第1話 天馬と茉莉香

文字数 4,404文字

 日本のほぼ中央に位置する長野県。その県内では最も栄えている松本市。だが街から一歩外れるとそこには、近くに都市がある事が信じられないほど鬱蒼とした山々とそれを覆う森が広がっている。

 そんな山奥の森の只中。旅行者やインフラ業の者さえ殆ど立ち寄らないような森の奥に、一軒の寺が建っていた。造りはかなり古いが山中にある為か、敷地はかなり広くその年季を感じる佇まいも立派な寺であった。

 大きな正門には【暁国寺(ぎょうこくじ)】という名前の書かれた立て札が据え付けられていた。

 その暁国寺の本堂。広い板の間の奥にはこの寺の本尊である不動明王像が鎮座している。その巨大な明王像が睨み下ろす先、本堂の板の間では現在2人の人物が木刀を構えて向き合っていた。

 1人はこの寺の住職と思しき禿頭の壮年男性。もう1人はそれよりは大分若い、恐らく高校生くらいの年代の若者であった。こちらは当然というか禿頭ではなく若者らしい短髪であった。

 だが髪型や年齢の違いを除くと2人の顔や雰囲気はどことなく似通っており、恐らくは親子であると思われた。


「ふふふ、よいな、天馬(てんま)? 今日こそ私を破ってみせい!」

 父親である住職が何故か嬉しそうな表情でそう言うのを、息子――天馬は対照的なうんざりした表情で受ける。

「破ってみせろって嬉しそうに言う台詞か? 俺が親父に勝てる訳ないだろ」

「何を言うか! 私の目は節穴ではないぞ!? お前は才能を隠しておるな!? 今日こそそれを暴き出してやる!」

「いや、隠してねぇから……うおっ!?」

「問答無用! 構えぃ!」

 天馬がまだ喋っている途中にも関わらず、いきなり木刀を打ち下ろしてくる住職。息子相手にも全く容赦のない一撃だったが、天馬は不意打ちに驚きながらもその奇襲を躱した。住職は再び会心の笑みを浮かべると、言葉通りの問答無用で追撃を仕掛けてくる。

「マジかよ、クソ親父!」

 天馬は毒づきながらも木刀を喰らっては堪らないので、否応なしに応戦せざるを得ない。住職はあらゆる角度から木刀を斬り込んでくる。そして正確な態度とは裏腹に正確な剣捌きでそれを受ける天馬。

 2人の剣術は明らかに日本で一般的に普及している、いわゆる剣道とは異なる立ち回りであった。巧みな虚撃(フェイント)を交えた連撃。明らかに急所を狙う一撃。動き回りながら相手の死角を取ろうとする挙動。

 それらは明らかに実戦(・・)を想定した動きであり、剣術であった。

 天馬は父親の足を狙って木刀を薙ぐ。足の甲に木刀が当たれば凄まじい痛みで戦闘が続行できなくなる。そう踏んでの一撃であったが……

「甘いわっ!」

「……!」

 住職は何とその場で跳躍(・・)した。天馬の頭の高さ辺りまで跳び上がるような、人間離れした跳躍であった。思わず目を瞠る天馬。そこに住職が跳躍の勢いも利用して木刀を打ち下ろしてきた。

「くっ!?」

 天馬は咄嗟に自身の得物でそれを受けるが、重力も加味された打ち下ろしは凄まじい威力で、衝撃の余り木刀が手から離れてしまう。

「ふんっ!」

 着地した住職が武器を失った息子の脳天に木刀を打ち下ろし……衝突の寸前で止めた。勝負ありだ。天馬はホゥ……と息を吐く。


「ふぅ……脳天かち割られるかと思ったぜ」

「むぅ……そう思うならもう少し真剣に防がんか」

 勝ったというのに不満そうな住職。彼は息子が実力を隠していると思い込んでいるのだ。

「よく言うよ。親父が強すぎるんだっつーの」

 今まで何度も繰り返したやり取りにうんざりしながら答える天馬。だが彼は自分に隠された才能があるかどうかは知らなかったが、少なくともこの稽古を真剣にやっていないのは確かであった。




