第18話 動き出す歯車
文字数 3,277文字
成都双流国際空港。天馬達がこの街へ来る際に利用した巨大空港だ。今また、今度はこの街から飛び立つ為にここを訪れていた。
最初にここに降り立った時は天馬とアリシアの2人だけであった。しかし今は違う。
「いよいよ成都を……いえ、中国を発つのね。私、国外に出るのって初めてなのよね。国内なら上海や西安にも行った事があるんだけど」
新たに仲間になった火の神祝融のディヤウス、小鈴の姿もそこにあった。最低限の私物だけが入ったナップサックを肩に掛けている。因みに彼女にも既にディヤウスの言語翻訳能力は伝えてあった。
「これから我等は中国を後にして、ジューダス主教が示した新たな地へと赴く事になる。故国を離れる準備は良いか、シャオリン?」
「ええ、私なら大丈夫よ、アリシア。実は外国旅行にもすごく興味があったのよ、私。言葉の問題を気にしなくていいなら、ある意味で最高の環境じゃない?」
アリシアの問いにあっけらかんと笑う小鈴。強がっているという訳では無さそうだ。因みに通っていた大学には既に退学の手続き済みであった。彼女の友人で救出された吴珊も流石に今回の件がトラウマになったらしく、これからは真面目に生きるわと言って実家がある河北省へと帰っていった。
既に小鈴にはこの国に思い残す事は何もなかった。天馬が苦笑するように頷いた。
「そうだな。尤も旅行先は自分では選べないけどな」
しかしすぐにその表情を引き締める。
「でもこれが故国との永遠の別れって訳じゃない。俺達は必ず邪神との戦いに勝って元の生活を取り戻すんだ。それで笑顔で故郷に凱旋するんだ。その心を忘れないようにしないとな」
日本の事を思う時、彼の脳裏に浮かぶのはいつも幼馴染である茉莉香の姿だ。今どこにいて、どんな目に遭っているのか。想像するだけで狂おしい焦燥に駆られるが、それを驚異的な克己心で制御しているのだ。
「ええ……そうよね。その為にも頑張らないとね」
一緒に旅をするに当たって、既に日本での出来事や茉莉香の事も小鈴には伝えてあった。今、天馬が思い浮かべているのが誰か容易に想像がついた小鈴が、何故か少し複雑そうな表情で頷く。
「シャオリン? どうした、何か気がかりでもあるのか?」
「……! あ、い、いえ、何でもないわ。さあ、もうすぐ予約の時刻になるし、早く搭乗手続きしないと!」
アリシアに怪訝な目を向けられ慌てた小鈴は、それを誤魔化すように空港の受付の方に走っていってしまう。因みに彼女の分の『パスポート』も米国聖公会から送付済みであった。
「おい、小鈴!? ……まあ予約の時刻が近いのも事実だし、俺達も行くか」
首を傾げつつも、天馬とアリシアも小鈴を追ってロビーを抜けていく。新たな地での新たな戦いが始まる。次なる地ではどんな出会いが彼等を待っているのか、それはまだ誰にも解らない……
*****
「…………っ」
薄暗い部屋の中で茉莉香 は目を覚ました。粗末な寝台とトイレ、洗面台以外には何もない刑務所の独房のような無機質な空間であった。彼女はその寝台の上で目を覚ましたのだ。
目を覚ましてすぐに状況を思い出した。そして再び軽い絶望感を覚える。
あの全てを失った悪夢の日、幼馴染の天馬とも引き離されて、あの我妻という男にこの部屋に連れ込まれて監禁された。
「生憎『王』は今、外遊 の最中でなぁ。戻ってくるまでに少し掛かるから、それまではここで大人しくしてろや」
我妻は一方的にそれだけを告げて姿を消した。それ以後あの男の姿は見ていない。ここがどこなのかも、あれから何日経ったのかも彼女には解らなかった。ずっとこの独房にいる為に時間の感覚があいまいになっていた。
看守のような男が定期的に食事を出し入れしていたので、それで時間が動いている事だけは何とか解っていたが。
