第16話 シャクティの決意

文字数 4,768文字

 視線を巡らせると、天馬はまだ4本腕の敵と戦っていた。天馬自身が重傷を負っていて不調なのと、あの4本腕はシャクティが倒した長腕男より手強いように思えるのとで、手こずっているようだった。

 彼に加勢しようとシャクティは、4本腕の背中に向けてチャクラムを投擲しようとするが……

「……ッ!!」

 側面から迫る気配、そして殺気。彼女に向かって振り下ろされたダガーによる奇襲をシャクティは辛うじて回避した。

「……! 今のを避けますか。どうやら完全にディヤウスとして覚醒してしまったようですね」

「アディティ……!」

 彼女が信頼してきたメイドにして友人でもあったはずの女性。だがその姿は偽りであったのだろうか。

「アディティ、何故こんな事を!? 私達、友達だったはずでしょ!?」

「友達……? そう思っていたのはあなただけですよ」

 アディティはその表情の乏しい顔を冷笑に歪める。

「私はあなたが嫌いだった。いえ、憎かったと言っても過言ではありません。あなたに近づいたのは最初からこの時の為だったのですよ」

「な、何故……!? 私があなたに何をしたと言うの!?」

 シャクティからすれば当然の疑問。どう考えても理不尽であった。ここまで恨まれるような事をした覚えはない。


「許せないんですよ……。同じ父親(・・・・)を持ちながら、母親の身分が違うというだけでプラサード家の令嬢になれたあなたがね」


「…………え?」

 シャクティは一瞬聞き間違いかと思った。だがそれを悠長に聞き直している暇はなかった。アディティがダガーを構えて襲いかかってきたからだ。凄まじいスピードにシャクティは目を瞠る。

 ダガーが連続で斬り付けられる。シャクティは大きく飛び退ってそれを躱す。

「ア、アディティ……!? これは……まさかあなたも!?」

「そうですよ。死と破壊の女神バイラヴィの力を授かったのです! 貴女を殺したくて堪らない私にとってはピッタリの力だと思いませんか?」

「……!」

 こんな力を持っていて、誘拐の時にむざむざ誘拐犯達に気絶させられるはずがない。誘拐犯達と結託していたのは運転手だけではなかったという事だ。


 シャクティは何とか距離を離そうとするが、アディティは速い身のこなしで距離を詰めて突き放させない。彼女の武器は二振りのダガーなので近接戦は明らかのアディティが有利だ。シャクティもチャクラムで戦えない事はないが、近接戦闘を得意とするらしいアディティ相手には分が悪い。

 シャクティは自分の力は接近戦より、チャクラムを投擲する中~遠距離での戦いに向いている事を悟っていた。

 アディティのダガーが容赦なく煌めく。シャクティは辛うじて回避するが、完全には躱しきれずに服が切り裂かれ、小さなかすり傷を刻んでいく。

「く……う……!」

「ふふふ、痛いですか、お嬢様? あなたも下々の人間の痛みや苦しみを味わってみるべきですね。そうすれば下らない(・・・・)悩みなどすぐに忘れて、ご自分の立場や環境に感謝するようになりますよ!」

「……!」

 彼女はシャクティの『友人』として、その悩みを誰よりもよく知っていたはずだ。それを下らないなどと一蹴されて、シャクティは悲しげに顔を歪めた。確かに彼女の立場にいない……それも貧しい身の上の者からすれば、下らない贅沢な悩みと写った事だろう。

 だが他人には下らなくとも、シャクティにとっては己の人生とアイデンティティに関わる重大な問題であったのだ。 

「下らなくなんてないわ……!」

 シャクティはチャクラムを握ったままアディティに反撃する。だが付け焼き刃の接近戦ではアディティに敵うはずもなく、簡単に避けられて再び攻勢を許してしまう。

「く……!」

「どうしました、お嬢様? 折角ディヤウスの力を得たというのに無様ですね! このまま私に殺されて楽になっておしまいなさい。そうすればもうこれ以上何も悩まずに済みますよ」

