第22話

文字数 3,316文字

 十二月十六日。
 また、眠たいのに眠れない夜を過ごした。
 ベッドに入るたび、隣の寝室に母がいないのだという現実が私を打ちのめした。搬送される前日の、「薬でも盛られたんじゃないかと思うくらい眠い」という母の言葉を聞き流さなければ、母は今も隣の寝室で眠っていただろう。搬送当日、あと数時間早く声を掛けて異常に気付いていれば、母の意識は戻っただろう。そう思うとやるせなくて苦しくて、辛いや悲しいなどという言葉では到底表すことのできない感情が私の心を埋め尽くした。
 何か違うことを考えようとしても、母の姿ばかりが浮かんでは消えた。手摺りをつたって一生懸命歩く母、嬉しそうにアイスを食べる母、豚カツを食べている最中に「カツ丼にしたい」とわがままを言う母、「オムツ脱がせて」と甘える母、ちょっとした冗談で「らーちゃん面白いね」と笑ってくれる母、私が作ったなんてことないご飯を「おいしい」と食べてくれる母、些細なことでも「ありがとう」と感謝してくれる母。当たり前に一緒に暮らしてきた母がこの家にいないことが、不思議で仕方がなかった。
 あまりにも寝付けない日々が続いていたので睡眠薬を飲もうかとも思ったが、夜中に病院から電話が掛かってくるかもしれないことを考えると、安易に薬に頼ることもできなかった。
 そうこうして朝方ようやくウトウトしかけたとき、五時にセットしていたスマートフォンのアラームが鳴った。私がのそのそとベッドを出ると、五時半に起きると言っていた隣室の父も動き出したのがわかった。父はちゃんと眠れていると言うが、きっと私と同じで眠れていないのだろうと感じていた。
 簡単な朝食を済ませ、私たちは六時前に家を出た。小雨が降っていた前日のようには冷え込んでおらず、薄暗い道には犬の散歩やランニングをする人々の姿もちらほらと見受けられた。一ヶ月以上もの間「非日常」を過ごしている私は、そういった「日常」を送っている彼らとはまったく違う世界にいるような気分になった。
 土曜日ということもあって早朝の道は空いており、車はほとんど止まることがないまま三十分ほどで病院に到着した。救急の入口から入り、病棟に上がってインターホンを押した父が母の名を告げると、応対した看護師さんは「どうかされましたか?」と少し驚いたような声を出した。母の容態があまり良くないためいつでも来ていいように言われていることを伝えると、「失礼しました」と言って扉を開けてもらえたが、その時点で私は、母の容態はもう落ち着いたのだろうと確信した。
 病室に行くとちょうど看護師さんが母の様子を見ているところで、私たちは「おはようございます」と挨拶をしながら入室した。母の呼吸音は正常で、モニターに表示されている酸素飽和度は100パーセント。定期的に測定するために左腕に巻かれっぱなしになっていた血圧計は、もう外されていた。
 看護師さんが出て行くと、父は母の額に手をやって「よく頑張ったな」と優しく声を掛けた。それに続いて私も母の額を撫でた。触った感じだと、熱ももう引いているようだった。手を握ると昨日とは違って冷たかったので、温めるように肘から下をそっとさすった。
 母はまた、乗り越えてくれた。
 「ありがとう」と心の中で繰り返しながら母の手を握り、ベッドの柵に持たれて顔を伏せると強烈な睡魔に襲われ、私は少しだけ眠った。顔のすぐそばに母の尿を溜めたパウチがあったが、少しも気にならなかった。ただ、母の手を握りながら眠れることが幸せだった。
 人工呼吸器はときどき不快なアラーム音を発することもあったが、それは母が軽く唾を飲むなどして呼吸が一瞬乱れたときだけで、継続的に鳴り続けるようなことはなかった。
 母の様子を見て安心した反面、気掛かりなこともあった。前日まではげっそりとしていた母の顔が、かなり浮腫んでいたのだ。ガリガリよりは痛々しさが少ないようにも思えたが、やせ痩けた母をようやく見慣れてきたところだったので、また違う母が現れたような気がして少し戸惑った。一時的な浮腫みなのか、それともこのまま全身が浮腫んでいってしまうのか、心配ではあった。
 看護師さんに体勢を変えてもらうと母の目は少しだけ空いたが、すぐに閉じてしまった。私は母に声を掛けたかったが、まだ朝だから眠いのだろうと思って無理に起こすのはやめた。母には母の生活リズムがあるはずだ。
 私たちは眠る母を静かに見守って呼吸が十分に安定していることを確認し、九時半頃に病室を後にした。この日は土曜日だったので、午後からは例によって兄夫婦が面会に行ってくれた。兄夫婦が行ったときも、母の酸素飽和度は概ね100パーセントをキープしており、血圧も正常値だったという。
 母が頑張ってくれているおかげで、私もまた踏ん張ることができていた。

