第33話

文字数 2,530文字

 不思議なことに、病院から家へ向かう車中では涙はまったく出なかった。布に包まれ、さらに上から装飾布を被せられた母は、一見して母とは思えなかったせいもあるかもしれない。「母と一緒に家に帰る」というある意味では願いの叶った時間だったはずだが、なぜか私の中に特別な感情は一切湧かず、私はただぼーっと車窓を眺めたり、スマートフォンでニュースを見たり、高校サッカーの結果を調べたりしてその時間を過ごした。
 私たちが家の下に着くと父ともう一人の葬儀業者が待っていて、父と私とその業者がいったん家に上がった。そして間口などを確認してもらってから、和室に母を運び入れてもらった。その和室には、母が帰ってきたら介護ベッドを置く予定だった。
 布団に寝かされた母の顔を見て、また急に涙が込み上げた。母に一番言いたかった「おかえり」をようやく言えた喜びと、それが生身の母相手ではないことに対する悲しみが入り混じり、いや、後者のほうが圧倒的に強く、息ができないほどに胸が苦しかった。
 母が帰ってすぐに兄夫婦も到着し、四人で順番に母に手を合わせてから、葬儀業者と今後の打ち合わせをした。参列者は十人にも満たない家族葬。親戚はみな遠方にいるので簡単には来られないし、兄夫婦には子供はいない。そして私に至っては、母のために連れて来られる相手の一人もいない。私は一生独りでいいと思って生きてきたが、それは私がある程度歳を取るまで父と母がそばにいてくれるという前提のもとの考えだったことに、今さらながら気付かされた。私は、両親は九十歳くらいまでは生きてくれるものだと勝手に思っていた。
 年末年始は火葬場も休みなので年明けは枠がかなり埋まってしまっているとのことで、業者はまず火葬場を押さえてくれた。最短で予約できたのが、一月十日。一週間以上先の水曜日だった。
 母の身体には余計な水分がずいぶんと溜まっていたが、きちんとした処置を施せばその日まで家にいてもらえるということだったのだ、翌日に一度母を引き取ってもらい、処置が終わってからまた家に帰って来てもらうことになった。母が長く家にいられるということだけが、唯一の救いのように思えた。
 日取りが決まったあとは、カタログから母の棺、衣装、祭壇、骨壷などを選んだ。父は「お前たちが選んでいいよ」といった風だったので、義姉と「可愛いほうがいいよね」などと言い合いながら、白い布貼りの棺、薄紫の衣装、ピンクの祭壇、ピンクの小花柄の骨壷を選んだ。母のことを考えながらそれらを選ぶのは楽しかったが、一つ決めるごとに母のためにしてあげられることが一つ減っていく気がして寂しくもあった。
 棺には花をいっぱいに入れ、私がプレゼントして気に入ってくれていた洋服、冷凍している琥珀糖、母が入院してからたびたび母宛に書いていた手紙、母と一緒に買いに行った毛糸の残り、それから母に編んだニット帽も入れようなどと考えた。
 業者との打ち合わせが済んで兄夫婦が帰った後、簡単な夕食を作って母にお供えした。まだまともな料理を作る気分にはなれなかったが、母へのお供えが日常となったら、母のために母が喜ぶような料理を作ろうと思った。父は母が入院してからやめていたビールを久しぶりに開け、二つのグラスに注いでその一つを母の元に置いた。
 私たちは母に手を合わせてから夕食を取った。涙が止まらなかった。
 夕食が済んだあとも、私はずっと母のそばにいた。「お母さん、起きてもいいんだよ」などと馬鹿げた声を掛けたり、病室でいつもしていたように母のおでこを撫でたりした。母のおでこは冷たかった。
 その後私が風呂に入って上がると、いつもは入れ違いで入る父が母の枕元に座ったまま動かなかった。父は髪を乾かそうとする私に、「お前がこっち来られるようになったらお父さんも風呂入るから」と言い、そこに座り続けた。父は、少しでも母を一人にさせたくなかったのだ。搬送前夜も、そうして二人で母を見守ったことを思い出してまた涙が止まらなかった。母のことを大切にしていたはずだったのに、どうして助けてあげられなかったのだろう。後悔ばかりが去来した。
 私は半乾きとも言えない程度に髪を乾かしてから母の元に行き、父が風呂に入ってる間にまた一人で母に話し掛けては泣いた。
 こんな目に遭わせちゃってごめんね、寂しい思いをさせてごめんね、苦しませてごめんね、もっとお話ししたかった、一緒に出掛けたかった、美味しいものを食べさせたかった、とにかくもっと生きてほしかった、寂しい、辛い、大好き、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、美味しいご飯をたくさん作ってくれてありがとう、たくさん愛してくれてありがとう。いろいろな想いと一緒に涙がとめどなくあふれて止まらなかった。
 兄が自分の結婚式のときの写真から母の写真を何枚か見繕って、メッセージアプリで送ってくれた。母がとても優しい笑顔を浮かべているものがあって、母の写真をあまり持っていなかった私は、それをすぐに自分の写真フォルダに保存した。兄が送ってくれたうちの一枚を遺影にすることに決め、その他の写真もたくさんプリントアウトしてリビングに飾ろうと思った。
 夜、母のグラスに買い置きしていた缶の白ワインを注ぎ、三人で晩酌をした。母は最近、自分でも自分の行動に違和感を覚えていたようで、酔っ払うと何をするかわからないからと飲酒を控えていた。元々はお酒が好きで、それなりの量を飲んでも変わらないタイプだったので、久しぶりのお酒を楽しんでくれているだろうと思った。
 業者から、母が眠る和室の襖を閉めておけば隣のリビングの暖房をつけても大丈夫だと言われていたが、母と一緒にいたいのでエアコンもオイルヒーターもつけずにこたつだけで暖をとって過ごした。そして各々の掛け布団を自室から持って来て、父はこたつマットの上に、私は並べた座布団の上に横になった。母、おりんとお線香を乗せた供物台、私、こたつ、父の並びで、電気を点けたまま就寝した。父からも母の顔が見えるよう、私は父と母よりも頭一つ下がって寝た。夜中にふと目が覚めると、父は母の顔を見つめていた。
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