 朝の山中を凄まじい速度で駆け降りていく一つの影があった。松本市内にある私立校の制服に身を包んだ男子高校生。それはつい1時間ほど前まで父親と早朝稽古に励んで(?)いた住職の息子……小笠原天馬であった。

 彼は鞄を肩に掛けたラフな格好で、道なき悪路とは思えない速さで山の中を駆け下りていく。

「……全く、親父にも困ったモンだな。いい加減、俺にあの古臭い剣術や武術の跡を継がせようとするのを諦めてくれりゃいいのに」

 森の木々を器用に掻い潜りながら天馬は溜息を吐いた。彼の家である暁国寺は、古くは戦国時代の頃から独自の武術を奨励、昇華させて、その地の大名と契約を結んで、様々な裏の仕事(・・・・)を担ってきたらしい。

 当時は需要も多く隆盛を誇っていただろう事は、あの無駄に広くて立派な境内から窺える。だがグローバル化した現代、少なくとも日本は至って平和であり、そのような物騒な武術の需要などあるはずもない。

 世の流れとして当然の如く廃れた暁国寺の武術だが、今この現代になっても寺を継いだ住職の家系に細々と受け継がれてきたのだ。現在の住職……即ち天馬の父親である小笠原戒連はその武術【暁国鬼神流】の第34代伝承者であった。そして天馬を第35代にしようと目論んでいる。

 暁国鬼神流はベースは今朝の稽古のように一刀流の剣術だが、他にも実戦ではその場にある様々な物を使って臨機応変に戦える必要があるとの理念から、槍術、棒術、短刀術、果ては鉄鎖術まで多種多様な戦闘術が含まれている。それだけでなく最後に頼れるのは己の肉体だという事で、格闘術も訓練する。


 幼い頃からそんな環境で育ってきた天馬は、父親のスパルタ教育の賜物?で強制的に暁国鬼神流の武術を身に着けさせられたが、幼い頃からやっている割には……いや、幼い頃からやっているからこそ、天馬はこの武術が大嫌いであった。

「そもそも今の時代にこんな武術身に着けて何すりゃいいんだって話だよな。そんなモンより俺はもっと若者らしい事がやりたいんだよ」

 いわゆる普通の生活に憧れていた。小中学校の頃は親の干渉が強くて、そういった普通の学校生活を中々送れなかった。だが高校生になってようやくある程度自由になったのだ。

 色々遊びたいし、友達と他愛ない談笑をして過ごしたいし、そして何より()がしたかった。

 恋がしたいと思うと、決まって思い浮かべるのは1人の少女の顔であった。昔はただの友達としか思っていなかったのだが、最近は彼女(・・)の顔を見るだけで少し胸に息苦しい感覚を覚えた。



 天馬が通うのは松本市内にある私立の進学校であった。今日は夏休みが終わって二学期の初日である為に、体育館で全校生徒が集まっての始業式があった。

 演壇では1人の女生徒が生徒たちを前にして始業の挨拶をしている。この学校では始業式に教師だけでなく必ず生徒会長の挨拶があるのが特徴だった。生徒たちは皆、教師の話などより余程真剣に、あるいはうっとりとした目で、壇上で喋る生徒会長を見つめていた。

「はぁ……やっぱりいいよなぁ、神代会長」

「ああ、超美人な上に成績もトップクラスで、更にスポーツも万能。天は二物を与えずって嘘だよなぁ」
「いや、でも聞いた所によると歌と料理は壊滅的らしいぜ。まあそんな所も逆に愛嬌があっていいんだけどよ」

 級友の男子生徒たちが小さな声で喋っている。彼等の意見には概ね賛成だ。現生徒会長の神代(かみしろ)茉莉香(まりか)は、全校生徒の憧れや思慕の対象であった。そして……天馬にとっても想い人(・・・)であった。