ここに来た際に着ていた制服も剥ぎ取られて、裾が非常に短く袖もない粗末な着物のような服に着替えさせられている。
(天馬……)
あの日別れたままになった大切な幼馴染の顔を思い浮かべる。それだけが彼女に正気を保たせている拠り所となっていた。
そんな時間がどれくらいともなく過ぎたある日……。独房に近付いてくる複数の足音に茉莉香は気付いた。
「……!」
今まで看守が複数だった事はない。異なる事態に茉莉香は緊張に身を固くする。足音が部屋の前で止まると、鍵のかかった鉄の扉が軋みながらゆっくりと開いた。
そして黒いスーツ姿でサングラスを掛けたまるでSPのような雰囲気の男が2人、独房に入ってきた。どちらもかなり体格がいいのでそれだけで部屋が更に狭くなったように感じた。
「な、何……あなた達誰なの!?」
「……神代茉莉香。『王』が外遊からお戻りになられた。これから『王』の御前に連れて行く」
「……!! い、いや! 来ないで! 触らないでっ!」
本能的に身の危険と嫌悪感を覚えた茉莉香が抵抗を示すが、男達はどちらもあのプログレスという怪物らしく軽々と彼女の抵抗を抑え込むと、後ろ手に手錠を掛けて更に黒い布で目隠しを施した。そして強引に部屋の外へと連れ出した。
男達は物凄い力で茉莉香は全く抵抗できない。猿轡まで嵌められてしまったので叫ぶことも出来ない。為す術なく連れ回され、何か車のような乗り物に乗せられた。そのまましばらく車で走った後、車が完全にエンジンを止めて停車した。
「ここだ。降りろ」
降りろと言いつつ、半ば強引に車から引きずり降ろされた茉莉香は、相変わらず手錠と目隠しでここがどこなのかも全く分からないまま男達に連れられて歩かされる。途中でエレベーターと思しき物に乗せられて体感でかなりの高さを上がった後、再び歩かされる。
そしてしばらく歩いた所で男達が止まった。
「……失礼いたします、『王』。ご所望の花嫁 を連れて参りました」
ノックの音と共に男達の1人が言った『花嫁』という言葉に、茉莉香は怖気に震えた。しかし……
『……ああ、待ちかねたぞ。入れ』
「……っ!」
その直後、扉の奥から聞こえた男の声に、更に大きく身体を震わせる事となった。男達が扉を開け茉莉香を連れて中に入る。そして目隠しと猿轡を外した。後ろ手錠は外されなかった。
急に明るくなった視界に目を眇めるが、徐々に慣れてきて周囲の様子が解るようになった。それはまるでどこかの高級ホテルのスイートルームのような豪華な内装の部屋であった。かなり高い場所にあるらしく窓からはビルなどの街並みの先端が僅かに覗いている。
「……!」
そして……茉莉香が立っている部屋の入り口に背を向けるようにして、部屋の中央に豪華なソファーが置かれており、そこに1人の人物が座っていた。こちらに背を向けているので顔は見えない。
「ご苦労だった。呼ぶまで部屋の外に控えているように」
と、その人物がこちらを見ずに手だけ挙げて喋った。茉莉香を連れてきた男達に対する言葉のようだ。男達は特に不満や疑問もなく一礼して退室すると再び部屋のドアを閉めた。
これでこの部屋には茉莉香と男の2人だけになった。茉莉香は緊張と不安からゴクッと唾を飲み込み、後ろ手に手錠を掛けられている両手を拳に握った。
「……ようやく会えたな。天照大御神のディヤウス、そして……我が花嫁よ」
「……!!」
男がソファから立ち上がるとこちらを振り向いた。濃い藍色の仕立ての良いスーツ姿だが、少し逆立った短髪の意外と若い男であった。20代前半程に見える。
だが茉莉香はその男の顔を見て何となく息をのんだ。およそ人間らしい温かみという物をどこかに置き忘れたような冷笑を浮かべるその顔は、どんな映画俳優や芸能人も及ばないような非人間的なまでに整った容貌であったのだ。
その冷たい美貌にまるで魂の底まで見透かされるような感覚を覚え、茉莉香は再び無意識に身を震わせた。
