第39話

文字数 4,039文字

 一月十日。
 母がまた家に帰って来た。
 お骨と位牌となって。

 父と私は早めに準備を済ませて家を出て、道中のスーパーに立ち寄った。通夜の際に斎場のスタッフから「お供え物の果物などはありますか?」と聞かれ、お菓子などしか持って行っていなかった私たちは、果物もお供えしてあげたいと思ったのだ。リンゴとバナナ、そして母が好きだった芋けんぴと干し芋を購入して斎場に向かった。
 斎場には集合時間よりもだいぶ早く着いたが、一日一組の貸切なので、快く迎え入れてもらった。追加のお供え物も飾ってもらい、私たちは母の顔を眺めたり、フリードリンクを飲んだりしながら、静かに参列者の到着を待った。
 通夜の面々に加えて義姉の両親も来てくれ、斎場には九人が集まった。開式を待つ間に、テーブルの脇に置かれていたメモや便箋を使って、各々が母宛のメッセージを書いてくれた。みなで母を想ってくれる時間が、ありがたかった。
 通夜を執り行ってくださったご住職がいらっしゃり、ほどなくして葬儀が始まった。通夜でも何度も涙したが、葬儀となると「もう本当にお別れなのだ」という実感が一気に膨れ上がり、前日の比ではない涙があふれた。中身を失った母の、その器すらも無くなってしまう。「母」がこの世から消えてしまう。もう二度と、母の姿をこの目で見ることはできない。
 仕方のないことだとわかっていても、やはり辛くて悲しくて苦しくて寂しくて、そして震えるほどに怖くもあった。
 読経の間は、母のことを考えて涙したかと思えば、まったく関係のないことをふと考えたり、「ちょっと飽きてきちゃったね」などと心の中で母に話し掛けてみたり、心がふわふわと揺れ動いた。それは、祭壇に置かれた大きな蝋燭の炎の揺らめきと似ていた。
 数年前の祖母の法要のとき、最前列に座りながら何度も船を漕ぐ母の背中を、ヒヤヒヤしながら見ていたことも思い出した。喪服の話をしていた母だが、まっすぐ座ることもできなくなっていた母にはもう、法事に出るのも難しかっただろう。十月の祖父母の法事の参列を見送ったのは、福岡までの移動が大変なのももちろんだが、長時間の読経などに母が耐えられないだろうというのもあった。
 だが、無理をしてでも連れて行ってあげればよかった。そう思わずにはいられなかった。楽しい姉と弟に、母はさぞ会いたかったことだろう。実際に母は、伯母、叔父と電話をしながら「私もみんなに会いたかった」と泣いていた。「もう何もできなくなった」と、ひどく弱気になっていた頃だった。だが、それから少しずつ、自分ができないことすらもわからなくなったのかもしれないが、母は積極性を取り戻しつつあった。そんな矢先での救急搬送だった。
 もしあの危機を乗り越えられていたら、母はいくつまで生きることができたのだろう。自分の足で歩くことは、どちらにせよ近いうちにできなくなっていただろう。だが、寝たきりになってもベッドの上で笑ってくれていたのではないか、それが何年も続いていたのではないか。考えれば考えるほどに、あの朝が悔やまれてならなかった。
 続け様に一日遅れの初七日の法要も執り行われ、ついに母を見送る時間が訪れた。
 私は、母の棺にいろいろな物を入れた。父と買いに行ったりんご、バナナ、芋けんぴ、干し芋。母が大切にしていた琥珀糖。搬送される前日に母が一つ食べた大福の残り二個。チョコレートビスケット。ミックスジュース。ノンアルコールワイン。私が作ったきんぴらごぼう。搬送される五日前、自分の通院ついでに寄ったコンビニで、母にあげようと思って買っていたチョコレート菓子。母が機嫌を損ねたときに渡そうと思っていたが、搬送前の数日の母はご機嫌だったので、結局渡しそびれたままだった。
 それから、遺影にもなった兄の結婚式に着ていたワンピース。私がプレゼントして、最近も着てくれていたピンクベージュのニット。母が家で被っていた「おぼうち」。元気だった頃によく作っていた手作りパンの本。母の入院中に母のために編んだニット帽。続いて編み始めたが、結局編みかけで終わってしまったマフラー。母が私のために買った毛糸の残り一玉。待合時間に参列者全員がそれぞれしたためた手紙。父が月曜日に書き直した手紙。私が日曜日に書いた手紙。そして、母が入院してから母宛にしたためていた十通ほどの手紙。
 最後に全員で母の棺を花で埋め、いよいよお別れのときが来た。私は入院中の母にもしていたようにその骨張った額に触れて、「お母さん、ありがとう」と伝えた。他の参列者たちも一人一人母に別れの言葉を伝えていたが、私はひたすらに泣いていたのでその様子はあまり見ていない。
 最後に「お嬢様はもうよろしいですか?」と斎場のスタッフから声を掛けられたので、私はもう一度母の元に行った。母の顔を見た私の口からは、「もうちょっと一緒にいたかった」というありのままの気持ちが嗚咽となってあふれ出た。私ももう十分いい大人なのだから、本来ならば「私のことは心配しないで」などと言うべきだったのだろう。だが、私の中にはそんな言葉は微塵もなかった。
