第3話 『要石』

文字数 4,712文字

 東京二十三区。世界でも有数の巨大都市圏であるこの特別区の南部に位置する行政区の一つ、品川区。羽田空港から中心部へと向かう人々が通過する導線として、また横浜を初めとした西側の地方から上京してくる人々に対する玄関口として発展してきた場所だ。

 そんな品川区の街並みを歩く2人の外国人がいた。天馬によって割り振られた『第1班』のアリシアと小鈴である。尤も『外国人』とはいっても、明らかにそれと分かるのは金髪アメリカ人のアリシアだけで、外見的には日本人との相違が少ない中国人の小鈴はそこまで目立ってはいなかったが。

「はぁ……全く、あなたと一緒だと余計な注目を浴びて、目立って仕方ないわね。日本人の視線なんて好んで集めたくはないのに……」

 小鈴が嘆息すると、アリシアは不思議そうな目で彼女を見返す。

「お前は日本や日本人が嫌いなのか? だがその割にはテンマに対して隔意はない……というより好いてさえいるのだろう?」

「天馬に対する感情は人種とか国籍とか超えたものだからね。あんな人は他にいないわ。中国人の日本に対する感情っていうのは何か……言葉では説明しづらいわね。長年の歴史の積み重ねとかそういうのが関係してるから……。でもだからって別に日本が滅びればいいとか、日本人は皆死ねとかそういうのはないわよ。……同胞の中には極一部そういう過激な人達もいるのは事実だけど」

 幼少の頃から国ぐるみで刷り込まれた価値観というものは、大人になったとしてもそうそう変わる事はない。いや、却って更に拗らせる者も多いくらいだ。小鈴はそこまでではないという自覚はあったが、だからといって日本が好きかと言われると肯定できないのは事実であった。

「まあ歴史絡みで他国の人間にあれこれ言われるのは気持ちの良い事ではないからな。きちんと任務に集中さえしてくれればとやかく言う気はないがな」

「それは任せてくれていいわ。そもそも邪神の勢力を放っておいたら、国どころかこの地球自体がヤバいんだし」

 人はより規模の大きい脅威に対しては共通して立ち向かう事ができる。その意味ではこの星自体を滅ぼしかねない邪神やその眷属どもは人類が一致団結するのにこの上ない『共通の敵』と言える。

 尤も連中もそれが分かっているから、普段は極力表には出ず、邪神の存在もひた隠しにしている訳だが。


「さて、そういう訳でしばらく歩き回ってるけど、どう? 奴等の魔力とか気配とか察知できそう?」

 小鈴が問いかけるとアリシアは難しい顔でかぶりを振った。

「……いや、明確な痕跡は今の所探知できないな。だが何となくだがこの街全体に不快な魔力が漂っているような……妙な感覚ならずっと感じている」

「やっぱりあなたも感じてた? 私もこの不快感は、ここが日本だからってだけじゃなさそうね」

 それを聞いて小鈴も自分の感覚が気のせいではなかった事を確信する。通常プログレスやウォーデンの魔力は非常に濃い『点』として感知できる。だが今感じている微細な魔力は『面』といった感じで、この街全体を覆っているように思われるのだ。

「……ビスヴューでも旧市街全体を覆う『結界』が張られていたが、それとも微妙に異なるな。これは『結界』ではない」

 『結界』のように意図的に区切られた空間という訳ではなく、どこかでダダ漏れ(・・・・)になった魔力が無秩序に広まっているような……そんな印象を受けた。

「いずれにせよ余り放置していて良さそうなものではないな」

「そうね。じゃあ他に当てもないし、この魔力の出処(・・)を探るって方向でいきましょうか」

 当面の方針を定めた2人は、街を漂う魔力に意識を集中させ、その発生源(・・・)を突き止めるべく探索を開始した。


 一度その魔力だけに意識を集中させれば、その濃淡を判別するのはさほど難しくない。品川の街中を辿って歩く2人は程なくして、ビルとアスファルトに囲まれた自然公園に到達していた。戸越公園と呼ばれている場所だ。

