第10話 強制出立

文字数 3,862文字

 周囲へのアンテナを張りつつ肉体だけは仮眠を取る。このやり方はかなり小さい頃から、父親のスパルタ教育で叩き込まれていた。何か異変を察知したら即座に覚醒して臨戦態勢に移行できる。

 だが幸いというか夜が開けて空が白み始めても、結局マフムード達一味による襲撃や侵入などは無かった。しかしこのまま何事もなく済むはずがない。天馬はその確信を持っていた。だからこそ結局奇襲も何も無かった事が不気味であった。

(時間が経てば俺達が突破口を見出して、この国を脱出しちまう確率も上がっていく。わざわざ俺達に時間を与える理由はないはずだ。何を考えてやがる……?)

 相手方の真意を測りかねる天馬であったが……幸か不幸か、その答え(・・)はそう間を置かずに判明する事になる。


「……!」

 天馬の優れた聴力に聞こえてくる音があった。それは朝を迎えて動き出したルクソールの街の雑踏とは明らかに違う異質な音であった。

(これは……サイレン、か? パトカー(・・・・)の? それも一台や二台じゃないぞ? ……てか、こっちに近付いてきてないか?)

 どんな国にも万国共通で必ず存在する公的機関として警察(・・)がある。そして警察が職務遂行中に駆る公用車(・・・)の奏でる独特の音色もまた万国共通のものであった。

 天馬の気のせいではなく、大量のパトカーのサイレンが明らかに大きくなってきていた。この付近、またはラシーダの家よりも先のどこかで大きな事件でもあったのか。それならばパトカーはここをただ通り過ぎていくだけのはずだ。何も気にする必要はない。

 だが……天馬は何故か急速に嫌な予感が膨れ上がってきた。昨日ラシーダから聞いたマフムードの公的(・・)な身分が思い出された。

(あの野郎……まさか!?)

 何故マフムードが昨日一日全く仕掛けてこなかったのか、その理由(・・)が唐突に理解できた気がした。天馬は一気に覚醒すると、屋上の戸を跳ね上げて屋内に滑り込んだ。寝室では3人の女性達がまだ暢気に眠りこけていた。


「おい、起きろ! ヤバいかも知れねぇ!」

 天馬が乱暴にドアを開け放って寝室に飛び込むと、彼女らは一様に驚いて跳ね起きた。

「……ッ!? て、て、天馬!? きゅ、急にそんな大胆な……! わ、私まだ心の準備が……」

「テンマさん……! やっと私の想いを受け入れて下さったのですね!? 私、嬉しいです……!」

「あら……思ったよりも積極的なのね? うふふ、いいわ。お姉さんといい事しましょうか?」

 状況が把握できずにまだ半分寝ぼけているのか、暢気極まりない反応を返す3人に天馬は一瞬脱力しかけるが、すぐにそれどころではないと気を引き締め直す。

「馬鹿! 寝ぼけてんじゃねぇ! マフムードの奴が仕掛けてきやがった! それも完全に予想外のやり方でだ!」

「……っ!!」

 それでようやく女性陣も目が覚めたらしい。ラシーダが目を鋭くした。

「予想外のやり方ですって? どういう事?」


「大量のパトカーが近付いてきてやがる。恐らく目的地はここ(・・)だ」


「……! 警察……!? なるほど、そういう事ね。公的権力を用いてくるとは確かに想定してなかったわね」

 本来頭が切れるラシーダはすぐに状況を察したようだ。

「ああ、多分俺達があんたの護衛に付いた事で作戦を変更(・・・・・)しやがったんだ」

「ど、どういう事? 警察ですって? 私達、何も悪い事してないわよ!?」

 一方まだ事態を把握していない小鈴が目を白黒させている。

「私達が悪い事をしたかどうかは関係ないわ。問題はマフムードが公的に高い権力を持っている現役の政治家という事よ。この国では彼等が黒と言えば白も黒になるのよ」

「……!!」

 それで小鈴も状況を把握したらしい。警察権力の怖さは彼女の祖国である中国も全く負けてはいないので、すぐに実感が出来たのだろう。

「け、警察を差し向けてきたという事ですか? 部下のプログレスやテロリスト達ではなく?」

 同じように状況を把握したシャクティも顔から血の気が引いている。彼女達は勿論、天馬もこの事態は予測していなかった。

 考えてみればマフムードは大きな権力を持った公人であり、れっきとした国政政党の党首でもある。犯罪組織のボスだった鑿歯や、あくまで『政治家の息子』でしかなかったナラシンハとはその点が異なっている。

 奴は天馬達という障害を前にして、『自分の使えるリソース』を惜しみなく投入してきている。マフムードの素性を聞いた段階でこういう展開も予測しておくべきだったが、今更後の祭りだ。


