第12話

文字数 2,369文字

 十一月二十九日。
 不安な夜を越え、この日も無事に朝を迎えた。
 やはり、まだ心配することはないんだ。
 そう思いながら朝ご飯は何にしようか考えていたとき、家の電話が鳴った。八時頃だった。
 今のご時世どこの家庭もそうだろうが、我が家の固定電話にかかってくるのはリサイクル業者やら通信業者やらの営業電話くらいなので、朝に電話が鳴ることなど滅多にない。すぐに病院からだとわかり、受話器を取った父の横で私は息をひそめた。
 手短に通話を終えた父は受話器を置くやいなや、「呼吸状態が悪いって。病院行くぞ」と言った。もう十分に固まったと思っていた私の覚悟は簡単に崩れ、私はまた声をあげて泣きながら家を出る準備を始めた。
 「いやだ」「お母さん」「いかないで」
 大きな独り言を繰り返しながら着替えていたとき、ふと思った。
 人工呼吸器を使っても助からないのだろうか、と。
 母は気管を切開して人工呼吸器へ繋ぐためのカニューレを喉元に装着していたが、それは痰を吸引するために使用しており、人工呼吸器には繋いでいなかった。これまでは十分に自発呼吸ができていたので、人工呼吸器を使う必要がなかったのだ。
 母を家に連れて帰りたいと話した際、医師にもう無理な延命は望まないと伝えていた。私の中でそれは、心停止した際の蘇生を意味していたのだが、もしかしたら人工呼吸器もそこに含まれていているのではないか。なら、使ってほしいと言えば母の命は繋がるのではないか。
 私は急いで父の元に行き、「人工呼吸器使ってほしいって言ってもだめかな?」と言った。父はすぐに「電話してみる」と答えた。
 私はまた準備のために自室に戻り、準備がひと段落したあたりでまたリビングに戻った。父は兄と電話中で、「人工呼吸器を使うようにも言ったけど、朝だから専門の人がいないし、肺に原因があるので使ってもわからないと言われた」というようなことを話していた。
 ものの十分から十五分ほどで父と私は準備を終え、足早に家を出た。車の中では、また無言の時間が過ぎていった。
 もしかしたらこの道を走るのも、これが最後になるのかもしれない。
 そんなことをちらりと思ったが、私はまた空っぽになって何も考えられなかった。道中には大きなサイズの葬儀会社の看板があり、私はいつもそれを見ないように意識していたのだが、この日もやはり視界に入ってしまったのが悔しかった。
 病院には九時頃に着いた。また直接病棟に向かい、父がインターホンを押して名乗ると、いつも通り少し待つように言われた。私は祈るわけでもなく、ただ突っ立って扉が開くのを待った。思考が停止していて、自分がどうやって息をしているのかもわからなかった。
 病棟入り口まで迎えに来てくれた看護師さんは、普段と変わらない落ち着いた様子で私たちを母のいる半個室に案内した。早鐘を打つ胸を押さえながら、看護師さんに続いてカーテンの向こうに足を踏み入れると、ベッドの上で大きく目を見開いた母がいた。驚いたような表情を浮かべていたが、その首元から延びる管はすでに人工呼吸器に繋がれており、モニターの酸素飽和度は100パーセントを示していた。
 「人工呼吸器を着けて、落ち着いてますよ」と看護師さんは教えてくれた。父は胸を撫で下ろしていたが、私はどういう感情を抱けばいいのかわからず、泣きながら母の手を握って「ごめんね」と謝った。それ以外に言葉が出なかった。
 ほどなくして医師が来て、状況を説明してくれた。二週間ほど前に母の意識が戻ることはほぼないだろうと私たちに告げた、あの眼鏡の女性医師だった。
 人工呼吸器は強めの設定で使っているが、ひとまずは安定していること。安定したので、明日以降は面会は通常通りの十四時半以降の三十分間に戻すこと。落ち着けばまた家に帰らせるか、もしくは療養型病院に転院させるかのどちらかで話を進めること。
 半開きになった母の口には、粘度の高い唾のような泡のようなものが溜まっていた。その痕跡を見ただけで母が苦しい思いをしたであろうことは想像に難くなく、私はまた申し訳なさで胸が痛んだ。
 病室で一時間ほど過ごしたかと思うが、私は母に「ごめんね」と「落ち着いたらお家に帰ろう」としか言えなかった。きっと母は家に帰ることを望んでいるはず。そんな自分の考えを、免罪符にしているようだった。
 搬送されるまで母の異常に気付けなかったという負い目。その負い目をごまかすために、私はさらに大きな過ちを重ねているのではないか。人工呼吸器によって生きながらえた母のことを思いながら、私は帰りの車内で新たな後悔に打ちのめされていた。
 家に帰ってから父に、「本当にこれでよかったのかわからない。お母さんはもう楽になりたかったんじゃないかな」と胸の内を打ち明けた。母が助かったことは嬉しいはずなのに、心の底から喜べない自分がいた。あんなに痩せ細ってしまった母に、これ以上無理をさせてしまっていいのだろうかという思いが渦巻いていた。
 父は「肺炎が治ればまた人工呼吸器は外せるかもしれないし、そうしたら家に帰してやれるんだから、お母さんにはもうちょっと頑張ってもらおう」と私にも父自身にも言い聞かせるように言った。私もそうだと思う反面、私たちは罪悪感から「母を家に連れて帰る」ということに囚われ過ぎているのではないかとも感じていた。
 病室でただただ虚空を見つめていた母の顔が頭から離れなかった。その代わりに、お風呂に入って嬉しそうだった母、私に「アイス食べていい?」と子供のように聞く母、帽子を編むと意気込んでいた母、そんな母が薄れていってしまうようで怖かった。
 母といつものように「おやすみ」と言い合った十一月八日から、もう三週間が経っていた。
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