第42話

文字数 2,276文字

 母がいなくなって空いた大きな穴を埋めるかのように、私の中で後悔が日を追うごとに膨らんでいった。
 「具合が悪いのを気づいてあげられなくてごめんなさい」
 「助けてあげられなくてごめんなさい」
 どうしてあの朝、もっと早く声を掛けなかったのだろう?どうして何度も寝顔を覗いていたのに、気がつかなかったのだろう?
 あのとき微動だにせず眠っているように見えた母は、生死の境を彷徨っていたというのに。
 後悔の波が押し寄せるたびに私は仮祭壇の前で突っ伏しては、母に謝りながら畳を涙で濡らした。ひとしきり啼泣したあとに泣き濡れた顔を上げると、母はピンクの額縁の中でただ優しく微笑んでいた。
 遺影の母はまだ六十五、六歳で、この頃の母は杖もなく歩けていたし、毎日ご飯を作って私が仕事から帰るのを待ってくれていた。幼い子供のようになった最近の母とは違い、この頃の母はまだしっかりと「お母さん」だった。
 そんな母の優しい笑顔を見つめていると、「らーちゃん、無理しなくていいよ。そんなに辛いんなら、お母さんのところに来る?」と言ってくれているように思えることもあった。いや、我が子が自分の後を追うことを望む親などいるはずがない。頭ではそうわかっていても、私をさんざん甘やかしてきた母なら、そう言ってくれているのではないかと考えてしまった。
 だが、私は本気で母のところに行こうとは思わなかった。これまで「いつ死んでもいい」と思いながら生きてきた私にも、生に対する執着があるのだということを、母の死によって思い知らされた。
 私があまりに泣き暮れるので、父は「お母さんは楽になったんだと思わなきゃ」などと自分も辛そうにしながら私を慰めることもあったが、私が「泣きたいときは泣いたほうがいいってみんな言うから、私は我慢しないで泣くの」と言うと、父はそれ以来私がどれだけ泣こうとも何も言わなくなった。
 父と私はもともと、この歳の父娘としてはかなり仲が良いほうだったかと思うが、母がいなくなってからは如実に会話が減った。母が家にいた頃から、私たちの会話の中心は常に母だったのだ。
 「明日、お母さんの病院何時からだっけ?」
 「今週はお母さんのリハビリお休みだよね?」
 「お母さんがあれ食べたいって言ってたから、明日買ってこようか」
 「お母さんが百均行きたいって言ってるから、午後から連れていくね」
 そんな話題を失くした私たちは、ただ静かに母を想うばかりだった。
 私はクリスタルガラスに縁取られた大きなフォトフレームを買い、おぼうちを被った最新の母の写真をそれに入れて仮祭壇に置いた。父も直後に写真立てを買ってきて、母のスマートフォンに入っていた同じ頃の母の写真を並べた。リビングにも母の写真をたくさん飾り、私たちはそうして自分を慰めながら毎日をやり過ごした。
 一月の終わりには母の仏壇が届き、一足先に届いていたタンスの中央にセッティングしてもらった。別々に購入したものだったが、高さもちょうどよく色味もぴったりだったので、私は心の中で母に「お買い物上手でしょ?」と自慢した。母に謝ってばかりだった私は少しずつ、私の中の母とたわいもない会話ができるようになっていた。
 仏壇はコンパクトなものにしたのでタンスの上には十分なスペースがあり、仏壇の左脇にお骨を、そして両サイドに母の写真を一枚ずつ置いた。仮祭壇のときに使っていた供物台はそのままタンスの前に置き、遺影はその上に飾った。それらをいちいちどけないとタンスの引き出しを開けることはできなかったが、中には母に買った寝巻きや弔電などをしまっただけなので、頻繁に開く必要もなかった。
 私はいろいろな香りの線香と線香立てをいくつか買い、定期的に花が届くサービスに加入し、母の仏壇周りを飾るようになった。黒塗りの二段式の供物台も新調し、上段には母の遺影と小ぶりな花瓶を、下段には綺麗なキャンドルスタンドや線香を置いた。食事のたびに下段のものは下に下ろし、ランチョンマットを敷いてから母のご飯を並べるのがルーティーンとなった。
 花の手入れをしたり、線香を選んだりしていると、心が癒されることもあれば、「もうこんなことしかしてあげられないのか」と虚しくなることもあった。だが、時間の経過とともに泣き崩れる回数は確実に減り、亡くなってもなおこんなにも愛される母は、きっと幸せだったはずだと思えるようになっていった。
 二月の頭に久しぶりの降雪があると、「雨が降ってる」と言って晴れ渡った景色をいつまでも眺めていた母を思い出した。「今日はいいお天気だよ」と言っても「お天気雨が降ってる」と言い張り、「ほら、あそこにいる人たちみんな傘差してるじゃない」と、誰もいない木陰を指差しては、ぼんやりと外を眺めていた母。そんな母を見ていると、このまま母はどこか遠くへ行ってしまうのではないかという漠然とした不安が過ぎることがあった。
 私は心の奥底では、薄らと感じていたのだ。パーキンソン病の末期症状が現れていた母は、もうあまり長くはないのかもしれないと。だが、長くはないといっても、五年、いや、あと十年は当たり前に一緒にいられるものだと思っていた。百歳を迎える人もめずらしくない今の時代に、親に八十過ぎまで生きてほしいと願うのは、決して贅沢な望みではないはずだ。
 こんなことになるなんて、考えてもみなかった。
 悲しみも後悔も薄れることなどなかったが、私は時間の経過とともにそれらに慣れ、それらを抱えて生きるようになっていた。
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