第44話

文字数 1,571文字

 三月に入ると、私は母の得意料理を作って、母のいない隙間を埋めるようになった。
 牛すね肉と野菜を土鍋で長時間煮込むビーフシチュー。圧力鍋を使わずに作るので、じっくり煮込んだすね肉は適度な肉感を残しながらも柔らかく、家族みんなの好物だった。
 それから、骨付き肉を一度下茹でしたあと、砂糖とはちみつとオレンジジュースを入れた特製の焼き汁に漬け込み、低温のオーブンでじっくりと焼き上げるスペアリブ。焼き汁に浸かった部分は蒸し焼きのような状態になるので、煮込んだような柔らかさと表面の香ばしさが両方味わえる、特別な一品だった。
 どちらも母の嫁入り道具である半世紀ほど前のレシピ本に載っており、ビーフシチューに関しては以前に母に教わりながら作ったこともあった。だが、分量は本の通りではなく母の匙加減次第のところがあったので、赤ワインはこのくらい入れてたな、トマト缶はこのくらいだったかな、ニンニクは少なめにしてたな、などと二人で台所に立っていた頃の記憶を辿りながら手を動かした。そうして台所で過ごしていると、母と一緒に料理をしているような気分になった。そして、探り探りで作ったそれらはちゃんと母の味がして、私の中には確かに母が生きているのだと実感することができた。
 「らーちゃん、美味しかったよ」
 供物台の料理を下げるとき、母の声が聞こえる気がした。
 私は、思い出の料理を作ったときには母の供物台に並べてから写真を撮り、「お母さん」フォルダに保存するようになった。母が亡くなってから作ったそのフォルダには、母のスマートフォンに保存されていた写真や、親戚や兄が送ってくれた写真、それから母と最後に撮ったツーショットや母の法要の写真を入れていた。そこに母の新しい写真が加わることはもう二度とないが、私が生きている限り、こうして私と私の中にいる母との思い出を作ることはできるのだと思った。
 初めてのお彼岸には、また母の友人二人が花束を持って来てくれた。白い菊や淡いピンクの花が入ったとても立派な花束で、私は仕事を終えたあとに一本一本の茎を切り、三つの花瓶いっぱいに花を生け、それを母の仏壇周りに飾った。私が定期的に購入している少量の花に加えて、父の旧友が送ってくれた百合がたくさん入った大きなアレンジメントもあったので、花屋さんにでもなった気分で毎日それらの手入れをした。
 だが、どんなに手を掛けても、花はいずれ必ず枯れてしまう。長く咲くものもあれば、開いてすぐに萎れてしまうものもある。順調に膨らんでいると思っていた蕾が、開かないまま枯れてしまうこともある。
 それは、人の命と同じだった。
 線香だって火をつければ必ず燃え尽きるし、線香に火をつけるための蝋燭だって、そのうちに中央が溶け窪んで使えなくなる。父も私も毎日何本も線香をあげるので、蝋燭に火をつけるための大きめのライターも、もう何本も新しいものに取り替えた。
 仏壇周りのそれらは、万物には終わりが来るのだということを教えてくれた。それは人間も例外ではなく、私にだっていつか必ず「その日」はやって来る。そして、そのときには私も母のところへ行ける。そう思うと、私の心は穏やかに凪ぐようになった。
 でも、やっぱり少し早かった。もう少しこちらで一緒に過ごしたかった。
 不意にそんな思いがあふれて涙が止まらなくなると、私は仏壇の前に行き、母の遺影に「美人薄命って本当なんだね」と心の中で声を掛ける。すると母は、「そうなのよ」と言ってふふっと可愛らしく笑う。
 「だから、私も早めにそっちに行くから待っててね」
 そう続けると、母は「らーちゃんてば、またおバカなこと言って」と眉をしかめて優しく微笑む。
 春が近付く日々の中で私は少しずつ、悲しみとの向き合い方を覚えていっていた。
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