第10話

文字数 2,512文字

 十一月二十五日。
 この日は兄夫婦が面会に行ってくれることになっていたので、父と私は母に会いに行かなかった。兄夫婦は、連日往復一時間半ほどの道のりを運転する父のことを心配してくれており、二人が行ける日は父は休むように話していたのだ。母が入院して以降、父が病院に行かなかったのはこの日が初めてだった。
 私は徐々に食欲が戻ってきていたが、母がいないと手の込んだものを作る気はしなかった。元々父と私はあまり食には興味がなく、母が料理ができなくなってからも私は母に「ご飯何にしようか?」と常に相談していた。搬送される数日前には「ハンバーグと海老グラタンを作ろうか」と母がやる気を出していたので、私はハンバーグの肉だねを捏ね、海老の殻を剥いてホワイトソースを作り、最後の仕上げだけを残して母に声を掛けた。だが、いざとなると母は気が乗らない様子でなかなか腰を上げてくれず、結局私が全部作ったのだった。そういえばあのときも母はハンバーグには手を付けず、サラダとグラタンも少ししか食べていなかった。なぜ母の食事量にもっと気を付けなかったのか、自分でもわからない。
 昼食は袋ラーメンにしたが、炒め野菜はたっぷりと乗せた。私はまだ多少の無理がきく年齢だが、父はもう七十四歳だ。ラーメンで済ませておいて何を言うかという感じではあるが、父の健康には気を付けたいと思うようになっていた。二度と同じ轍を踏みたくはない。
 父は手持ち無沙汰なようで午後から買い出しに行き、私はその間を編み物をして過ごした。静かな部屋で一人になっても落ち着いていられるようになったが、母のいない日常に慣れていくことが悲しくもあった。母はまだ、一人病室で頑張ってくれているというのに。
 父は、私が頼んだお刺身と野菜類の他に、お正月飾りと鏡餅も買って来た。
 私はそれが嬉しかった。
 父もまた、私同様に諦めていない。
 夜に兄から、私がお願いしていた「もうすぐ家に帰れるよ」という言葉を母に伝えたというメッセージが届いた。母は私が手伝いをするたびに、「男の子はお嫁さんに取られちゃうから女の子を産んでおいてよかった」などと言っていたが、兄も十分に母を想い、母のために精一杯やってくれているよと伝えたかった。
 母のいなくなった隙間を埋めるために編み始めたニット帽が、この日編み上がった。母が選んだ毛糸で編んだ帽子は私のものにして、色違いの毛糸を買って今度は母の分を編もうと決めた。
 それを一緒に被って出掛けられる日が来ることを、私は信じていた。

 十一月二十六日。
 この日も午後から父の運転する車で病院に向かった。病院の入り口で検温し、私がトイレに行く間に父が面会の手続きをし、入れ替わりに父がトイレに向かう。その後エレベーターで三階に上がり、三階の待合室で面会開始時間の十四時半を待つ。
 この流れを、もう何度繰り返しただろうか。
 ベッド上の母は右目が三分の一ほど開き、左目もうっすらと開いていた。絶えず下顎が上下し、まるで何かを言おうとしているかのようだった。体の痙攣はなく、今日は急激に気温が下がったせいか、浮腫んだ手はいつもより冷たかった。
 母の額と手をさすりながら、私は母の右目に映るように身を屈めた。母の虚ろな瞳はきょろきょろと落ち着きなく動き、こちらを見てくれてかと思ったら数秒後には下を向く、の繰り返しだった。
 もし母に意識があって、ただ動かない体にすべてを封じ込められてしまっているのだとしたら、こんなにも残酷なことはないだろう。母が目を覚ましたら私の名を呼んでくれるだろうなどというのは都合のいい勝手な妄想で、実際は「なんであのとき逝かせてくれなかったの」と泣かれるのかもしれない。「なんでこんなひどいことするの」と怒鳴られるのかもしれない。それでも、私は母に生きてほしいし、こうなってしまった以上は母を家に帰らせること以上の最善は見つけられなかった。
 私は何度も母に「もうすぐお家に帰れるからね」「早くお家に帰ろうね」と声をかけて病室をあとにした。
 父は「空気清浄機を買おう」「パジャマもたくさん買っておかなきゃな」と、前向きに話すようになった。私も母の痛々しい姿を見るとまだ涙が出たが、ご飯を食べながら泣くようなことはなくなっていた。父と二人の日常は穏やかで、母がいたときのように大きな声を出すこともなく、粛々と過ぎていく。 それが寂しく、そんな日々に慣れつつあることが心苦しくもあった。
 搬送前夜のご機嫌な母ばかりを思い出してしまうが、実際は母との暮らしは楽しいばかりではなかった。認知機能が低下した母のわがままや妄言に振り回されるのは日常茶飯事で、私は「ボケる前の母に会いたい」と父に泣きついたことさえあった。
 母が入院する以前で一番泣いたのは、私が誕生日にあげたピンク色のプルオーバーを何度か着用したあと、「あれ不良品だから安かったんでしょ?」と言われたときだった。私たちには見えないものが見えることのある母には、プルオーバーの首周りにほつれが見えたらしく、母は悪びれもなく私にそう言ったのだ。その直前に三十分以上かけて母の硬い足の爪を切ってあげたばかりだったので、私はその言葉にひどく傷つき泣いてしまった。父からもきつく叱られるとさすがに母も悪いと思ったのか、後日「これらーちゃんに返す。あんなこと言っちゃったから、私はもう着れない」とプルオーバーを私に引き取るように言ってきた。私ももうそれを着る気は起きなかったが、まだ新しいのに捨てるのは忍びないので、母の冬物をしまっている衣装ケースにこっそりと入れておいた。
 それから何日かしたあと、父に手伝ってもらって衣替えをした母のタンスには、またあのピンクのプルオーバーが入っていた。タンスから母の着替えを出すのは私の仕事だったので、ある朝「今日はどれを着る?」と聞くと、母は何事もなかったかのように「らーちゃんがくれたピンクのやつ」と答えた。母の記憶からは、数日前の私との一悶着はもう消え去っていたのだろう。
 私は、母がそれを着てくれることが秘かに嬉しかった。
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