「……ここね」

「うむ、明らかに魔力が放散されている気配があるな。尤も……ここだけではなさそうだが」

 彼女らが探知した限りでは『発生源』と思われる場所は他にも点在しており、この公園が最寄り(・・・)であったというだけだ。

「恐らく他の区域にもあるわね。そっちは他の班に担当してもらうしかないけど、私達は私達の担当区域の掃除(・・)をしちゃいましょう」

 2人は公園の中に踏み込む。東京の中では比較的広い部類に入る公園だが、木々が立ち並ぶ公園内は大都会の只中とは思えないほどに人の気配がなかった。風光明媚だから……ではない。

 もうここまで来ると探知に集中する必要すらない。2人は公園の木々を抜けて奥にある開けたスペースに出た。そこには……

「……! これは……何!?」

 その広場の中央に真っ黒いモノリス(・・・・)が屹立していた。高さが4メートルくらいの正確な長方形をしており、真っ黒い色をしているというよりは一切の光を通さない闇をそのままモノリスの形に固めたというような代物であった。

 見た目からして怪しいこのモノリスが『発生源』で間違いないようだ。今この瞬間もモノリスから魔力の風が噴き出しているのが分かる。小鈴は唖然と目を瞠ったが、アリシアはそれを見て青ざめた。


「馬鹿な。これは、まさか……『要石(かなめいし)』!? この東京の浸食は想像以上に進んでいるという事か!」


「要石? これの事?」

 小鈴の問いかけにアリシアは神妙な表情で頷いた。

「うむ。邪神の発する濃密な魔力が直接(・・)地表にむき出しになった時、その魔力が凝り固まってこの『要石』を形成すると言われている」

「ええ、直接!? それって……」

「そうだ。この要石はある意味で邪神そのもの(・・・・・・)と言える。この日本も含めた太平洋一帯を領域とする邪神……クトゥルフが復活しつつある(・・・・・・・)という事だ」

「っ!!」

 事態の深刻さを悟った小鈴は息を呑んだ。プログレスは勿論、ウォーデンすら所詮は『眷属』に過ぎない。邪神そのものが復活したら……果たして自分達の手に負えるのだろうか。そんな不安が頭をよぎる。

「だ、だったら早いとここれを何とかしないとね。壊すなり何なりする方法はあるの?」

「勿論だ。邪神そのものとはいえ、これはほんの末端の髪の毛みたいなものだ。魔力と相反する神力を流し込んでやれば破壊する事ができるはずだ。むろん相応の量を流し込まねばならんだろうがな」

 破壊の方法自体は単純なようだ。早速取りかかろうと『要石』に近づく2人だが……


「む……!?」

 木立の中から黒い波動がいくつも飛んできた。それらは真っ直ぐに小鈴達に衝突……する寸前で、彼女らは飛び退って避けた。

「気をつけろ、奴等だ!」

「まあすんなり壊させてくれるはずないと思ってたけどね……!」

 咄嗟にそれぞれの神器(ディバイン)を顕現させ、神衣(アルマ)を纏って臨戦態勢になる2人。彼女らの見据える先、木立の中からいくつもの影が姿を現した。全員が魚やイカ、タコといった魚介類と人間を掛け合わせたような異形の怪物であった。

 プログレスだ。数は全部で5体。


『王のご命令だ。貴様らは一人残らず始末する。クトゥルフ様の【御神体】は破壊させん』


「……!」

 どうやら小鈴達が必ずここへ行き着くと予想して待ち構えていたらしい。やはり自分達が東京に来た事は察知されていたのだ。

「5人か……。どう、アリシア? 行けそう?」

「無論だ。応援を呼ぶ必要はない」

 確固たる答えが返ってきて安心した小鈴は、目の前の戦闘に集中する事にした。どのみちこいつらを排除しなければ要石を破壊できない。

『死ね! 旧神の傀儡どもめ!』

 プログレスの何体かが再び黒い波動を撃ってきた。同時に残りは直接飛び掛かってくる。

『炎帝連舞陣!』

 朱雀翼に炎を纏わせて踊るような連舞でプログレスの黒い波動を弾き飛ばす。そこに直接襲ってきた魚頭のプログレスが魔力で作り出した三叉槍を突き出してくる。横からはイカ男が長い触腕を振り回して攻撃してきた。

