第14話 蠍の女神

文字数 3,687文字

『ぬぅ……化け物め!』

「テメェらに言われたかねぇな!」

 天馬は一気に勝負を決めるべく亀男に追撃しようとする。だがここで亀男が異なる戦術を取った。

『『蠍』さえ確保できればいいのだ。お前達! 女を捕らえろ!』

「……!」

 何と亀男は情勢が不利と見るやラシーダにターゲットを定めて、彼女を捕らえるように他の2人に指示する。

 天馬の表情が厳しくなる。あくまで彼自身をターゲットとして襲ってくる分には例えプログレス3体であろうと戦いようはあるが、ラシーダを守りながらとなると話は変わってくる。


 亀男の指示に今まで待機していた2人が動き出した。それぞれ蜥蜴男と蛇男だ。いずれにせよ未覚醒のラシーダの手に負える相手ではない。

「ちっ……!」

 天馬は舌打ちしてラシーダを守るべく踵を返そうとするが、当然亀男がそれを見逃すはずがない。強烈な拳打を浴びせてくる。

『馬鹿め! 隙だらけだ!』

 一対一なら圧倒していた相手でも、ラシーダを守ろうと背を向けなければならないとなると話は違ってくる。他のプログレスならともかく、この亀男は無視していなせるような相手ではない。

 そうこうしているうちに2人のプログレスがラシーダに迫る。当然走って逃げた所で無意味だ。ラシーダは覚悟を決めた。

(こうなったら、やるしかないわ!)

 彼女は愛用の鞭を取り出して撓らせる。プログレス達はラシーダが鞭を地面に打ち付ける音と姿に一瞬足を止めるが、すぐに気を取り直して向かってくる。所詮女が振るう、しかも鞭など大した脅威にもならないと高を括っているのだろう。

 だが鞭は熟練した人間が扱うと、その先端の瞬間速度は時に音速(・・)に達する事もあると言われるほど剣呑な凶器(・・)であると知る者は意外と少ない。

「ふっ!!」

 ラシーダは自分は後ろに下がりつつ、迫ってくる怪物相手に鞭を叩きつける。

「……!」

 ラシーダは鞭の扱いに懸けては熟練の達人にも劣らないと自負しており、その先端の速度はプログレスの目を持っても完全には見切れない程であった。強靭な革をなめして作られた鞭の先端が、目にも留まらぬ速度で顔に打ち付けられて蜥蜴男が怯んだ。

 だが……怯ませるだけだ。普通の人間が今の鞭を顔に喰らったら当たり所によっては重傷を負うし、そうでなくとも激痛によって戦意を喪失するだろう。

 だが相手は人間離れした怪物だ。現に鞭の直撃を顔に食らいながら、少し怯んだだけで却って怒気を立ち昇らせて襲い掛かってくる。

「くっ……!」

 ラシーダは歯噛みして連続で鞭を振るい続ける。風切り音と共にプログレス達の頭や身体に打撃がヒットするが、奴等は相変わらず僅かに怯むだけでお構いなしに近付いてくる。このままではマズい。


「ラシーダッ!!」

 だがすんでの所で天馬が割り込んできてプログレス共を妨害した。奴等は天馬を警戒して一旦離れるが、そこに亀男が追撃してくる。

『ふんっ!』

「……っ!」

 その拳打を避けきれずにガードするが、大きく体勢を崩す。そこに他のプログレス達が天馬を迂回するようにして再びラシーダに迫る。

「させるかっ!」

 天馬も再び奴等に斬り付けるが、2人のプログレスは決して天馬と正面から戦おうとせずに距離を取って、ラシーダを捕らえる事を優先してくる。そうなると天馬も奴等への対処を優先せざるを得ず、再び亀男の攻撃を喰らってしまう。

「ぬぐっ……!」

『ふぁはは! お荷物(・・・)を抱えている時点で貴様に勝ち目はないのだ!』

 亀男は嵩にかかって攻勢を強める。お荷物という言葉にラシーダは歯噛みする。それは言い訳のしようもない事実だからだ。しかも本当にただの一般人ならともかく、自分もまた彼等と同じディヤウスであるというのだから猶更だ。

 更に言うなら奴等の狙いは自分であり、天馬達はそれを守ってくれているだけであるのだ。つまり二重の意味(・・・・・)で今現在、天馬はラシーダのせいで傷ついているとも言える。


(く……何故? 何故なの? 何故私はディヤウスに覚醒出来ないの? 一体何が足りないと言うの?)


 天馬からは邪神の勢力と戦う覚悟が必要だと言われた。そして小鈴からは今の生活を捨てる覚悟が必要とも。だがどのみち奴等に襲われた時点で戦う覚悟は出来ていたし、家を捨てる事で今の暮らしへの未練も断ち切ったはずだ。

(まだ何かが足りないと言うの!? 一体何が……)

 こうしている間にも自分を庇って戦っている天馬が傷ついていく。時間の猶予はない。ラシーダは焦燥を抑えて極力冷静に自分を顧みる。

(覚悟……未練……。この国での暮らしを捨てる……。この国での(・・・・・)? ……! まさか……?)

