第31話

文字数 2,144文字

 令和六年一月一日。
 私たちは、無事に新年を迎えることができた。それもすべて、母のおかげだった。
 この日も早めに昼食を済ませて家を出たが、国道沿いのショッピングモールなどは営業していたようでガラガラかと思っていた道はそれなりに混んでおり、病室に着いたのは十三時半頃だった。
 母はまた、両目を瞑って眠っていた。酸素飽和度の計測器はまた頭に巻くベルトタイプに戻されており、モニターの数値は98から100パーセントほどで安定していた。私は無事に新年を迎えられたことを母に感謝しながら、いつものように母のベッドの脇に椅子を置いて母の手を握った。父も反対側から母の体をさすっていた。
 静かに母を見守る私たちは、よほど気配が薄かったのだろう。入れ替わりでやって来る看護師さんたちは私たちの存在に気付くと、「あ、すみません、ご家族もいらっしゃったんですか」と一様に驚いていた。母の頭の下に氷枕が敷かれていたので聞くと、また少し熱が出ているとのことだった。
 十四時半頃に看護師さんが体位変換に来たので父と私はいったん病室を出て、誰もいない談話室でしばらく過ごした。病院の近くには高い建物がないため大きな窓からの見晴らしはよく、「こっち方向が◯◯方面だね」などと話しながら、どこまでも広がる景色を眺めた。そののどかな風景と同様に、私の心も穏やかだった。いつの間にか、非日常が日常になっていた。
 二十分ほど待ってから病室に戻ると、室内には便の匂いが充満していた。体位交換ついでにオムツを替えてもらい、その匂いが残っているのだろうかと思っていると、モニターの数値が徐々に下がり出してアラームが鳴った。母はまた右を下にした横向き寝から仰向け寝に体勢を変えられていたので、それが影響しているのだろうと感じた。
 アラームの対処にきた看護師さんはすぐに匂いに気付いて母のオムツを確認し、私たちにもう一度病室の外で待ってほしいと言った。病室に充満した匂いは残り香ではなく、体位変換後に母が排便していたのだった。
 しばらく待って病室に戻ると、母は痰の吸引をしてもらっているところだった。オムツを交換してもらい、体勢も少しだけ左下を向くように変えてあった。大きな痰が取れたとのことだったので酸素飽和度は上がるかと思ったが、90パーセント前後を行ったり来たりしてなかなか上がらず、父と私はやきもきしていた。
 そんな折に、けたたましいアラーム音が鳴り響いた。思わず母の周りのモニターに目をやったが、音の発生源がそこではないことはすぐにわかった。父や私やその他の人のスマートフォンが、緊急地震速報を受信したのだった。
 看護師さんがすぐにやってきて、人工呼吸器などを確認しているうちに揺れが始まった。後から調べたところ病院周辺の震度は三だったのだが、おそらく病院は免震構造なのだろう。大きな横揺れが長く続いて恐怖を感じたが、担当の看護師さんが病室に張り付いて母の様子を見守ってくれていたので、その点は心強かった。
 結局院内では特に被害はなかったようだが、その揺れはのちに「能登半島地震」と名付けられた大地震によるものだった。現地では、亡くなられた方も大勢いらっしゃる。ご冥福をお祈りするばかりだ。
 揺れが収まってからも母の酸素飽和度はなかなか上がらず、父と私はしばらくモニターとの睨めっこを続けた。少し上がり出すと「お、93までいった」となどと喜び、また90を切ると落胆する。そんな一喜一憂を繰り返すうちにモニターの数値は徐々に上がっていき、十六時半頃には概ね93から94パーセントを保つようになった。
 私たちは一安心し、母に「明日も早めに来るからね」と声を掛けて病室を後にした。
 長く病室にいると、体勢や痰などちょっとしたことで母の呼吸は不安定になるのだということがよくわかった。そして実際に地震に遭遇したことで、震災が起きたときへの不安も増した。非常用のバッテリーなどは用意するつもりだったが、実際に停電が起きた際に本当に私たちだけで対処できるのか。不安は尽きなかったが、それでも、母を療養型病院に入れてお別れのときをただ待つようなことはしたくなかった。
 母のためにしてあげられることを全部してあげたい。そう強く思うのは、これまで何一つ親孝行をできなかったこと、認知症が始まった母に優しくできなかったこと、こんな事態を招いてしまったこと、すべてに対する贖罪意識からくるものなのだろう。意識のなくなった今そんなことをされても、母からすれば何の意味も持たないのかもしれない。それでも私は、母にすべてを捧げたいと思っていた。
 帰りが遅くなったので夕食は、朝の残りのお雑煮、煮しめ、なます、そして冷凍のアジフライ。申し訳程度にキャベツの千切りを添え、豆腐と海藻のサラダだけ作った。例年の元旦の夕食は、ちょっといい肉を使ったすき焼きかしゃぶしゃぶだった。
 母が帰ってきたらきっと、ゆっくり食事することすらできないだろう。この先はご馳走なんてものはもう口にしなくていいから、母が帰る日が決まったら、その前日だけは父と二人でささやかなお祝いをしよう。
 侘しい夕食を食べながら、私はそんなことを考えていた。
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