第35話

文字数 1,563文字

 一月四日。
 朝、兄から父に電話があった。母に眠ってもらうのに良さそうな霊園を見つけたので申し込んでみるかという提案と、年賀状のお返しにする寒中見舞いを作ってくれるという話だった。
 我が家には受け継ぐ墓がないため、母には母の両親が眠る福岡のお墓に入ってもらおうかと考えていたのだが、いろいろな事情があってそれは難しいらしいことがわかった。そのため霊園も探さなくてはいけないのだが、まだ父もそこまで気が回らないので、兄がいろいろと動いてくれていた。夕方には寒中見舞いのデザインと、兄の結婚式のときの母の写真を共有してくれた。
 その母の写真を、私がメールで葬儀会社に送った。「遺影」という言葉を打って、また涙が止まらなくなった。
 父は、介護サービスによる母宛のオムツの配送を止めるため、市役所に電話していた。停止の理由を聞かれたらしい父は「なんでかって…。亡くなっちゃったんですよ」と振り絞るように言い、それをそばで聞いていた私はまた号泣した。亡くなった後にやることが多いのは気が紛れていいのかもしれないが、その一つ一つに痛みが伴うので、身を擦り減らしながら心を埋めている感覚だった。
 私はいつも通りにリモートで仕事をし、上司のスケジュールが空いたタイミングで母が亡くなったことをチャットで伝えた。上司にはこちらの事情を定期的に伝えており、仕事納めだった一週間前に、母を家に帰らせようと思っていることを伝えたばかりだった。通夜と葬儀の日は休みをもらい、その前後でも休みたいときがあればいつでも休んでいいと言ってもらえた。
 午後、父は管理組合からエレベーターの鍵を借りて来た。意識したこともなかったが、狭いエレベーターの後方にはたいてい鍵穴があり、そこを開けると長いストレッチャーが入れられるようになっているらしい。母は病院から帰ってきたときはストレッチャーを立ててエレベーターに乗せられたが、今度は身体を綺麗にしてもらってから帰ってくるので、ストレッチャーを寝かせたまま運ぶ必要があるのだ。九日に見送るときまで、鍵は借りたままでいられるとのことだった。
 私はこの日も一日中、不定期に声を上げて泣いた。一通り泣き尽くしてさすがにもう涙も枯れたろうも思っても、また少しするといろいろな思いが込み上げて涙となってあふれ出てきた。特に夕食時には激しく泣いてしまったので、父も辛そうにしていた。父は涙目になりながら、「寂しいけど、お母さんは楽になったんだって思わなきゃ」と自分にも言い聞かせるように言った。
 お母さん、ボケてからも攻撃的にはならなかったよね。
 人を傷つけるようなことは言わなかったよね。
 わがままなところもあったけど、可愛げがあるから憎めなかったね。
 お母さんは、私たちがこんなにお母さんのこと大好きだってこと知らなかっただろうね。
 そんな話をした後、母の棺に入れる服を選んだ。一着は、私が母の日か誕生日にプレゼントし、何度も着てくれていたピンクベージュのニット。十月末に久しぶりの外食をしたときも、それを着てくれていた。もう一着は、兄の結婚式に着ていたワンピースを入れてあげようかと考えた。遺影となる写真に写る一着だ。
 入れてあげたい服はまだたくさんあった。私がプレゼントした服は全部持って行ってほしかったし、大事に着ていたよそいき着も入れてあげたかった。母が入院してから買った寝巻きも結局袖を通していないものが二、三着あるので、それも持って行ってほしかった。だが、服はそんなにたくさんは入れられないらしく、数着に絞らなければならないとのことだったので、悩ましかった。
 火葬場が混んでいたおかげで見送りの準備がゆっくりできるのはありがたかった。だが、やはりその分余計に別れも辛くなるだろうと思うと、怖くて仕方がなかった。
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