 ラシーダは唯一思い当たる節があって目を見開いた。そして鞄の中を探ると、一冊の古ぼけて擦り切れた小さな本を取り出した。それは子供向けにエジプト神話の物語が面白おかしく書かれた一種の絵本であった。


 それは彼女がまだ幼い頃、実の母親(・・・・)から貰った物であった。父親の言うなりに『薬』を作り続ける娘を哀れんだのか、はたまた今の境遇に不満を持たないように慰めのつもりだったのか。今となっては理由は解らない。

 一つだけ言える事は、それはラシーダと彼女の喪われた実の家族とを繋ぐ唯一の物品であるという点だ。唯一彼等の存在を思い出させる物であった。何故かこれだけはずっと処分できずにいたのだ。そしてこの逃避行(・・・)に際しても、特に何の疑問もなく当たり前のようにこの本を鞄に入れていた。

 この国と訣別する。それは取りも直さず実の家族との完全な訣別を意味していた。今彼女は本当の意味でそれを実感した。中途半端では駄目なのだ。

(お父さん、お母さん、そして兄さん達……。ごめんなさい。私は今、本当の意味で皆を踏み越えてこの国を出ていくわ。恨みたければいくらでも恨んで頂戴)

 ラシーダはその小さな絵本を頭上に掲げると……力を込めて一気に破り去った!


*****


 気が付くと彼女はどことも知れない靄に包まれた幻想的な空間の中にいた。この景色には憶えがある。以前に明晰夢で見た景色と同じだ。という事は……

(よくぞ来た、ラシーダよ。この時を待っていたぞ)

 靄の向こう側から淡い光に包まれた人型の存在が姿を現す。それは時代がかった衣装を身に纏った1人の美しい女性であった。だがその女性が尋常な人間でないのは、登場の仕方以前に彼女の尾骶部分から生えている巨大な蠍の尾(・・・)で明らかであった。ウネウネと動いており、明らかに作り物ではない。

(……女神セルケト(・・・・)。信じられないけど本物という事なのね?)

 以前に明晰夢で対峙した際は当然ながら信じていなかった。ただの夢だと思っていたのだ。だがそうではなかった。今は目の前のこの存在が本物(・・)である事が理解できた。

(如何にも。ようやく家族の呪縛から解き放たれたようだな。それでこそ我が力を授けるに値するというものだ)

 セルケトはその妖艶な外見に似合わない男性のような口調で頷く。


(教えて。何故私だったの? あまり熱心ではないとはいえ一応イスラム教徒だし、小さい頃にエジプト神話の物語を読んだくらいで、あなた達に何か関わりがあったとも思えないのだけど?)

(人生の軌跡はさほど重要ではない。我等の力をその身に宿す資質があるかどうかは、既に生まれた時から決まっているのだ。これは我等自身にも選ぶ事が出来ぬ。無論我等が何者か知らぬでは話にならんので、最低限の知識は身に付くように多少の干渉(・・・・・)は行うがな)

(……!)

 それが母親から渡されたあの絵本だったという事か。同時にあの絵本はディヤウスとして覚醒する為のキーアイテムでもあったのだ。

(生まれた時から? どういう基準で選ばれるの?)

 ラシーダは何故自分がこのような運命を背負う事になったのか、その理由が知りたかった。

適合(・・)だ。あの忌まわしい邪神共が自らの種子をこの星中にばら撒いているように、我等土着の神々も自らの種子(シード)を放っていたのだ。尤も既に物質界における権能を失って久しい我等には一つの種子を飛ばすのが精々ではあったが)

 自嘲気味にかぶりを振るセルケト。だがそれだけでラシーダは察した。

(なるほど。そのあなたが飛ばした種子に適合したのが私だったという事ね?)

(そうなるな。適合の条件は我等にも解らぬ。解っていれば当てもなく種子を飛ばすような真似はせんからな。恐らくは親和性の問題と思われるが)

(親和性……)

 それ以上の条件が解らない事に彼女はもどかしさを感じた。だが……


(気にはなろうが、今はそれを追及している場合ではないのではあるまいか?)

(……!!)

 そうだ。今、現実世界(・・・・)では天馬が彼女を守る為に戦っているのだ。この空間での時間の概念がよく解らないが、確かに今は他に優先すべき事がある。

(確かにそうね、セルケト。じゃああなたの力を私に貸して頂戴。テンマを助け、そして奴等と戦う為に!)

(うむ。物質界では力を発揮しえない我等に代わって、どうか邪神共の勢力を駆逐しこの星を守ってくれ。頼むぞ、ラシーダ!)

 セルケトがラシーダに向かってあの蠍の尻尾を向けてくる。するとそこから発生した光の波動が彼女を包み込んだ!
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