第4話

文字数 2,651文字

 十一月十七日、金曜日。
 いつもと同じように十四時半に面会に行った父と私は、HCU内の手狭な部屋に案内された。医師からの病状説明があるということで、しばらく待つと入院当日に主治医の一人として挨拶してくれた眼鏡の女性医師がやって来た。
 医師は私たちに名札を見せて丁寧に挨拶した後、パソコンを操作してモニターに母のMRI画像を映し出して説明を始めたが、そこで医師の携帯電話が鳴った。医師は私たちに「すみません」と言って電話を取ると、「あー、やっぱりそうかー。うーん、そうだよねー」などと苦笑いを交えながら話し始めた。困った患者でもいて、その対応に苦慮しているといったところだろうか。私はそんなことを考えながら、フランクに話す医師の姿をただじっと眺めていた。左隣に座る父も私と同じで、微動だにせずに医師を見つめていた。
 ものの一分ほどで電話を切った医師は、「失礼しました」とスイッチを入れたかのように神妙な顔をして言うと、また私たちに向けての説明を再開した。
 モニターの母の脳の断面図を見たところで私には何が何だかさっぱりわからなかったが、医師が言うには、母のMRI画像には黒い部分が通常よりも多くあるとのことだった。そしてその黒い部分は、脳が不可逆的なダメージを受けた箇所だという。
 医学の世界では0パーセントと断言することはできないですが、と前置きした上で、医師は母が目を覚ます可能性はまずないだろうと言った。
 その言葉を聞いた瞬間、私は「目の前が真っ暗になる」という現象を生まれて初めて体感した。母が目を覚さないかもしれないことは薄々と感じてはいたが、実際に医師の口から聞くと、その衝撃は予想以上に大きかった。必死にしがみ付いていたわずかな希望が全て打ち砕かれ、這い上がることなど不可能な深い深い闇の中に突き落とされた気分だった。
 私はそこからずっと泣き続けたので記憶は曖昧だが、母はおそらく、ひどい低血糖状態だったことで昏睡して脳に酸素が行かなくなり、低酸素脳症になってしまったのだろうという話だった。
 父はいくつか医師に質問をした後、「低血糖なんて」と呟いて天を仰いだ。四十年以上一緒に生活してきたが、あんなに悲壮感に満ちた父を見たのは初めてだった。
 うなだれる父に向かって医師は、「誰にでもいつかは来る『その日』が来たのだと思って、ご家族はご自身を責めないでください」と言った。
 私は信じなかった。信じられるわけがなかった。搬送される四日前には一緒に買い物に行き、三日前には一緒に病院に行った母。搬送前夜は一緒にお風呂に入り、いつも通りおやすみと言って眠りに就いた母。四十年以上もの間、当たり前に一緒に暮らしてきた母。
 その母の『その日』が、こんなに突然来るはずがない。パーキンソン病の進行によって近いうちに寝たきりになってしまうであろうことは想定していたが、意識のないまま眠ってしまうなんて考えたこともなかった。もう二度と母の笑顔を見ることも声を聞くこともできないだなんて、信じられるはずがなかった。
 医師からは、今すぐに何かを決断しろということはなく、このまま経過観察という形で入院してもらうことになると言われた。そして、口からチューブを挿れ続けるのは本人の負担にもなるし口内環境の悪化にもつながるので、気管切開をして人工呼吸器を装着することを提案された。母は自発呼吸はできている状態だったが、自分で痰を出すようなことはできないため、人工呼吸器は必要とのことだった。もちろん気管を切開するということにはそれなりの抵抗はあったが、私は母が少しでも楽になるのならそちらのほうがいいと思い、お願いすることにした。
 最後に医師から、今後母に何かあった場合に、心臓マッサージなどの措置をするかどうかを聞かれた。
 「心臓マッサージをする場合は、肋骨が折れる可能性もあるし、だいぶお身体に負荷が掛かるのでご本人はお辛いかと思います」
 そんなことを言われたが、私は父が口を開くよりも先に、「1%でも回復の可能性があるのなら、お願いします」と答えた。医師は「わかりました。今後またお気持ちが変わられたらおっしゃってください」と静かに言った。
 私は人生で初めて、本当の絶望を知った。本当に取り返しのつかない事態があるのだと思い知らされた。なぜ母が早朝に起きていたときに様子を見に行かなかったのか、なぜもっと早く母を起こさなかったのか、なぜ前日眠い眠いと言っていた母のことをもっと気に留めなかったのか。悔やんでも悔やんでも悔やんでも、悔やみ切れなかった。
 私はその後も病院内で人目も憚らずに泣き続けたが、面会後に行こうと思っていた歯医者にキャンセルの電話を入れることは忘れなかった。こんなにも深い絶望の中でも日常を忘れない自分が不思議だったが、人間は悲しみに飲み込まれてしまわないように、自分の感情の一部分を切り離すことができるのだろうと思った。
 帰りの車中で兄に「意識が戻る可能性はほとんどないとのことです」という旨のメッセージを送った。兄からは「帰ったら電話ちょうだい」とすぐに返事が返って来たが、私は家に帰ってもすぐには電話を掛けなかった。掛けられる状態ではなかった。兄には「ちょっと気持ちを落ち着けたいから電話は夜でいい?」とメッセージを送り、あとはただただ泣き続けた。届いていたミールキットを泣きながら調理したがほとんど食べられず、母が目覚めないのなら私も母と一緒に逝きたいと、本気で思った。このまま食事を取らなければ、母と一緒に眠ることができるだろうと考えた。
 この夜、兄とどんな会話をしたのか詳細には覚えていないが、私はまだ諦めないと言い、兄は私の気持ちに理解を示しつつも、覚悟はするようにとやんわり伝えてくれたかと思う。だが、私は現実を受け入れることができなかった。
 自分の人生にこんなに辛いことが起こるなんて、想像したこともなかった。母が最近弱って来ていることは日々感じていたし、近いうちに寝たきりになってしまうだろうとは思っていた。
 だが、ある日突然意識障害になってまうなんて、誰に想像できようか。
 「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
 私は何度もそう呟きながら、ただただ泣き続けた。
 寝る前、ダイニングテーブルに置いていた琥珀糖を缶から取り出し、冷凍庫にしまった。その行為には、食べるための冷凍保存とは違った意味合いが込められていた。
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