第29話

文字数 2,326文字

 十二月二十九日。
 母の病室に向かうときはいつも、母に会える喜びと、その痛々しい姿を見る辛さがない混ぜになっていた。それは日常も同じで、母が生きていてくれる喜び、家に帰ってきてくれるという期待、そしてわずかでも回復してくれるのではないかというかすかな希望などの正の感情と、母に無理を強いていることへの罪悪感、なぜこんなことになってしまったのかという絶望、救ってあげられなかった後悔などの負の感情が、常にぐるぐると渦巻いていた。
 この日の私の心は後者に支配されることが多く、また何度も何度もとめどなく涙がこぼれた。
 父と私は少しでも長く母のそばにいるため、早めに昼食を済ませて家を出た。病室に着いたのは十三時過ぎ。人工呼吸器の設定は酸素濃度30パーセントのままにしてあり、母の酸素飽和度は95から99パーセントあたりを推移していた。何度か軽く声をかけてみたが、右耳を枕につけていたこともあってか母の反応は一切なく、両目もずっと閉じたままだった。眠いのなら眠らせてあげようと父と話し、二人無言で母の手や脚をそっとさすった。長く病室にいても、してあげられることがそれくらいしかないのが悲しかった。せめてもの思いで、母の体に掛けてあったバスタオルを新しいものに取り替えた。
 静かに三人の時間を過ごし、眠ったままの母を残して夕方に父と私は病室を後にした。年末年始にたくさん母に会えること、そしてお正月が過ぎたら本格的に母を帰らせる話が進むだろうことだけが、私たちの心の拠り所だった。
 夜、兄と電話で会話をした。母を家に帰らせようとしていることをあらためて伝えると、母が急変したときの覚悟は大丈夫か、父と私は付きっきりになるだろうがそれでいいのか、といったことを心配してくれた。高齢の父と未婚の大年増の妹が、意識の戻らぬ母にすべてを捧げようとしているのだから、心配なのは当然だった。父と私は母を守れなかった罪悪感からいささか冷静さを欠いているところがあるのはわかっていたので、一歩引いたところから見守ってくれる兄の存在は本当にありがたかった。
 だが、父と私の覚悟はもう決まっていた。私は兄に、介護サービスなども利用しながらやれるだけやってみると伝えた。
 気が付けば年の瀬で、テレビでは活気に満ちた商店街や駅や空港などの様子が頻繁に流れていた。「当たり前」に年を越せる人々が羨ましくて仕方がなかったが、私もまた去年までは「当たり前」を繰り返してきた一人なのだ。人生なんて本当に運でしかないのだと、あらためて痛感していた。何かがほんの少しだけ違えば、私たちも「当たり前」の年末年始を過ごしていたことだろう。
 母は毎年、年末には塊の鰹節をたくさん削っていた。それで出汁を取った年越し蕎麦とお雑煮は、お正月だけの特別な味だった。去年までは母もまだ台所に立てていたので二人で料理をしていたが、今年は母に味付けを教わりながら私が全部作ろうと思っていたところだった。
 こんなに辛い年越しになるとは、つゆほども想像していなかった。
 だた、母が希望を繋いでくれているからこそ、私たちは年越しの支度をすることができていた。

 十二月三十日。
 兄夫婦が面会に行ってくれたこの日も、朝から私の心は負の感情に支配され、何度も涙が出た。
 何もめでたくなどないのに、正月用の買い出しはしなくてはならないのが辛かった。母はイベント事を大切にするタイプで、特にお正月は歳の若い順にお屠蘇を飲んでから食事を始めるなどと徹底していた。母のいない正月にそんなことをするつもりは毛頭なかったが、最低限お雑煮くらいは作らないと母に叱られそうだと思い、食材を揃えた。
 買い物帰りに、面会を終えた兄から「呼吸は安定していたけど顔色が先週より悪いように見えた」というメッセージが届いた。しょっ中会っている私は母の変化にあまり気付かなかった、いや、気付いていたとしても気付かないふりをしていたのだが、兄の言葉を受けてやはり母には相当な無理を強いているのだろうと感じ、心苦しくなった。
 母はきっと、私たちと一緒に年を越すつもりだっただろう。そう思うと涙があふれて仕方なかった。
 母はよく、台所が片付いた後に突然「わらび餅を作る」などと言い出すことがあった。放っておくと自分で火を使おうとするから結局父か私がやらなくてはならず、そんな母に正直辟易もしていたが、今となってはわらび餅くらいいくらでも作ってあげればよかった。見えないものが「見える」と言い張る母にも、適当にあしらわずにもっと付き合ってあげればよかった。お漏らしする母やトイレを汚す母にも、もっと優しくしてあげればよかった。そんな日常すら幸せだったということを、失わなければ気付けなかった自分の愚かさが憎くて許せなかった。
 泣いてばかりの一日だったが、風呂の中で不意に思った。母に帰ってきてもらうと決めたのなら、以前の母を想って泣いてばかりではだめだと。今は、これからの母のためにできることをやらなければいけないと。
 そして風呂から上がったあとさっそく、私は動画サイトで人工呼吸器の基礎知識について説明している動画を視聴した。それは看護師向けのものだったので簡単な内容ではなかったが、どういったモードがあるのか、どういった設定があるのかはなんとなく頭に入った。母の人工呼吸器のモニターを写真に撮って、実際にどういう状態なのか動画を見ながら確認してみようと思った。
 母を迎え入れる準備をしなければいけない。その使命感が、過去に囚われてばかりの私を前に進めてくれていた。
 意識を失ってもなお、母は弱い私を助けてくれていた。
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