第9話 多文化団欒

文字数 5,889文字

「どうせなら夕食も私が作るわ。余ってる食材は沢山あるし」

 というラシーダの申し出に天馬達も最初は遠慮する。

「いや、でもいきなりだし3人もいるし大変じゃ……?」

「気にしなくていいのよ。ここ何年も1人の食事が当たり前だったから、むしろ賑やかな食卓の方が楽しみなくらいよ。ましてや自分ではなく他の誰かのために料理を作るなんて生まれて初めてかも知れないし」

 ラシーダはそう言って笑う。その姿は特に無理をしたり嘘をついているという様子はない。本心から言っているようだ。それを悟って天馬達も安心して世話になる事にした。

「そうか……そういう事なら遠慮なくご馳走になるぜ」

 天馬も小鈴達も同意したことで、今夜の夕食は久しぶりに外食ではなく家庭の手料理を食べる事になった。


「決まりね。何かそれぞれの国の文化や宗教関連で食べられない物なんかはあるかしら? もしくは単純に嫌いな物なんかは?」

「いや、俺は特にそういうのは無いが……そうだな、極端に辛い物とかでなければ基本何でも大丈夫だと思うぞ」

 天馬は一応密教系の寺育ちだが、特に戒律等に縛られた生活はしていなかった。父である戒連が鬼神流の修行に際して制約を課していた物はあったが、それは宗教とは関係のないものであった。

「私も一応道教を信仰してるけど、特に禁忌とかはないわね。辛い物はむしろ大好物だし何でも来いって感じよ」

「あ……す、すみません。私の家系はヒンドゥー教徒なので牛肉は食べられないんです」

 小鈴は特に問題なしだったが、シャクティは少し恐縮したように答える。インドというとヒンドゥー教というイメージがあるが、実際にはイスラム教やキリスト教を始め多種多様な宗教が信仰されている。

 しかしやはり最もメジャーな宗教はヒンドゥー教であり、インドの人口の半分以上を占めていると言われる。シャクティの家もその例外ではなかったようだ。そしてヒンドゥー教では牛は聖なる動物とされており、食べる事は勿論屠殺も禁止されているのだとか。だからヒンドゥー教徒の多い都市などでは、放し飼いの牛が闊歩している光景も珍しくなかったりする。

「ああ、そうだったわね。気にしなくていいわ。私もそれほど敬虔とは言えないけど一応イスラム教徒だから豚肉は食べられないし。やはり幼少時からの習慣って大きいわね。じゃあ今日は鶏と魚料理で決まりね」


 ラシーダは言葉通り気にした様子もなく微笑むと、早速食事の支度に入る。一応花嫁修業(・・・・)の一環として料理も出来るらしいシャクティはラシーダの手伝いを申し出る。ラシーダも4人分の食事を作るのは初めてという事で、喜んでその申し出を受けてくれた。

 一方小鈴は食い気はあるが自分で作るのは苦手らしく、天馬と共に食卓の準備を担当した。

「……中国じゃ余程の田舎でない限り外食が中心で、あまり家庭で食事をする習慣がないのよ。別に私が殊更料理が出来ない訳じゃないからね?」

 別に誰も何も言ってないのに念を押してくる小鈴。中国では料理は家庭で作るものというより、一種の専門的な職人扱いであるらしい。

 天馬は実家暮らしの男子高校生ではあったが、父親と交代で食事の支度はしていたので自炊程度なら問題なくできた。だが別段料理が好きな訳でもないので、ここは他人が作ってくれた物を美味しく頂く事にする。


「さあ、お待たせ。どうぞ召し上がって。お口に合うといいけど」

 それから1時間ほど経っただろうか。ラシーダとシャクティが出来上がった夕飯を食卓に運んできた。まずは前菜に豆やゴマをすり潰して作られたペースト状の料理。それから野菜や豆類などをふんだんに使ったサラダと野菜スープが続く。

 そしてナスと鳥の挽肉をトマトソースで煮込んだメサアアという鶏料理。同じくトマトソースに卵と挽肉を和えてオーブンで焼いたシャクシューカという料理も香ばしい匂いを漂わせて食欲を誘った。
 
 それだけでなくこんがりと焼けたパンと、ナイル川で獲れる淡水魚を調理した魚料理もある。エジプトはナイル川だけでなく地中海と紅海にも面しており、砂漠の国というイメージと異なりかなり魚介類が豊富に獲れるのだとか。

「ごめんなさいね。やはり人数が多いと加減が解らなくて。でもシャクティさんが沢山作っても構わないというので……作り過ぎちゃってないかしら?」

 ラシーダがやや心許なげに天馬達に問うが、天馬も小鈴も初めて見る異国の大衆料理に視覚と嗅覚を占有されており、早く食べてみたくて勢いよくかぶりを振った。

「いや、俺達は育ち盛りだから食欲は問題ないぜ」

「ええ、それに中国ではむしろ客人が食べきれないくらいの量を出すのが礼儀なの。だから作り過ぎは大歓迎よ」

 2人の反応に目を丸くしたラシーダだが、すぐにその顔が微笑に変わる。

「自分の作った料理が誰かに喜んでもらえるのって、こんな嬉しいものなのね。良かったわ。それじゃ食べるとしましょうか?」


 4人で座って食卓を囲む。天馬はいつものように「いただきます」の合掌だ。寺育ちだけあってこの辺りはしっかりと習慣づいている。シャクティとラシーダもそれぞれの宗教による食前の祈りを捧げている。小鈴だけは特に何もせずにいの一番に料理に手を付け始めていた。

