第1話

文字数 6,077文字

 十一月十八日。
 母の意識が戻らないまま、十日が経とうとしている。
 私は常々、悲しい事故、事件のニュースや突然の訃報に触れるたびに、周囲の人々は耐え難い絶望をどうやって乗り越えているのだろうと疑問に思っていた。私には到底乗り越えられないと。
 実際に絶望の渦中に陥った今、気持ちの整理のために結末の見えない物語を綴りたい。

 母は七十三歳。長くパーキンソン病を患っており、最近は家の中の歩行すらも困難で、日常生活のすべてにおいて介助が必要になっていた。認知機能も低下しており、ごく稀に癇癪を起こすようなこともあったが、基本的には子供のように可愛らしく、そして明るく優しい母だった。もともと料理が得意で、元気だった頃には毎日毎日美味しいご飯を作ってくれていた。
 そんな母と母より一つ年上の父、そして実家を出たことすらない四十一歳の娘のつましい三人暮らしが一変したのは、令和五年十一月九日のことだった。母が意識不明で救急搬送され、意識が戻らぬままICUに入院したのだ。後から知ったことだが、この日は119番の日だった。

 救急搬送される前日の十一月八日、母は朝なかなか起きてくれなかった。この日私は仕事が休みだったため八時か九時頃から断続的に母を起こしに行ったが、母はまだ寝足りないといった様子で起きることを拒み続けた。最近の母は起床がどんどん遅くなっていたので、私は特に気に留めずにそのまま母を寝かせておいた。長く寝た方がおぼつかない足の運びが多少は良くなることもあり、父と私は母を無理には起こさないようにしていた。
 お昼近くになって声を掛けると母はさすがにベッドを出てくれたが、しきりに眠い眠いと言い続け、リビングに来てもすぐに座椅子の座面を枕にして横になってしまった。取っておいた朝食を食べるかと聞いてもいらないというので、「なんかちょっと食べてお薬飲まないと」と言ってリンゴを乗せた皿を差し出すと、母は座椅子に横になったまま一切れをようやく食べてくれた。その後も母はずっと眠い眠いと言い続けたが、私は「そんな日もあるだろう」くらいにしか思わず、薬を飲ませて着替えを手伝い、そのまま座椅子に寝かせておいた。
 十二時頃に昼食を食べさせるため、再び母を起こした。いつものように父と二人掛かりで支えながら食卓に着かせ、前夜の残りのおでんと出汁昆布を入れ忘れたせいでいまいちだった生姜ご飯を取り分けた。思えばこのときも母はあまり手を付けていなかったが、まったく食べていないというわけではなかったので、私は特に気に留めなかった。母は毎日のようにアイスや大福などを口にしていたので、もっとご飯を食べるように間食を減らしたほうがいいだろうか、などと悠長に考えていた。
 昼食後も母は座椅子に横になっていたが、十四時半から訪問看護の予定が入っていたためその十五分ほど前にまた母を起こし、少ない髪を梳かして服に付いた食べこぼしを拭き、母の身なりを多少は整えた。だが、少しすると母はまた横になってしまった。
 「薬でも盛られたんじゃないかなって思うほど眠い」
 いよいよ看護師さんが来る時間になったので声を掛けると、母はそう言いながらようやく体を起こした。パーキンソン病の進行によってまっすぐに座ることもできなくなっていた母は、体が大きく左に傾いてしまって頭が背もたれから外れてしまうので、座椅子とソファーの隙間にクッションを挟んでそこに頭を乗せさせた。このとき父は、ミックスジュースを作りたいと言う母のために果物を買いに出掛けていた。
 こうしてあらためて書き出すと、母はこんなにもサインを出してくれていたのに、なぜ私は母の異常に気付いてあげられなかったのだろうという後悔ばかりが募る。なぜ「そんな日もあるだろう」で片付けてしまったのか。
 このときの楽観は、私が一生背負わなくてはいけない負い目となった。
 十四時半を過ぎたところでインターホンが鳴り、「今日はやたらと眠い眠いって言ってるんですよ」と伝えながら看護師さんに上がってもらった。母は座椅子にぐったりともたれ掛かるように座ったままだった。
 最近母の食が細くなったという話をしながら、血圧、脈、体温を測ってもらったが、数値に特に問題はなかった。血圧を聞いたときに少し低いなと感じたが、最近母の血圧は高いことが多かったので、看護師さんは「ばっちりですね」と母に声を掛けていた。ただ、だいぶ痩せているのが気になると言われ、洗面所まで行って体重測定を試みたが、支えがないとまっすぐに立つことのできない母の体重は正確には計れず、また調子がいいときに計りましょうと話して私たちはリビングに戻った。
 この後看護師さんと三人で少し談笑をし、看護師さんが洗濯ネットをポーチとして使っているのを見て、母と二人で「いいアイデアだね」などと笑いもした。あまりに食事が取れないようであれば高栄養素のアイスなどを食べるといいというアドバイスをもらい、次回の日程を決めて訪問看護は終了した。
 看護師さんが帰った後にお茶を淹れると、母は父が買って来た大福を一つ食べた。このときには母は普段通り元気で、「ミックスジュース作ろうか?」と聞くとおもむろに立ち上がり、「パイナップルも入れたいから買いに行く」と言い出した。だが、家の中を歩くにも手摺りと父か私の介助が必要な母を外出させるのは簡単ではなく、もう時間も遅かったので、父と私は母に諦めるよう言った。それでもしばらくは「買いに行く」と言い張っていたが、父が「明日買ってくるから」と言ってくれたので、「明日お父さんに買って来てもらって、それから作ろう」と提案すると、母はようやく諦めてくれた。
 後から思えば、このときパイナップルくらい私が買いに行ってあげればよかった。もしくは、パイナップルなしでもミックスジュースを作ってあげればよかった。
 後悔は尽きない。

