第41話

文字数 1,343文字

 仏壇を買った翌日には、兄が仏壇を置くためのスペース作りの手伝いに来てくれ、和室のタンスの一つを父の寝室に移動させた。そこにいったん母の仮祭壇を入れたが、月末には土台のタンスと仏壇が運び込まれることになっていた。
 タンスを移動させたことで和室はだいぶ広々としたので、父はこの晩から和室に布団を敷いて眠るようになった。
 もともと父と母はずっと和室で寝ていたのだが、母が歩くのが難しくなってきたのを機に、トイレに近い部屋に移動したのだった。最初は母の介護ベッドだけを置いて母が一人で寝ていたのだが、父は心配だったのだろう。数日後には自分のベッドも買って四畳半ほどしかない狭い部屋に並べ、母と二人で眠るようになった。実際に母は夜中トイレに行こうとして途中で力尽き、ズボンとおむつを脱いで失禁した状態で廊下で寝てしまうようなこともあったので、同室の父と隣室の私とで、気をつけるようにしていた。
 なのに、どうして助けられなかったのだろう。
 どれだけ時間が経とうとも、その後悔が消えることはなかった。
 私もまだ自室で一人で眠る気にはなれず、相変わらずリビングに掛け布団を運び、父と母を眺めながら眠った。
 供物台にご飯を並べることはすっかり習慣となり、たとえそれがカップ麺だったとしても、私たちは食事のたびに母の分を取り分けた。母のお箸やスプーンも毎回用意し、サラダだったらドレッシングを、湯豆腐だったら醤油をかけてから母の元に運んだ。お肉やなま物がお供えにふさわしくないことは知っていたが、私は「お供えする」というよりは、「母と一緒に食事をする」という気持ちで供物台に料理を並べていた。そしておりんを鳴らして手を合わせ、心の中で「はい、一緒に『いただきます』」と給食前の小学生のようにゆっくりと唱えるのが、私の食前のルーティーンとなった。毎回必ず涙がこぼれるのも、ルーティーンの一部だった。
 そうして自分を慰めながら、私は母のいない毎日をただやり過ごした。遺影の前で何度も何度も泣いては、どうしようもない想いを線香の煙に乗せた。
 葬儀から一週間ほどが経つと、母が死んだのだという事実が私の中で徐々にリアリティを増していき、「もう本当に会えないんだ」と思うたびに涙が止まらなくなった。やり切れなくて、母が通院していた頃の血液検査の結果を見たり、処方されていた薬について調べたりもした。搬送時の母の血糖値は10mg/dlほどと異常に低い値だったというので、「何か見落とされていた疾患があるのではないか」「飲み合わせの悪い薬があったのではないか」などと考えずにはいられなかった。
 当然、素人がいろいろと調べてみたところで何かわかるはずもないし、もし原因がわかったとしても、母が戻って来ることはない。そんなことは百も承知だったが、私は何かのせいにしたかったのだろう。
 眠い眠いと言っていた日に病院に連れて行った母が、数日の入院を経て帰ってくる。もしくは、あの朝もっと早く搬送された母が、低体温療法ののちにICUのベッドで目を覚ます。そんな叶わなかった未来を描いては、私は自分を責め続けた。
 ただ毎日が辛くて苦しくて、どうやったらこの悲しみから抜け出せるのか、まったくわからなかった。
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