけ母の布団に上げさせてもらって隣に横になり、母に話し掛けた。搬送前夜に母のベッドに上がって話をしたことが、昨日のことのように思い出された。つい一日前までの、病院での日々はもう色褪せ始めていたのに、この家で母と一緒に暮らした日々は、私の中に鮮明に残っていた。
 昼に母のお迎えが来て、母はまた布に包まれて担架に乗せられ、防腐処理を受けるために家を出て行った。どうせまた帰ってくるので玄関口で見送ることにしたが、やはり下まで見送りに行けばよかったとすぐに後悔した。
 母は二日後の五日にまた帰って来て、それから九日の昼頃まで家で過ごし、斎場に向かって棺に入る予定になっていた。母が長く家にいてくれることは嬉しかったが、その分きっとまた別れが辛くなるだろうと思うと、少し怖くもあった。
 母に会いに行くという、心の支えだった日課を失った午後、父と私は手持ち無沙汰で仕方がなかった。あれだけ何度も何度も必死に通った病院との繋がりはもう、残りの入院費の支払いを終えれば一切なくなるのかと思うと、なんだか不思議な気分だった。聞いたこともない市外の病院に搬送となった当初は不安もあったが、結果的に、母があの病院に搬送されて本当に良かったと思う。救急救命に長けた病院だったからこそ、搬送直後の蘇生に成功したのだろうし、何より先生にも看護師さんにも本当によくしてもらえた。「意識障害で人工呼吸器を着けたままの母を家に帰らせたい」という私たちの希望を聞き入れて動いてもらえたことにも、本当に感謝しかなかった。
 ただ、できることなら先生や看護師さんたちに、意識のある母に会ってもらいたかった。子供のように愛らしく、ちょっとしたことでも「ありがとう」と言ってくれる母は、きっとあの病院でもみなから愛されたことだろう。
 母が防腐処理のために引き取られてから、私はこの文章を書くためにパソコンに向かっていたが、父は葬儀業者や通夜・告別式に来てくれる親戚たちといくつかやり取りをする以外は、カタログの位牌を眺めたり、たまに天を仰いだりしながら辛そうに時を過ごしていた。母のいなくなった穴はやはり大きくて、今はまだたくさんのやらなくてはいけないことがぽつぽつとその穴を埋めてくれているが、それらが片付いたときには、決して埋まることのない空洞となって父と私の中に残るのだろう。
 「禍福は糾える縄の如し」
 本当だろうか。これほどの「禍」に匹敵するような「福」が、今後私の人生に訪れるとは到底思えなかった。いや、母を失った悲しみに匹敵する喜びなど、そもそもこの世には存在しないだろう。
 辛くて悲しくて仕方がなかった。家事をしていても食事を取っていても風呂に入っていても、何をしていても深い喪失感に飲み込まれ、私は声を上げて壊れたように泣いた。
 母の意識が戻らない日々も辛く悲しかったが、「母が生きている」というだけで、母の回復という奇跡を願うことができた。そして、その奇跡は起きることはないだろうとわかっていてもなお、母の顔を見て手を握れるだけで私の心は満たされていた。
 母が亡骸となってしまった以上、もう天地がひっくり返ろうとも、私は母の声を聞くことも笑顔を見ることもできない。ご飯を食べさせてあげることも、どこかに連れて行ってあげることもできない。
 母を送り出すまでは、きっと私はなんとかやれるだろう。それが母のためにできる最後の仕事なのだから、そこまでは踏ん張れるだろう。だが、それが終わったら、私はどうやって生きていけばいいのかわからなかった。
 こんなにも幼くて未熟な私を置いて、こんなにも早く母が逝ってしまうなんて、考えてもみなかった。パーキンソン病と認知症が進行して寝たきりになったとしても、「らーちゃんのことが心配」と言いながらまだまだ生きてくれるものだと思っていた。そして私は、そんな母の介護にこの身を捧げ、母のために生きるつもりでいた。
 私には、母以外に大切なものなどなかった。
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