 この日の夕食は、宅配のミールキットだった。それまでは週三回宅配のお弁当を頼んでいたのだが、母が飽きた飽きたと繰り返すので、初めてミールキットに変えてみたところだった。副菜は忘れたが、メインは肉豆腐。母は「お弁当よりこっちのほうがいい」と喜び、それなりに箸が進んでいたようだったので、「今度からはミールキットにしようね」と話した。
 私はいつも通り自分の食事が終わるといったん自室にこもり、三十分ほど待ってから片付けのためにリビングに戻った。母はそれなりに食べていたように思ったが、例によって大量に食べこぼしていたので、実際に口にした量は少しだったのかもしれない。
 母が食べ終えるのを待ってから父と二人で洗い物を済ませ、母に薬を飲ませた。最近薬を飲むのが辛くなってきたと言い、薬を落とすことも多くなった母のために、父が服薬用のゼリーを買ってきたばかりだった。小皿にゼリーと薬を入れてスプーンを渡すと、母はゼリーの味が気に入ったようで「これなら飲みやすい」と喜び、小皿のゼリーをすっかり食べ尽くしていた。
 その後、母をトイレに連れて行き、用を足し終えた母の服を脱がせて風呂に入らせた。母は最近、「お風呂のお湯が熱く設定されている」という被害妄想を抱くようになっていて、私に湯船に浸かってみせろと指示することが多かった。私が両脚を浸けてみてもなお信じてもらえず、「熱いのに無理してるんでしょう?」と言って私の脚が赤くなっていないかまじまじと見てくることもあった。私はその被害妄想に辟易しており、一度母と口論となったことがあった。
 「最初は体が冷えてるから、熱く感じるだけだって」
 「絶対熱くしてあるもん」
 「誰がそんなことするの?お父さん?私?」
 「どっちか」
 「なんでそんなこと言うの?いい加減にしてよ」
 「あんたこそいい加減にしなさいよ」
 「私が何をいい加減にするの?」
 「男遊び」
 そのとき私は母の言葉に絶句し、父に母を任せて風呂場を離れた。あとから思えば、私が捲し立てたので母も売り言葉に買い言葉で熱くなってしまったのだろう。そして、よく夜に出歩いていた二十代の頃の私と、四十を過ぎた私とを混同したのだろう。今なら「認知症なのだから仕方ない」と思えるが、当時の私は母の吐き捨てるような物言いにひどくショックを受け、母が風呂から上がる音がしても母の介助に向かわなかった。自室で耳をそばだてていると、「なんであの子は来ないのかね」と不思議そうに父に訊ねる母の声が聞こえた。母は、ほんの三十分ほど前のやり取りも忘れるようになっていたのだ。 
 搬送前夜の母からも、湯船に浸かってみせるよう要求があったが、「私まだお風呂に入ってないから浸かりたくないよ」と断り、湯船の温度を四十二度から四十度まで下げた。納得のいかない様子の母が渋々風呂の椅子に座るのを見届けてから、私は自室に戻った。
 少しして風呂の扉が開く音だったか、壁を叩く音だったか、とにかく母のアクションがあったので父と二人で見に行くと、母は「湯船に浸かりたい」と言った。だが、タオル掛けに掛けておいた母のタオルはまったく濡れておらず、身体を洗った痕跡は見られなかった。
 「全然洗ってないんじゃない?洗ってあげようか?」と言うと、母は素直に従ってくれた。椅子に座った状態だと下半身が洗いづらいので椅子を畳んでどけ、母には膝立ちの状態になってもらった。これまでも背中を流すようなことはあったが、全身を洗ってあげたのはこのときが初めてだった。母の身体をシャワーで流しながら、自分でどの程度洗えているのかわからないから、これからはこうして洗ってあげるようにしなきゃなと思っていた。
 シャンプーもしてから、母を湯船に浸からせた。まっすぐに座ることのできない母はお湯からやっと首を出しているような状態だったので、今度入るときには湯量を減らしてあげようと思いながら母を見守った。「お湯熱くないでしょ?」と聞くと納得した様子だったので、これからは事前に湯船に浸かってみせろと要求されることはないだろうとほっとした。
 手摺りを使ってなんとか湯船から出た母の両目に目脂が付いていることに気付き、私は母にもう一度椅子に座ってもらい、洗顔料を泡立てて母の顔を洗った。母は気持ち良さそうに目を閉じたまま、「らーちゃん(母は昔から私をこう呼ぶ)と二人でエステでもやろうか」と冗談とも本気ともつかない口調で言った。最後に「リンスはしてくれた?」と聞かれたので慌てて母の少ない髪にリンスを付けてから流し、母の入浴は終わった。