 日本を出て外国人と一緒に旅をするようになってしばらく経つ天馬だが、特に食事に関してはそれぞれの国の宗教や文化の違いが明確に出て面白いと感じていた。これだけ色んな国や宗教の人間が一つの食卓を囲むという事自体極めて稀だろう。今はいないがアリシアもどんなファストフード店で食べる時も必ず神への祈りを捧げていた。

 イスラム教やヒンドゥー教は見る限り、食事へのマナーというか作法に宗教観が根付いているように見えた。シャクティもそうだし、ここではラシーダも右手のみで食事をしていて、左手はよほどの事がない限り使おうとしなかった。

 彼女らによると左手は悪魔が宿る不浄の手であるそうだ。その代わり何か汚いものを持ったりトイレの後始末をするのは全て左手で行うのだとか。この辺りの概念はイスラム教でもヒンドゥー教でも共通しているようだった。

「その『いただきます』というのはどういう意味なの? 誰に対して祈りを捧げているの?」

 と今度はラシーダに聞かれる。天馬は肩を竦めた。

「そうだなぁ。まあ特定の神とか誰かにっていうよりは、基本的には『命を頂く』ことへの感謝を捧げてるという感じだな」

「命を頂く?」

「ああ。どんな食べ物も基本的には元は何かの命だった訳だろ? つまり俺達は常に他の命を殺して、その命を食べる事で生きてるんだ。そういう森羅万象に感謝するって考え方が日本にはあるんだ。「いただきます」ってのもそこから来てるのさ。もっとも勿論単に作ってくれた人への感謝の気持ちってのもあるがな」

「へぇ……そういう考え方もあるのね。『命を頂く』、か。いいわね、そういうの」

 キリスト教もイスラム教も基本的には毎日の糧を得られる事を神に感謝するという考え方が普通だ。そこに犠牲になる命に対する感謝はない。まあ結局は殺して食べる事に変わりはないので、どちらが良い悪いという話でもないが。


「皆難しい事考えながら食べてるのねぇ。美味しい物を食べたいから、お腹が減ったから食べる。ただそれだけの話でしょ。所詮人間だって動物なんだからシンプルでいいのよ、こういうのは。作法だ感謝だ気にし過ぎてたら、折角の食事が楽しめなくなっちゃうでしょ。あ、このシャクシューカっていうの凄く美味しいわね!」

 物凄い勢いで料理を平らげながら忌憚ないドライな意見を言うのは小鈴だ。アリシア程ではないが彼女もかなりの大食漢だ。

 皆が呆気に取られたように彼女に注目するが、やがてシャクティが破顔する。

「ふふ、シャオリンさんの言う通りかも知れませんね。互いの文化や宗教、価値観など違っていて当たり前。それを気にするよりも、今は目の前のこの美味しい食事を素直に楽しむべきでしょうね」

「シャクティさん……ふふ、そうね。私も久しぶりの客人に少し浮かれていたようね。これだけ美味しそうに食べてくれると作った甲斐もあるというものだわ。さあ、まだおかわりもあるから遠慮なく食べて頂戴」

 ラシーダも苦笑してかぶりを振ると、後はもう食事だけを楽しもうという雰囲気になった。

「そうだな。じゃあお言葉に甘えて俺も遠慮なく頂くぜ。俺はこのメサアアって奴が好きだな。これは何の挽肉を使ってるんだ?」

「それは七面鳥の肉ね。割とどこでも手に入る食材だから安くて沢山作れるのが魅力よ」

 以降は他愛のない話をしながら和やかに食事は進んでいった。 




「ふぃー……意外と食っちまったな。まあ実際美味かったんだけど、お陰で腹が一杯だぜ」

 食事を終えてその日の夜中。エジプトは赤道に近いので日が沈むのも早い。湿度が低く乾燥した気候で木々なども少ない環境では、夜になると日中の灼熱ぶりが嘘のように肌寒くなる。

 だが日本の高地暮らしだった天馬からすると、むしろこれくらいの気温の方が過ごしやすいくらいだ。

 小鈴達は旅や戦いの疲れもあって既に寝室で寝入っている。天馬は腹がこなれてから適当に寝ると言って、家の屋上部分に上がって1人で夜風に当たって涼んでいた(この辺りの地域の家は平屋が多く、屋上に出れる構造になっている建物が多かった)。

 マフムード達が夜襲を掛けてこないとも限らないので、その見張りの意味もあった。


「…………」

 夜空を見上げると、日本の夜空と殆ど変わらない星々の輝きと大きな月が見えた。当然だ。見上げるこの広大な空は全て繋がっているのだから。

(茉莉香……もう少しだけ待っててくれ。必ず迎えにいくからよ)