「ち……!」

 左右からのリーチの長い挟撃に小鈴は舌打ちして回避に専念する。そこに再び後衛のプログレス達が黒い波動で追撃しようとするが……

「させん!」

 アリシアのクイックショット。目にも留まらぬ速さで撃ち出された神聖弾は、正確に後衛のプログレスの一体を撃ち抜いた。

『……! 貴様ぁ……!!』

 仲間がやられたのを見て、後衛のプログレスがアリシアにターゲットを変更してくる。連続して黒い波動を撃ちこんでくるのを転がって回避しながら反撃に神聖弾を放つアリシア。

 後衛は彼女が引きつけてくれた。これで小鈴は前衛の敵に集中できるようになった。振り回されるイカの触手を避けつつ、突き出される三叉槍に対処する。

 連続して突き出される槍の穂先は人間には分裂したようにしか見えない速さだ。だがディヤウスであり武術の達人である小鈴の目にはそこまでの速さではない。心臓を狙って突き出された穂先を掻い潜って、低い姿勢で接近する。

『炎帝昇鳳破!!』

 そして下から打ち上げの強烈な一撃を叩きこむ。まともに食らった魚男は全身が炎に包まれ跡形もなく消滅した。

『グゲッ!? 貴様……!!』

 残ったイカ男は触手ではなく、口の部分から大量の黒い液体を吐きつけてきた。それは大きく飛散しながら小鈴に迫る。当たったらどうなるのかは想像したくもない。

「ふっ!!」

 小鈴は高く跳躍して黒い液体を躱した。そして空中で一回転すると、片方の足を延ばして踵落とし(・・・・)の体勢となった。

『……!!』

「炎帝降龍脚!!」

 炎を纏った踵落としをイカ男の『頭』に叩き込んだ。打撃の力で頭を潰されたイカ男は駄目押しの炎で身体ごと焼き尽くされて消滅した。これで前衛の2体は倒した。後は……

『グハァッ!!』

 アリシアの神聖弾によって丁度後衛の最後の一体が撃ち抜かれた所であった。神力に浄化されて消滅していくプログレス。これで5体全部倒せた。


「お疲れ様。いい腕ね」

「ふ、お前もな。どうもここにはこれ以上の敵はいないようだな」

 互いに武器を収めて息を吐く2人。他に敵がいれば今の戦いの最中に必ず乱入してきていたはずだ。

「……となると……さっさとこいつを破壊しちゃいたいわね」

 今この時も禍々しい魔力を噴き出し続けている黒いモノリス、『要石』。これがこの東京を汚染(・・)している原因になっているのは間違いない。

「そうだな。手早く済ませてしまおう」

 アリシアも頷くと2人で並んで要石の前に立った。そして神力を練り上げていく。

『神聖砲弾!』

『炎帝爆殺陣!!』

 充分に神力を乗せた大技をモノリスに向かって叩き込む。すると……

「……! あ……!」

 闇を固めて作ったような長方形に白い亀裂(・・・・)が走った。その亀裂はどんどん大きく広がっていき、やがてモノリス全体を覆った。そして次の瞬間、内側からの圧力に耐え切れなくなったかのように粉々に弾け飛んだ!


「こ、これで破壊できたの?」

 庇っていた手を下して恐る恐る確認すると、アリシアは躊躇いなく首肯した。

「うむ。その証拠にお前にも分かるだろう? 周囲の空気が変わった事が」

「あ……魔力が……」

 この辺り一帯を覆っていた不快な魔力の靄が消えていた。どうやら成功したようだ。

「だが『要石』は他にもあるようだ。引き続き探索と破壊を行っていくとしようか」

「そ、そうね。天馬達には報せなくていいのかしら、要石の事?」

「そうだな。ペラギアなら恐らく『要石』の事も知っているはずだが、テンマやミネルヴァ達の班には一応報せておくか」

 アリシアは携帯を取り出しながら頷いた。こうして『要石』の一つの破壊に成功した小鈴達は、そのまま担当区域内にある他の『要石』も破壊すべく探索を再開するのであった。
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