 風呂上がりは母の身体が固まってしまうことが多く、狭い浴室内では母を両側から支えることも難しいため、父と二人掛かりでも母を風呂から脱衣所まで移動させるのには苦労することが多かったのだが、この日の母は調子が良く、父の手を借りずとも脱衣所の椅子に座らせることができた。
 オムツを履かせてパジャマを着せ、手摺りをつたってよたよたとリビングに向かう母に「いいお湯でしたか?」と聞くと、母は嬉しそうに「孝行娘がいましてねぇ」と答えてくれた。
 このときの母の笑顔を、私は一生胸にしまっておきたい。
 廊下まで様子を見に来た父と、「今日はけっこう足が出てるね」「やっぱりたくさん寝たほうが身体の動きがいいよね」などと話し、父に母を任せて私は風呂に入った。
 私が風呂から上がると、母はダイニングテーブルに座ってみかんをぼろぼろにしながら剥いており、父が対面に座ってそんな母を見守っていた。以前母がみかんを食べていたとき、「食べ終わったらこれに入れておいてね」と言ってビニール袋を置いておいたのだが、母はそのビニールを流しのところに持っていこうとして転んだことがあった。なので父は、母が一人で立ち上がらないように見守っていたのだ。父は「このあとアイスも食べるって言ってるから、お前がこっち来るまで見てるよ」と言い、私が髪を乾かし終えてリビングに戻るのを待ってから風呂へと向かった。その後のことはうろ覚えだが、アイスを食べ終えた母をいつものようにこたつの定位置に座らせたかと思う。
 二十二時近くだっただろうか。母が突然ごそごそと台所を漁り始めた。
 最近、母は夜遅くに突然「わらび餅を作る」などと言い出すことが多々あり、父と私はそれを止めたり、ときには要望に応えてあげたりしていた。このとき母が何を探していたのかはわからないが、私は母を制止しようとする父に「止めると癇癪起こすから、好きにさせておこう」と言い、母に介護用のヘッドギアを被せた。このヘッドギアを母と私は「おぼうち」と呼んでおり、このときも「ほら、なんかするならおぼうち被って」と言って母の頭に乗せると、母は素直に静止して私がヘッドギアのバンドを止めるのを待ってくれた。
 しばらく好きにさせていると、突然母が転んだ。最近は立ち止まっていても不意にバランスを崩すことがあり、このときもおそらくそうだったのだろう。後頭部を打ったようだったが、「おぼうち」のおかげで大事には至らなかった。私は直前にヘッドギアを被ってもらってよかったと、心底安堵した。
 思わぬ転倒によって台所での何かを諦めた母は、就寝の準備を始めた。トイレと歯磨きを手伝い、寝室に向かわせると、母は「もう寝るだけか」とつまらなそうに呟いた。そしてベッドに横になると、この前夜もそうだったのだが、母は電動ベッドの頭の部分を高くするよう私に言い、隣に私を座らせた。前夜は一緒に編み物の本を見ながらしばらく会話をしたが、この夜は母が眠たそうだったので、少し話しただけで私はベッドを降りた。
 私が電気を消そうとすると、母は編み物をしながら寝るから毛糸を持って来てと言った。認知症が始まった母はもう、編み図を理解することも、細かい目を編むこともできなくなっていたのだが、最近の母は自分ができなくなったことすらもわからなくなっていたのだろう。「らーちゃんに帽子を編んであげる」と言い出し、三日前に一緒に毛糸を買いに行ったところだった。
 私が押す車椅子に乗って、熱心に私のための毛糸を選んでいた母。母にはしっかりした部分もまだ残っていて、母が選んだウール100パーセントの茶色の毛糸を私が三玉手に取ると、「ちゃんと全部ロットが同じか確認してね」と私に指示をした。私はロットを確認した後、どうせ母には編めないから、私が隣で編んで母に満足してもらおうと思い、毛糸をレジに持って行ったのだった。
 ベッド上の母にその毛糸の入ったビニール袋を渡すと、母は毛糸を少し触っただけで落ちるようにすぐに目を閉じた。私は「もう眠いんでしょ」と言って母から毛糸を取り上げ、ベッドの頭を下げて水平に戻した。そしていつものように「おやすみ」と言い合い、私はリモコンで電気を消して寝室を後にした。
 それは本当に、いつも通りの「おやすみ」だった。
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