 防戦一方となるシャクティを嘲笑い、アディティが増々攻撃の速度を上げる。シャクティの中に焦りが生じる。アディティを引き離す事ができない。このまま張り付かれると遠からず致命的な一撃を貰ってしまうだろう。

 だが咄嗟に打開策が浮かばない。シャクティにとって初めての実戦であり、この状態を独力で打破するには余りにも経験が不足していた。

 そのまま何も出来ずに追い詰められたシャクティは、アディティの容赦ない追撃の前に遂に足を滑らせて大きくバランスを崩してしまう。

「……っ!」

 致命的な隙だ。そして当然それを見逃すようなアディティではない。彼女の目が剣呑に光る。

「終わりです、お嬢様!」

 アディティが哄笑しながら身を屈めるようにして肉薄。そのダガーを躊躇いなくシャクティの心臓に突き入れようとして――


「ふっ!!」

「……!」

 ――その寸前で救援に入った天馬がアディティに向かって刀を振り下ろし、彼女は舌打ちしながらそれを躱して飛び退った。

「テ、テンマさん!」

「よう、シャクティ。待たせちまって、悪かったな。今までよく頑張ったな」

 その顔を喜色に輝かせるシャクティに、振り返らずにアディティを睨みつけたまま労う天馬。実際に彼女は十分よくやってくれた。プログレスを1人で倒し、尚且アディティも引き付けてくれていたのだから。


「……ナラシンハ様にやられたその傷でプログレスを倒しますか。やはりあなたは危険すぎますね。この場で確実に息の根を止めさせて頂きます。幸い今なら私でもあなたを殺せるでしょうから」

 天馬が倒した4本腕の死体にチラッとだけ視線を投げてからアディティがかぶりを振った。そしてダガーを構え直して殺気を放つ。

「来るぜ。正面は任せろ。アンタは中距離から奴の隙をついて攻撃するんだ。もう躊躇いはないだろ?」

「は、はい!」

 万全の状態ならともかく今の天馬ではアディティの言う通り、彼女を抑えきれない可能性が高い。ならばここは役割分担を明確にして戦う必要がある。多人数である事の強みを活かすのだ。シャクティもこの期に及んでは戦うしか無いと覚悟を決めたのか、神妙な表情でうなずく。

「ふっ!」

 アディティが地を這うような低い姿勢で突進してきた。天馬はリーチを活かして先制攻撃で刀を突き下ろす。しかしアディティはまるで蛇のような動きで天馬の刀を躱すと反撃にダガーを煌めかせる。

「ち……!」

「天馬さん、あなたの強さは大した物ですが、流石にその状態ではいつもの力は発揮出来ないようですね!」

 精彩を欠く天馬の攻撃を躱したアディティは哄笑しながら、次々と反撃を繰り出して天馬を追い詰める。これが一対一の戦いであれば、或いは天馬は負けていたかも知れない。だが……

「……!」

 天馬と斬り結ぶアディティの両側面から楕円を描くようにしてチャクラムが迫る。アディティは咄嗟に飛び退ってチャクラムを躱す。しかしそれによって天馬に体勢を立て直す隙を与えてしまう。


「……面倒ですね。こうなったら我が全力を以って確実に殺します。『毒婦の抱擁(バソリーズ・エンブレイス)』!」

 アディティの持つ二振りのダガーの刀身が、紫色の見るからに毒々しいオーラに包まれる。アディティは空港で小鈴達を麻痺させたように毒を操る能力があるらしい。恐らくあのオーラを纏ったダガーで斬り付けられると致死毒か麻痺毒でも流し込まれるのだろう。今の天馬が食らったら最悪それだけで昇天しかねない。天馬は警戒のレベルを上げた。

「シャクティ、勝負は一瞬だ。やるかやられるか。俺の命……アンタに預けるぜ」

「……! は、はい……やります。やってみせます!」

 アディティのあの能力は明らかに短期決戦用だ。つまり……次の攻防で確実に勝敗が決する事になる。シャクティにもその空気が伝わったのか、これまでよりも更に緊張した面持ちになる。