 日本で同じ空を見上げているかも知れない大切な存在の顔を思い浮かべる。彼はこうして事あるごとに茉莉香の姿を思い浮かべ、あの日本での別れを思い起こし、必ず彼女を救出してウォーデン共を滅ぼすという決意を新たにし続けていたのだ。

 彼が小鈴やシャクティから向けられる好意を自覚しながらもそれを受け入れる事が無いのは、勿論捕らわれた茉莉香の件があるからだった。

 その時、屋上の戸が上げられる音がした。


「……御邪魔だったかしら?」

「……! いや、別に構わないさ。アンタの家だし好きにしたらいい」

 新たに屋上に上がってきたのはラシーダであった。天馬が肩を竦めると、彼女は天馬の隣に腰を下ろした。

「今日は御馳走様。久しぶりに外食じゃない美味い飯を食えた気がする。あんたのお陰だ」

「……! そんな……いいのよ、これくらい。美味しいと言ってくれて私も嬉しいわ。それに奴等から守ってもらってるんだから、このくらい当然よ」

 ラシーダはそう言って微笑むと、天馬と同じ夜空を見上げた。その美しい横顔はアラブ系のエキゾチックな魅力も相まって大人の色香に溢れるもので、また外国人である天馬達しかいない環境だからかムスリムの女性にしては薄着で、メリハリのある女体が強調されていた。

 天馬は何気なくその横顔を見て、不覚にも少しドキッとしてしまう。今の今まで茉莉香の事を考えていたというのに、目の前の美女を意識してしまった自分の浅ましさに天馬は軽い罪悪感を覚える。

 だがこれは男であればどうにもならない事象ではあった。それほどに月明りに照らされたラシーダは美しかったのだ。


「ねぇ……あなたもそのディヤウスなのでしょう? ならあなたにも奴等と戦う強烈な動機があって覚醒したのよね? あなたが旅立った切っ掛けを教えてくれない? 勿論差し支えなければだけど」

 妙に天馬に密着しつつそう断りながらも、彼女の目には抑えきれない好奇心が浮かんでいた。小鈴達に聞く事も出来ただろうが敢えて彼に直接聞きに来たのは、面白半分ではないという彼女なりの誠意の表れであろう。

 天馬は嘆息した。どのみちこれから彼女にも仲間になってもらわねばならないので、ある程度こちらの事情も話しておいて差し支えないだろう。

「ああ、まあ……奴等に家族や友人達を殺された上に、大切な人(・・・・)も奪われた。俺は何があっても必ず彼女(・・)を助け出してみせる」

「……! あなたのその……『大切な人』を助ける為に私の力も必要という事?」

「そういう事になるな。勿論邪神を斃してこの星を救うってのが最終的な目標みたいだが、そんなスケールのデカい話よりもまず俺にはアイツを助け出す事の方が優先なんだ」

「…………」

「幻滅したか? 他の女を助け出すっていう個人的な目的の為にアンタを仲間にしようとしてるのは事実だ。もしそれに納得が出来ないってんなら――」 

「――やるわ。あなたの仲間になる」

 天馬の言葉を遮るようにラシーダが発言する。天馬は少し目を瞬かせた。


「あなたが私を利用するつもりであったとしても構わないわ。私だって自分が助かりたいために、ああしてあなた達のご機嫌(・・・)を取っていたんだから」

「へっ……なるほど。持ちつ持たれつってやつか?」

 天馬は口の端を吊り上げた。ラシーダも妖艶な微笑みを浮かべる。

「そういう事。あなたがリーダーで一番強いようだから、本当は自分の身体(・・・・・)を餌にあなたに取り入る事も考えてたんだけど、ギブアンドテイクという事ならその必要もなくなったわね」

 あっけらかんと白状するラシーダ。一見すると悪女的な反応に見えるが、別にそもそも黙っていれば解らなかった事を正直に吐露している事自体が、彼女のある意味での誠実さと言えた。色仕掛け的な事を考えていたのは事実かも知れないが、それを止めた理由はギブアンドテイクだからではなく天馬の事情(・・)を聞いたが故とも考えられる。

 天馬は咄嗟にそこまで思い至ったが、わざわざ悪女を演じている(・・・・・)相手に敢えてそれを指摘するような愚は犯さない。彼自身も敢えて露悪的な笑みを浮かべる。

「へ、正直に言ってくれて助かるぜ。俺としてもその方が気兼ねが無い。ちゃんとディヤウスに覚醒してくれて、俺達の目的に協力してくれれば他には何も言う事はないぜ」

「ふふ……じゃあ取引成立ね?」

 ラシーダは笑みを深めてから立ち上がった。天馬は特に立ち上がる事もなく肩をすくめる。


「じゃあ私ももう寝るけど……あなたも程々にね?」

「ああ、解ってるよ。……おやすみ」

「……! ええ、おやすみなさい」

 ラシーダは一瞬反応してから小さく呟いた。そして家の中に戻っていった。天馬はそれを視線だけで見送ってから溜息を吐いた。ラシーダのような大人の美女に言い寄られて、彼も内心では平静を保つのに苦労していたのだ。

 今夜は長い夜になりそうだった。 
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