「自己紹介が必要だな。我が名は朝香啓次郎。大日如来のウォーデン 。配下の者達は単に『王』と呼ぶがな」
『王』――啓次郎はそう言って再び薄い冷笑を浮かべる。
天馬と茉莉香。2人を取り巻く運命の歯車は容赦なく回り始めた……。
最初にここに降り立った時は天馬とアリシアの2人だけであった。しかし今は違う。
「いよいよ成都を……いえ、中国を発つのね。私、国外に出るのって初めてなのよね。国内なら上海や西安にも行った事があるんだけど」
新たに仲間になった火の神祝融のディヤウス、小鈴の姿もそこにあった。最低限の私物だけが入ったナップサックを肩に掛けている。因みに彼女にも既にディヤウスの言語翻訳能力は伝えてあった。
「これから我等は中国を後にして、ジューダス主教が示した新たな地へと赴く事になる。故国を離れる準備は良いか、シャオリン?」
「ええ、私なら大丈夫よ、アリシア。実は外国旅行にもすごく興味があったのよ、私。言葉の問題を気にしなくていいなら、ある意味で最高の環境じゃない?」
アリシアの問いにあっけらかんと笑う小鈴。強がっているという訳では無さそうだ。因みに通っていた大学には既に退学の手続き済みであった。彼女の友人で救出された吴珊も流石に今回の件がトラウマになったらしく、これからは真面目に生きるわと言って実家がある河北省へと帰っていった。
既に小鈴にはこの国に思い残す事は何もなかった。天馬が苦笑するように頷いた。
「そうだな。尤も旅行先は自分では選べないけどな」
しかしすぐにその表情を引き締める。
「でもこれが故国との永遠の別れって訳じゃない。俺達は必ず邪神との戦いに勝って元の生活を取り戻すんだ。それで笑顔で故郷に凱旋するんだ。その心を忘れないようにしないとな」
日本の事を思う時、彼の脳裏に浮かぶのはいつも幼馴染である茉莉香の姿だ。今どこにいて、どんな目に遭っているのか。想像するだけで狂おしい焦燥に駆られるが、それを驚異的な克己心で制御しているのだ。
「ええ……そうよね。その為にも頑張らないとね」
一緒に旅をするに当たって、既に日本での出来事や茉莉香の事も小鈴には伝えてあった。今、天馬が思い浮かべているのが誰か容易に想像がついた小鈴が、何故か少し複雑そうな表情で頷く。
「シャオリン? どうした、何か気がかりでもあるのか?」
「……! あ、い、いえ、何でもないわ。さあ、もうすぐ予約の時刻になるし、早く搭乗手続きしないと!」
アリシアに怪訝な目を向けられ慌てた小鈴は、それを誤魔化すように空港の受付の方に走っていってしまう。因みに彼女の分の『パスポート』も米国聖公会から送付済みであった。
「おい、小鈴!? ……まあ予約の時刻が近いのも事実だし、俺達も行くか」
首を傾げつつも、天馬とアリシアも小鈴を追ってロビーを抜けていく。新たな地での新たな戦いが始まる。次なる地ではどんな出会いが彼等を待っているのか、それはまだ誰にも解らない……
*****
「…………っ」
薄暗い部屋の中で
目を覚ましてすぐに状況を思い出した。そして再び軽い絶望感を覚える。
あの全てを失った悪夢の日、幼馴染の天馬とも引き離されて、あの我妻という男にこの部屋に連れ込まれて監禁された。
「生憎『王』は今、
我妻は一方的にそれだけを告げて姿を消した。それ以後あの男の姿は見ていない。ここがどこなのかも、あれから何日経ったのかも彼女には解らなかった。ずっとこの独房にいる為に時間の感覚があいまいになっていた。
看守のような男が定期的に食事を出し入れしていたので、それで時間が動いている事だけは何とか解っていたが。
ここに来た際に着ていた制服も剥ぎ取られて、裾が非常に短く袖もない粗末な着物のような服に着替えさせられている。
(天馬……)
あの日別れたままになった大切な幼馴染の顔を思い浮かべる。それだけが彼女に正気を保たせている拠り所となっていた。