*****


 始業日は午前中のみの登校であった。父の戒連からアルバイトは禁じられているせいで(バイトしてる暇があったら鬼神流の修行に精を出せ! とのお達しだ)やる事が無い天馬は、級友たちと挨拶して別れると溜息を吐きながら寺への帰路につく。

「…………」

 帰路の途中、天馬は自らの後を尾行(・・)してくる気配に気付いた。彼は嘆息すると歩調を早める。すると尾行している者も追随するように速度を上げる。

 走り出す。すると尾行者も走り出した。幼い頃からの荒行で卓越した身体能力を持つはずの天馬が、その尾行者を引き離す事ができない。

 天馬は寺がある山の中に入り込み、そのまま道を外れて森の中を駆け上っていく。すると驚いた事にその尾行者も躊躇う事無く森に入り込んで、天馬と全く同じ速度を維持して追随してくるのだ。いや、それどころかどんどん距離が縮まってくる!

(マジかよ……!? 嘘だろぉ!?)

 天馬は心の中で驚愕しながら必死で森を駆け上るが、やがて気配は更に距離を縮めて……


「てーーんま! 捕まえたっ!」


「……!」

 その人物は若い女性(・・・・)の声で呟くと、天馬の肩にその繊手を置いた。天馬は諦めたように足を止めてから振り向いた。

 そこには長い髪をポニーテールに纏めた美少女がいた。天馬と同じ高校の女子用制服に、片手には鞄を持っている。それは……丁度朝の始業式の壇上で見たばかりの姿であった。


「……茉莉香(・・・)、こういうのやめろって言ってるだろ」


 それは全校生徒の憧れの的、生徒会長の神代茉莉香であった。ただし学校にいる時のような完璧美少女の面影は無く、どちらかというと天真爛漫で悪戯っぽい雰囲気を纏っていた。

「だって、学校は退屈なんだもん。お父さん達からアルバイトも禁じられてるし、最近は天馬も遊んでくれなくなっちゃったし」

 学校にいる時からは考えられないような、甘えた子供っぽい雰囲気になる。天馬は溜息を吐いた。

「全く……お前が本当はこんな性格なんだって学校の奴等に教えてやりたいよ。上手く猫かぶりやがって」

「あはは! 幼馴染(・・・)の天馬の前だけだよ。こうやって伸び伸びと出来るのは!」

 あっけらかんと笑う茉莉香。彼女の言う通り天馬と茉莉香は家が近所(・・・・)な事もあって、幼い頃から面識があり幼馴染といっていい間柄であった。

「ここからなら私の家(・・・)の方が近いし、折角だから寄っていきなよ。どうせこんな時間にお寺に帰っても、戒連さんに掃除とか修行とかさせられるだけでしょ?」

「ん……? まあ確かに、そうだな。お前がそう言うんならちょっと寄らせてもらうか」

 茉莉香の家に寄る、というだけで妙にドギマギしてしまう天馬であった。先程から彼女の距離が近いのも気に掛かる。高校に上がったころから徐々にこうなってきた。原因は解っていたので、だんだん彼女を避けるようになっていたのだが、こうして実力行使(・・・・)で捕まってしまった以上仕方がない。天馬はそう自分に言い訳(・・・)して茉莉香の家に立ち寄る事に決めた。


「やった! じゃあ早く行きましょ!」

「お、おい! 引っ張るなって!」

 物凄い力で引っ張られて天馬は慌てる。先程の鬼ごっこでの驚異的なスピードと持久力もそうだが、茉莉香は小さい頃から非常に高い身体能力を備えていた。高校生になってもその能力は維持されており、男でしかも昔から修行しているはずの天馬を、生まれながらの身体能力だけで上回っているのだ。

 流石にちょっと男としてのプライドを傷つけられるのと、小さい頃から比べられてきたせいでどうせ自分には才能がないんだからどれだけ頑張っても無意味だという自虐や無気力も加わって、天馬が鬼神流の修行に熱心ではない理由の一因となっていた。
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