 もっと生きてほしかった。一緒に暮らしたかった。私のそばにいてほしかった。
 私の母に対する想いは、それだけだった。
 兄がカメラで写真を撮っていたところ、ご住職が「みなさまでお撮りしましょうか」とお声を掛けてくださり、母を囲んで集合写真を撮ることになった。結局はスタッフが撮影してくれたのだが、今回ご縁のあったご住職は本当に素敵な方で、このご住職に母の最期を託すことができてよかったと感じていた。葬儀会社の紹介でのご縁だったが、母は最期まで人に恵まれたのだと思うことができた。
 父が位牌を持って霊柩車に乗り、私は母の遺影を持ってみなと一緒にマイクロバスで火葬場まで移動した。伯父は予定があるため火葬場には行かず、斎場で私たちを見送ってくれた。私はバスの中で母の遺影を眺めながら泣き続け、他の参列者たちも無言のまま座っていた。火葬場の前の田舎道を高校生たちがランニングしていて、その姿を遠目に眺めながら、母にも私にもあんな頃があったのだなとぼんやりと思った。
 火葬場で母の棺を迎え入れ、本当に最後の別れのときが来た。もう一度母の顔を見るか火葬場のスタッフが父に尋ねると、父は私の方を見たので、私は「見る」と答えた。最後のお焼香のあと、棺の窓から母の顔を見て、私は心の中で「ありがとう。さよなら」と呟いた。だが、さよならではないと思い直し、私は慌ててもう一度母の顔を見に戻った。
 「これからもずっと一緒だよ」
 安らかに眠る母に、私はそう伝えた。
 母の棺が炉に入る間もご住職が念仏を唱えてくださっていて、それがとても心強かった。私は信仰心などないに等しい人間だが、人は大切な人の死に直面すると、縋る何かが必要なのだと痛感した。今までは葬儀や戒名やお墓などに高いお金を払うなんて馬鹿馬鹿しいと思っていたが、大切な人を失った自分を慰めるためにも、それらは必要不可欠なのだと知った。
 母が骨になるのを待つ間の食事前に父が簡単な挨拶をし、母を家に帰らせようとしていたところだったと声を詰まらせた。母に帰って来てもらうための準備を始めようとしていた、つい二週間ほど前のことが、本当に遠い遠い昔のことのように思い出された。
 火葬が終わり、代表者二、三人が炉の番号の確認に来るよう言われたので、父、兄、私の三人で向かった。骨になった母を見るのは辛いかと思ったが、さすがに十分な覚悟ができていたのだろう。真っ黒に焦げて燃え残った左大腿骨の人工股関節を見て、これは確かに母だと、すんなりと受け入れることができた。
 骨上げが始まり、大きい骨を取るように言われていたが私が取ったものはあまり大きくなかったので、次は大きいものを取ろうと思った。だが、宗派によるものなのか時間短縮のためなのか、参列者の骨上げは一人一回のみで、残りはスタッフが入れるとのことだった。
 私はよく、こういった類のミスを犯す。今度やればいいと思っても、その「今度」があるとは限らないのだ。仕事においても人生においても、そして母との別れにおいてもまた、そんな後悔の連続でしかなかった。
 最後に火葬場のスタッフが、母の顔の骨を一つずつ順番に骨壷に収めてくれた。母の下顎が綺麗に残っていたことや、耳の穴がはっきりとわかったことが印象的で、特に込み上げるものはなかった。母は淡いピンクの小花柄の骨壷に収められ、さらにグレーの箱に入れられ、行きは手ぶらだった兄がそれを抱えてマイクロバスに乗り込んだ。
 火葬場を出る頃になってようやく、「母が骨だけになった」という実感が湧いてまた涙があふれた。私はもう二度と、母の顔を見ることはできないのだ。四十二年間、本当にずっと一緒だった母。一番長く離れたのは、私が二十代の頃に海外出張に行った際の一週間弱だろう。互いに入院は何度かしたが、面会にはそれなりの頻度で行っていたので、ずっと会わないということはなかった。そして、コロナ禍になって私がリモートワークになってからは特にべったりで、毎日三食を共にし、買い物にも一緒に出掛け、そんな日々が後何年かは続くものだと信じて疑わなかった。こんなに早く、こんなに突然、こんなに悲しい別れが来るだなんて、思ってもみなかった。
 斎場に戻ってから参列者たちを見送り、父と私は最後に斎場を後にした。私は助手席で、膝に乗せた母の遺骨を抱き抱えた。それはずっしりと重たかったが、ほとんどが骨壷自体の重みであることはわかっていた。
 帰宅後すぐに葬儀会社のスタッフが来て、四十九日までの仮祭壇を作ってくれた。段ボールに白い布を掛けたかだけの簡易的なものだったが、また母の居場所ができたようで嬉しかった。
 線香をあげながら、遺影の額縁をピンクにしてよかったと思った。
 母も、辛気臭いのは好きではないはずだ。
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