そんな時間がどれくらいともなく過ぎたある日……。独房に近付いてくる複数の足音に茉莉香は気付いた。
「……!」
今まで看守が複数だった事はない。異なる事態に茉莉香は緊張に身を固くする。足音が部屋の前で止まると、鍵のかかった鉄の扉が軋みながらゆっくりと開いた。
そして黒いスーツ姿でサングラスを掛けたまるでSPのような雰囲気の男が2人、独房に入ってきた。どちらもかなり体格がいいのでそれだけで部屋が更に狭くなったように感じた。
「な、何……あなた達誰なの!?」
「……神代茉莉香。『王』が外遊からお戻りになられた。これから『王』の御前に連れて行く」
「……!! い、いや! 来ないで! 触らないでっ!」
本能的に身の危険と嫌悪感を覚えた茉莉香が抵抗を示すが、男達はどちらもあのプログレスという怪物らしく軽々と彼女の抵抗を抑え込むと、後ろ手に手錠を掛けて更に黒い布で目隠しを施した。そして強引に部屋の外へと連れ出した。
男達は物凄い力で茉莉香は全く抵抗できない。猿轡まで嵌められてしまったので叫ぶことも出来ない。為す術なく連れ回され、何か車のような乗り物に乗せられた。そのまましばらく車で走った後、車が完全にエンジンを止めて停車した。
「ここだ。降りろ」
降りろと言いつつ、半ば強引に車から引きずり降ろされた茉莉香は、相変わらず手錠と目隠しでここがどこなのかも全く分からないまま男達に連れられて歩かされる。途中でエレベーターと思しき物に乗せられて体感でかなりの高さを上がった後、再び歩かされる。
そしてしばらく歩いた所で男達が止まった。
「……失礼いたします、『王』。ご所望の
ノックの音と共に男達の1人が言った『花嫁』という言葉に、茉莉香は怖気に震えた。しかし……
『……ああ、待ちかねたぞ。入れ』
「……っ!」
その直後、扉の奥から聞こえた男の声に、更に大きく身体を震わせる事となった。男達が扉を開け茉莉香を連れて中に入る。そして目隠しと猿轡を外した。後ろ手錠は外されなかった。
急に明るくなった視界に目を眇めるが、徐々に慣れてきて周囲の様子が解るようになった。それはまるでどこかの高級ホテルのスイートルームのような豪華な内装の部屋であった。かなり高い場所にあるらしく窓からはビルなどの街並みの先端が僅かに覗いている。
「……!」
そして……茉莉香が立っている部屋の入り口に背を向けるようにして、部屋の中央に豪華なソファーが置かれており、そこに1人の人物が座っていた。こちらに背を向けているので顔は見えない。
「ご苦労だった。呼ぶまで部屋の外に控えているように」
と、その人物がこちらを見ずに手だけ挙げて喋った。茉莉香を連れてきた男達に対する言葉のようだ。男達は特に不満や疑問もなく一礼して退室すると再び部屋のドアを閉めた。
これでこの部屋には茉莉香と男の2人だけになった。茉莉香は緊張と不安からゴクッと唾を飲み込み、後ろ手に手錠を掛けられている両手を拳に握った。
「……ようやく会えたな。天照大御神のディヤウス、そして……我が花嫁よ」
「……!!」
男がソファから立ち上がるとこちらを振り向いた。濃い藍色の仕立ての良いスーツ姿だが、少し逆立った短髪の意外と若い男であった。20代前半程に見える。
だが茉莉香はその男の顔を見て何となく息をのんだ。およそ人間らしい温かみという物をどこかに置き忘れたような冷笑を浮かべるその顔は、どんな映画俳優や芸能人も及ばないような非人間的なまでに整った容貌であったのだ。
その冷たい美貌にまるで魂の底まで見透かされるような感覚を覚え、茉莉香は再び無意識に身を震わせた。
「自己紹介が必要だな。我が名は朝香啓次郎。大日如来の
『王』――啓次郎はそう言って再び薄い冷笑を浮かべる。
天馬と茉莉香。2人を取り巻く運命の歯車は容赦なく回り始めた……。