第14話

文字数 1,161文字

 十二月一日。
 母が搬送された十一月九日は異例の暑さが続いていた頃で、私は夏用の半袖インナーの上に長袖ブラウスを着て救急車に飛び乗ったものだが、いつの間にか季節は進んで寒さが厳しくなってきていた。
 私の四十二回目の誕生日だったこの日も、いつものように午後から父と二人で病院に向かった。
 長い道中では、毎回のように救急車と遭遇する。そのサイレンを聞くたびにあの日を思い出して胸が苦しくなったが、それと同時に多くの車が道を譲るのを見て心が温かくなりもした。あの日もきっと、母と私を乗せた救急車は多くの方々の協力のおかげで速やかに病院にたどり着けたのだろう。
 私たちを追い抜いていく救急車を眺めながら、私は搬送される患者さんの無事を願わずにはいられなかった。
 病室の母は右目だけが辛うじて開いており、いつもは指先に着けていたクリップ式の計測器を耳たぶに着けていた。指先では酸素飽和度を計測出来ないほどに、手の浮腫みがひどくなっていたのだ。その計測器のコードが繋がれたモニターが示す酸素飽和度は、概ね90パーセント前後だった。たまに100パーセントになることもあったが、人工呼吸器を着けているにしては安定していないので、相変わらず肺の状態はあまり良くないのだろうと思った。
 私は母の耳元で「今日、私のお誕生日だよ」と何度も声を掛けたが、母はほとんど目を閉じ、口を半開きにしたままだった。乾燥した唇にリップクリームを、顔や手に保湿クリームを塗り、あとはただひたすらに手をさすった。浮腫んでパンパンになった母の手は少し持ち上げると驚くほどに軽く、きっと余計な水分が抜けたら骨と皮だけなのだろうと思った。
 痛々しい姿には相変わらず胸が痛んだが、私はもう母に謝りはしなかった。もし私と母の立場が逆だったとしたら、きっと母だって私にとにかく生きてほしいと願うだろう。意識がなくとも生きられるのであれば、人工呼吸器でもなんでも着けてほしいと言うだろう。
 大切な人だからこそ、苦しめたくはないが、諦めることも出来ない。
 三十分の面会時間はあっという間に過ぎ、父と私はいつものように「また来るからね」と母に声をかけて病院を後にした。
 ほんの少し何かが違っていたら、母と一緒にケーキを食べる誕生日を迎えられていたのかもしれない。そう思うとまた涙があふれたが、以前のようにいつまでも泣き続けることはなかった。
 夕食後にテレビを見ていると、二ヶ月間意識不明だった男性に好きな曲を聴かせ続け、意識が戻ったというエピソードが流れた。
 「やっぱり音楽がいいのかな」
 「今度あの曲を聴かせてみようか」
 父と私は、前向きにそんな会話をした。
 母が生きていてくれる限り、私たちは限りなくゼロに等しいであろう希望に縋ろうと思っていた。
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