 十二月十七日。
 病室に着くと母は両目を開けていたので、私はすかさずその視線の先に自分の顔をやった。母の目線と私の目線が、確かに交わった。モニターの酸素飽和度は100パーセントだったので息苦しくはないはずだが、母の口は絶え間なくパクパクと動いていた。私は、その口が私の名を呼ぶのではないかという幻想を抱きながら、母の瞳に自分の顔を写し続けた。母は私を見てくれているのではないか、そう思っても、母の視線はふっと脇に逸れてしまった。
 その後も母は、口をパクパクさせながら虚空を見つめ続けていた。そんな姿を見るとやはり胸が締め付けられて涙があふれたが、それでも私は母の視線の先にしつこく顔を移動させながら、浮腫んだ手をさすり続けた。私の顔を見れば何かを思い出してくれるのではないか。働くことをやめてしまった脳の一部が、再び動き出してくれるのではないか。そんな夢を見ずにはいられなかった。
 この日の母は顔こそ浮腫んでいなかったものの、首周りは水が溜まったようにぶよぶよと膨らんでいた。
 母の身体はとっくに限界を超えているのかも知れない。本来ならばすべてから解放されるべき肉体に、機械を使って無理矢理命を注ぎ込んでいるだけなのかも知れない。そう思うと、やはり強い罪悪感を覚えた。だが、機械の力を借りながらとはいえ母が二度の危険な状態を乗り越えたことは紛れもない事実で、そしてそれは母自身の生命力があってこそだと思った。
 父が母の右耳にイヤホンを入れて音楽をかけると、しきりにパクパクと動いていた口がすっと動きを止めた。それはほんの数秒のことだったが、やはり耳は聞こえてはいるのだろうと感じた。
 その後、私はLED付きの耳かきとピンセットを使って、母の右耳を掃除した。母は右頬を枕に付けた体勢のことが多く、褥瘡ができてしまった左耳は常にガーゼで覆われていたためなかなか耳掃除をすることができなかったのだが、母が正面を向いていたこの日はようやく訪れたチャンスだった。ライトのおかげではっきり見えた耳内にはカサついた耳垢がこびり付いており、剥がれ掛けた一部分をピンセットで摘むとごっそりと取り除くことができた。これできっと、私たちの声や音楽がより聴こえるようになるはずだと思った。
 この日、病院の寝巻きレンタルサービスを解約し、新しく購入した浴衣タイプの寝巻きを四着病室に置いていった。これからは母の寝巻きを持ち帰り、家で洗うことができる。母のためにできることが一つでも増えるのが嬉しかった。
 どんなに頑張ってくれたとしても、母はそう遠くはないうちに旅立ってしまうだろう。それはわかっていた。そして、一緒に苦境を乗り越えてくれている父もまた、いつかはいなくなる。そのとき、私には何も残らないだろう。だが、私はそれでいい。私は一人孤独に野垂れ死ねばいい。私の今後に幸せなど一ミリもなくていいから、どうにかして私が放棄した分の運を母に分けてあげることはできないだろうか。私は本気でそんなことを考えていた。
 私たちが病室を出るときも、母は相変わらずただぼんやりと宙を見つめていた。
 そんな母を一人置いて帰るのは忍びなく、やはり母を家に帰らせてあげたいと切に思った。
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