「死になさいっ!」

 アディティが毒のダガーを構えながら全速力で踏み込んできた。先程までとは異なりその刃で斬り付けられたら例えかすり傷であっても致命傷になる可能性が高い。

「鬼刃斬!」

 天馬は牽制で遠距離攻撃を放つ。しかし当然そんな物がまともに当たる相手ではなく、素早く回避したアディティは一切速度を緩める事無く天馬に肉薄。そのダガーを斬り付けてきた。

「……!」

 天馬は敢えて自分から下手に攻撃することなく、防御と回避に専念する。斬り付けを危うい所で回避するが、その時にはもう一振りのダガーが真っ直ぐに突き出される。

「……っ!」

 天馬は刀でその突きを弾く。アディティは次々と死のダガーを繰り出してくる。接近戦に特化しているだけあって相当な速さと体捌きだ。今の天馬ではいつまでもこの連撃を捌き切る事はできない。早晩限界が来るだろう。

(シャクティ……まだか!?)

 天馬の中で焦りが生じる。一方でそのシャクティはというと……



(アディティ……どうしてこんな事を……)

 友人だと思っていた女性の卑劣な裏切り。恐らくその原因と思われる理由も聞いた。彼女の言っている事が本当なら、アディティは父ザキールが妾か愛人に産ませた子供という事になる。シャクティとは異母姉妹という事だ。

 悲しいことだが、アディティの境遇はこのインドに於いてはそこまで稀有という訳ではなかった。外国人にも分かりやすいカースト制度は廃止になったものの、それはあくまで表向きの話。実際には生まれ持った階級による差別は厳然として残っている。

 上流階級入りを目指していたザキールだが、彼自身とて下位カーストの貧民達から見れば十分『上流階級』だ。そしてそういった上位の階級にいる人々は、正妻だけでなく色々な所に『妾』を作っている事もまた普通であった。ザキールもその例に漏れなかったという事だろう。

 アディティの境遇に同情はするが、今シャクティが受けている仕打ちは明らかに理不尽であった。彼女自身には何の責任もない事であり、アディティの逆恨みなのは間違いなかった。

(やってやる! 私は……彼女を倒す……!)

 一度その決心が付けば後は全力(・・)で戦うだけだ。躊躇いがあっては先程のように躱されてしまうだろう。


女神の舞踏会(ナーティ・ディーヴァ)!』

 戦い方は彼女の中にいるパールヴァティーが教えてくれる。彼女が神力を高めると二振りの光のチャクラムが宙に浮いて、それぞれ3つに分裂(・・・・・)した。つまり合計で6つのチャクラムがシャクティの周りに浮遊している状態になったのだ。

「な…………」

 それを見たアディティが唖然として、一瞬攻撃の手が止まる。だがシャクティは構わず両手を前に突き出す姿勢をとった。

ドゥルガーの怒り(グッサー・ドゥルガー)!』 

 シャクティの叫びに従って6つのチャクラムが一斉に動き出す。それぞれのチャクラムは楕円を描きつつアディティに殺到する。

「ちぃ……!!」

 アディティは舌打ちして再びチャクラムを躱す。しかし6つのチャクラムは互いに抵触する事無く独自の軌道を描いてアディティを追尾する。

「……っ!!」

 一つ二つであればまだ回避の仕様もある。しかし6つものチャクラムが不規則な軌道で追尾してくる状況に、さすがのアディティもその対処で手一杯になってしまう。そして彼女が現在戦っている相手はシャクティだけではないのだ。

「おおぉぉぉぉっ!!」

「……!」

 天馬が気合とともに刀を唐竹割りに振り下ろす。アディティは顔を引きつらせてその斬撃を回避するが……そこにシャクティのチャクラムが襲いかかった。

 アディティはそれをかわし切る事が出来ずに、複数のチャクラムの刃が彼女を斬り裂いた。

「がっ……!!」

 全身を斬り裂かれたアディティが呻いて完全に動きが止まった。そこに天馬が肉薄する。

「終わりだぁっ!!」

 一閃。アディティの胴体が斜め下に深々と切り裂かれた。


「お……あ……」

 アディティは言葉にならない呻きも漏らし、傷口から大量の血を噴き出しながらゆっくりと仰向けに倒れ伏した。
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