「ど、どうするの!? どうしたらいいの!?」

「落ち着け! とりあえず身支度して、自分の荷物だけは準備しとけ! ラシーダ、アンタもこれだけは絶対に手放せないって物があったら今の内に持っとけ」

「……!」

 パニックになり掛かる小鈴を宥めつつ、天馬はラシーダに覚悟を決める(・・・・・・)よう促す。その意味を察したラシーダは複雑そうな表情をしつつも頷いた。

「……ここともお別れという事ね。奴等に見つかった時から覚悟はしていたわ」

 彼女はそう言って表の店舗スペースに行き『商品』を漁る。

「これと……後これもいるわね。これも役に立ちそう」

 彼女にしか分からない基準で色々な薬草の原料をピックアップして、自分の肩掛けの鞄に詰め込んでいく。それが終わると店のカウンター内にある棚を探って何かを取り出した。

「後は……この子(・・・)だけね」

「……! それは……()、か?」

 ラシーダの手に握られているのは、長い帯状になった動物の皮をなめして、幾重にも束ねて作られたと思われる、丈夫そうな鞭であった。因みに鞭というと中国に伝わる打撃武器である『(べん)』を指す事もあるが、この場合は世間一般にイメージされる長帯の得物であった。

 丸めた状態で握られているので正確な長さは解らないが、全部伸ばすとざっと3、4メートルはありそうな長さだ。


「ええ。刃物を持つ事が許されなかった私が子供の頃から扱えた唯一の護身具(・・・)。先のカルナック神殿では、偶々この子を持っていなかったのよね」


 その自信ありげな口調からすると、かなりの腕前なのかも知れない。尤もどれだけの腕があったとしても、まだディヤウスになっていない身でプログレスに襲われたら一溜まりもなかったであろうが。

 と、居間からシャクティが慌てた様子で顔を出した。


「テ、テンマさん! 警察が来ます! やはりここに向かってきているようです!」

「……! 来たか。裏にマフムードがいるとしたら、捕まったら何されるか解らん。と言っても恐らく何も知らない普通の人間だろう警官達を殺す訳にも行かない。ここは逃げの一手だな」

 咄嗟ではあるが素早く方針を決める。

「固まってると目立つし、警察にも見つかりやすくなる。ばらけて警察を撒きつつ、この街から脱出するぞ。この国から無事に抜け出せりゃ、もうマフムードも手を出せなくなるはずだ」

「で、でもカイロの空港はこの前のテロ騒ぎで閉鎖されてるはずよね? そうじゃなくても相当厳重に警備されてるはずだし……奴等に見咎められずに飛行機に乗るのは難しくない?」

 小鈴が疑問を呈するが、それにはラシーダが答えてくれた。

「別に空港だけがこの国を出る手段じゃないわ。いっその事このままナイル川を南に下っていって、スーダン(・・・・)に抜けてしまった方が良いかも知れないわ。勿論街道は検問があるけど、国境は広いし監視は穴だらけだしで、あなた達の腕ならいくらでもすり抜けて入り込めるはずよ」

「で、でもそれって密入国(・・・)になっちゃいませんか? 色々と問題があるんじゃ……」

 シャクティが情けなさそうな表情になる。世界中を旅して観光したい彼女からすると不本意な展開だろうが、マフムードの息がかかった警察に捕まるよりはマシだ。

「まあその辺りは出たとこ勝負だな。今からあれこれ考えても始まらねぇ。何なら聖公会に連絡すりゃ偽のビザくらい送ってくれるかも知れねぇしな」

 それがあながち冗談とも言い切れないのが聖公会の怖い所だ。アリシアの所属している宗教組織は相当に真っ黒だ。

「とりあえずこの街を脱出したら、南にあるエドフで合流すべきね。そこなら空港があるから国内便で国境近いアブシンベルまで飛んでしまえば、後は徒歩でも国境を越えられるはずよ」

 色々不安要素は大きいが、考え出したらキリが無い。こうしている間にも武装警察の部隊が迫っているのだ。天馬は頷いた。


「よし、それで行こう。考えてる時間はねぇ。とりあえず俺達3人はバラけるが、まだ覚醒してないラシーダは俺と一緒に行くぞ」


「解ったわ。宜しくお願いね?」

 ディヤウスに未覚醒のラシーダは普通の人間とほぼ変わりない。ならば3人の中で最も戦力の高い天馬が付くのが配分としては最適だろう。頭ではそれを解っているが、気持ち的にはやや納得のいかない部分がある小鈴とシャクティだったが、幸か不幸かそれを問答している時間も無かった。

 天馬達は無事の再会を約束し合うと、ディヤウスの身体能力を駆使して雑踏や建物の陰に紛れるようにして姿を消していく。

「よし、俺達も行くぞ」

「ええ……そうね」

 小鈴とシャクティが先に出発したのを見届けてから天馬がラシーダを促す。彼女は一度だけ、自分が家族の呪縛から解き放たれて暮らしてきた、店舗と家が一体になった建物を振り返った。

 ここでの数年間が彼女にとってはある意味で『本当の人生』であったのだ。だがそれをまた捨てなければならない。

「……行きましょう」

 そして未練を断ち切るようにかぶりを振ったラシーダは天馬に連れられて、数年間暮らしてきた『家』を後にしていった……
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